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暑い

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東京都の23区ではない緑豊かな住宅街に住んでいる。戦後高度経済成長時代に計画的に植樹されて、街路樹・公園・学校と、あまりに緑が豊かすぎるこの一帯は、毎年セミの鳴き声が本当に大変なことになっている。街灯のせいか深夜も鳴き通しのうえ、田舎の広大な山野に分散して暮らすセミと異なり、たとえば街の中の公園の1点にこのへんで羽化したセミがすべて集まるから、個体数の割に声量が半端ではない。
夏以外の季節には、ヒヨドリ、うぐいす、ガビチョウなど野鳥が騒がしく鳴いているが、夏だけはセミに押されて、ほとんど鳥の声は聞こえない。秋は秋で、日が暮れると、毎晩うるさいぐらいスズムシが聞こえる。静寂な季節は真冬だけだと思う。

さて、アンビエントミュージックという音楽ジャンルがある。特に厳密な定義はないが、従来の(クラシックからジャズやロックに至る)周囲の音をかき消してしまうような音楽ではなく、周囲の環境と寄り添うような・溶け合うような音楽のことだ。

ジャケットに大きく AMBIENT と書かれているブライアン・イーノ(Brian Eno)のアルバム「Music For Airports」を聴けばなんとなくアンビエントミュージックの傾向が分かると思う。もっと平たく言ってしまえば「水族館に流れているような曲」を想像すればいい。

ambient とは「環境の」「周囲の」という意味である。アンビエントミュージックにあるのは、周囲の環境と寄り添いあう静謐さだ。つまり西洋人は「空間」を「静謐」なものだと考えていたんだろう。と、夏が来るたびに一度は思う。

100%天然由来の「自然が奏でる音」であり、まさに「アンビエント」なシカダミュージックに一番近い人間の音楽は、私の知る限り My Bloody Valentine しかない。しかも My Bloody Valentine のギターの上澄みの一番さざめくところ。

調性をつくる低音(ベース)とリズム(ドラム)をもたないシューゲイザーを想像してみると、苦痛だと思う。無調の音楽もテンポのない音楽もあるが、それらがないにしても、音楽をまとめあげる秩序のない音というのは、ずっと聴くのは疲れてしまう。

統一を失ったシューゲイザーの上澄みの一番高音のさざめきが、朝から深夜まで大音響で継続している。

私は、これだけの言葉を費やして、ニッポンの夏のアンビエントの騒々しさを伝えたい。


日が暮れると少しだけ熱さがやわらぐ。日中暖められた地熱は深夜になっても冷めないが、日光による直火の熱さが消えればすこしはマシになる。毎晩近所の野良猫が路上のベンチの上に溶けている。餌は誰か人間から貰っていると思うけど、水をちゃんと飲めているか心配だ。


7月18日15時、現在の気温を見ると、東京35℃、札幌24℃、那覇・石垣島31℃、西表島33℃、東京のほうが亜熱帯気候の南の島より暑いとはどういうことだろう。

時差による日照の差があるしても、ロンドン17℃、エディンバラ14℃、ベルファスト14℃、ダブリン13℃、アムステルダム17℃、ベルリン20℃、プラハ21℃、ウィーン22℃、ヴァレッタ26℃……ふたけたの数字を並べて見ただけで、西洋の静謐な夏を夢想した。

ヴァレッタはマルタという地中海に浮かぶ小さな諸島の首都で、日本の北関東とほぼ同緯度、国土は東京23区の半分の面積しかない。最初の入植者からたびたび統治者が代わったが、現在はイギリス連邦内のマルタ共和国ということになっていて、アラビア語系のマルタ語のほかにイギリス英語も公用語に使われている。

近代史では、1989年に東西冷戦の終結を宣言したマルタ会議が行われた土地だ。文学的には、トマス・ピンチョン『V.』の舞台になった。音楽的には、(たぶんピンチョンの影響も受けて)People In The Box が『マルタ』という曲を作った。怪物タラスクを鎮めた聖女マルタとは関係ない。

