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イタチザメ

2019/12/28に「人喰いサメの稚魚を見に行く」という名前で葛西臨海水族園にサメを見に行く遠足を企画しました。そこで「遠足のしおり」としてサメについて知ってもらいたいことをまとめたものを、こちらに加筆修正して転載します。
水族館で観察できそうなポイントには 強調 を加えました。みんなでサメを学びましょう。
シャーク。

追記:12/28 水族館を実際に訪れた後のメモを枠内に書きました。

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『連ねたり想う Vol.0』通販開始

旅行記『連ねたり想う Vol.0』通販の取扱を開始しました。

『連ねたり想う Vol.0』

新書版 / 本文フルカラー 76ページ
通販価格 1,350円(PDF同梱) / PDF単品 500円

2017-2018年の国内旅行をまとめた、シーサイドブックスはじめてのノンフィクション+フルカラー作品。
友達を訪ねにいったらヤギの屠殺現場に同席した「沖縄・西表島」
廃仏毀釈の歴史をたどる「福島・泉」
フランスから取り寄せた奇跡の水を求めた「長崎」
……と、なぜか死と神秘と隣合わせの3つの旅路をまとめました。

書籍通販はこちら

こんな人におすすめ:

  • マットPP加工の表紙と嵩高紙の本文で、ポケットに入れると手触りの良い書籍を探している
  • 華やかな旅の話よりも泥臭い話を読みたい
  • 宗教に興味がないわけではない(が特定の宗派に属するつもりはない)
  • アートに興味がある
  • アートに不信や失望も抱いている
  • メメント・モリ
  • etc…
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前回の記事「フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために」をお読み頂きありがとうございます。また紹介ツイートやRT,like(fav)等も大変ありがたく思います。

私の言葉足らずのため、いくつか誤解を招いていることをお詫びいたします。
本記事の前半では前記事の要約と、言葉の誤用やわかりにくかった箇所への追記を掲載いたします。後半は前記事で書き忘れたことや、さらなる脱線です。
(言葉の誤用は前記事にも修正を入れています。)


要約

  1. フィクションの薄暗い欲求を現実に持ち込まないために、個人の嗜好が「悪」であることや、他者の来歴・プライバシーを害しうるという自覚をもつことが「望ましい」。
  2. 前記事では書かなかったこと:これは各々の良心に対する提言であり、良心に対する議論は終わりがない。ここでは結論をくださないし、どこかで割り切る線引きも必要である。
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(別の記事用に書こうとした文章を再構成しました。)

 

2018/05/04
本記事の誤用の訂正をしました。/ 追記を公開しました。

おそらくは誰でも、可哀想なものや倫理規範に反するものへの薄暗い興味を持っていると思います。私も作品で悲壮な場面は書きますし、それは悲壮な状況に関心があるから書いています。ただ、自分で可哀想なものを書くときには、悲壮感をフェティッシュで片付けないようにしています。

これに関しては精神論めいた結論になってしまいますが、興味(またはフェチ「萌え」)を持つからには「当事者意識を持たなければならない」と考えています。

たとえば現実で合意のない暴力(ネットスラングで「リョナ[1]」)を振るってはいけないのは当然です。しかし、フィクションのリョナを読者として楽しむときも、「現実では望まない暴力をうけて苦しんでいる存在がある」ことの自覚は忘れない方が良いと思うのです。

性暴力の被害者が、自分が受けた暴力について思い出されたり、性暴力を肯定する作品を見て傷つくことを「セカンドレイプ」といいます。[2]

たぶん、自分が薄暗い興味を抱いているという当事者意識を持たないでいると、ふとした時に自分が無自覚なまま加害者の立場に転じる(セカンドレイプをしてしまう)可能性があります。ここでの加害とは、暴力を振るうことだけではなく、見て見ぬふりをすることや、そもそも暴力に気づかないでいることも含みます。

別に「配慮して自粛しろ」と言っているのではありません。どんな題材であれ、それを好むことは万人の自由です。ただ、「これはフィクションだから現実とは無関係」と思考停止するのではなく、「興味を持つからには、その興味のうしろめたさも自分で抱えろ」というだけです。うしろめたさを自覚することが、フィクションの暴力をうっかり現実に持ち込まないための自制心につながると思います。

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