島には猫がいっぱいいる。日本のマルタ観光局も、マルタの猫についてwebサイトの1ページを費やして解説している

雨季は11月からだが、10月までは泳げる。地中海の澄んだエメラルドグリーンの海だ。

いいじゃん……


私は避暑を企てた。


という筋書きは 今考えた嘘 なんですが、 というわけで、8月初旬から10月半ばまで留守にします。避暑と観光です。(そのため書籍通販を一旦停止しています。)

メインは アイルランドマルタ ですが、イギリスやドイツなど近場の国も訪れます。マルタ行きを決めた理由は上記のようにくだらない動機ですが、アイルランド行きはもっと不純な動機なので、また別記事に書こうと思います。プラハ ではフランツ・カフカの墓に向かって土下座しなければならないので、忙しくなりそうです。

出先からも、当サイトのブログ・ツイッターインスタグラムのいずれかから状況を更新すると思います。逆に連絡が途絶えたら、なにかあったということにしといてください。そんなことがないといいですね……

取り急ぎこんなかんじで。この記事はあまりにもあんまりなので、またもう少し真面目に、くわしく書きます。


今読んでいる本。

17世紀末から18世紀にかけて、「グランド・ツアー」という国外旅行がイギリス貴族のあいだで流行る。これはヨーロッパの戦乱がある程度落ち着いて、道路・交通が整備されたことでおこった、私費旅行のはじまりだ。

旅に出たイギリス貴族たちは、異国の住民と交流するでもなく、古代ローマの遺跡やルネサンス美術などを見て帰ってくる。コミュニケーションのためではなく、芸術を消費するための旅行だ。

私もそんなもんだ。

ほかにも、現在「真実」と訳される fact の語源は factory や fiction と同じ(「つくる」)だとか、lie(「嘘」/「横たわる」≒相手と寝る)、letter(「手紙」/「文字」)だとか、両義性の合間に未分な言葉への考察がおもしろい。

両義性の間に振動する小説を書こうとしたのはジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』で、この前図書館で1・2巻だけ借りて読んだが、諦めてしまった。どういう小説かというと、地の文すべてがダブルミーニングになっている、という例えでなんとなく分かってもらいたい。テキストの「意味」と「おと」が別々のことを物語っているのだ。(しかも、私は日本語訳で読んだので、ジョイスの原文がどうなっているかは皆目見当がつかない)

敗因は『ユリシーズ』さえ読んでいなかったことだと思う。『ダブリナーズ』は読んだ。驚くほど読みやすい。


さいきん、歌と歌詞のある音楽を聴いて考えたことは、歌の内容(歌詞)と歌の音楽(歌い方)が分離してもいいということだ。たとえば悲しい歌詞をあかるい調子で歌ってもよい。内容と方法は一致しなくていい。

いま書きかけの小説は、それなりに現行解決していない社会問題や苦しみから切り離せないものを題材にしている。その内容の書きづらさに引っ張られて、かなり長いあいだ手を付けるのをためらっていた。いまは、内容に反するとしても、文章は美しく書いていいと思える。美しければ無罪になるとは言わないが、読書は時間への耽溺だ。そこで読者(ここには書き手も含んでいる。書いていない時の作者は、読者だ)が使う時間は、なにか美しいものであってほしい。その美しさは花や宝石の美しさのカテゴリーではないと思うけれど、たとえば My Bloody Valentine のような強烈なノイズミュージックにある「美しさ」のような、下品な悪ふざけと切実さを反復横跳びするピンチョンの物語のような、「美しさ」の新しいカテゴリを拓けると思う。

Author : 山川 夜高

libsy 管理人。DTP・webデザインを中心とした文化的何でも屋。
このサイトでは自作品(小説・美術作品)の発表と成果物の紹介をしています。blogではDTP等のTIPSを中心に自由研究を掲載しています。
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