今月の活動報告のうち、日記部分が長くなったので記事を分けました。
9月に発表した作品などの紹介・活動報告は、下記の記事をご覧ください。
今月の活動報告 2023年9月
SNS:Blueskyも動かしている
https://bsky.app/profile/mtnriver.bsky.social
SNS運用にはまだ迷っています。
そのうち(来年かな)自分用に libsy.net のサブドメインを使って Misskey かなにかのインスタンスを立てます。Misskeyは高性能すぎる・Mastodonの方が立てるのが楽な気もするんですが、MisskeyはMFMが楽しい。
って思ってたら、WordPressをActivityPubに参加させるプラグインがあるんですね。
このサイトでは数年前から「改装したい」と言い続けているので、いまプラグインを増やすのは避けますが、改装時に要件に加えようと思います。
読んだ本
『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローティガン, 藤本和子(訳), 新潮文庫, 2005
→ 小説『東京、東京』あとがきのブログ記事で紹介しています。
スピンオフ小説「東京、東京」
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』小野寺拓也・田野大輔(共著), 岩波ブックレット, 2023
https://www.iwanami.co.jp/book/b628046.html
ナチスが行ったほとんどの政策にはオリジナリティも実際の効果もなく、さらに政策が施行された思惑を読むといずれも「良いこと」とは全く言えない。「ナチスがした良いこと」なんて少しも無いとは分かってたけど、こうしてリストアップされると本当にならずもの国家だったんだなと思う。
ナチスが労働者へ約束した報酬(自動車や旅行)は実際にはほとんどが実現されず、労働者に将来への期待を抱かせただけだった。これを“将来の消費を現在の宣伝で先取りするというこの「バーチャルな消費」”(p.70) と指摘し、現代の大量消費社会を支えるメンタリティとの連続性を指摘している点は背筋が凍る心地がした。
本文のうち「はじめに」は岩波書店のサイトで無料公開されている。歴史に対して「意見」する前に「解釈」を踏まえることの重要性が説かれており、ここだけでも一読をおすすめする。
→『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』 「はじめに」試し読み
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/2710800.pdf
ギターを合奏した
吉祥寺でランチを食べ、猫カフェに行って猫になり、猫になったままジョン・ライアンズ・ポルカのセッションをした。
左端の三毛猫である私は中央のシャム猫である風野湊さんのギターをお借りして、右の白猫である小町紗良さんのコンサーティーナのバッキングをした。
皆さんはご存知ないかもしれないが、猫カフェに行くと猫になることができる。毛の色などはヒアリングして決めてもらえる。私は三毛か黒を勧められたが、黒はまだ暑い気候なので三毛にした。三毛はしましまが好きです。
猫だから弦がビビったが、やっぱり合奏は楽しい。
カステラパン
偶然見かけたので買った。知っていますか? 甘い味の黄色いパンを甘くない白いパンで挟んだパンです。
鱒釣りに行った
実は『東京、東京』を書いたときにはもう釣りに行く約束をしていたので、『東京、東京』では『アメリカの鱒釣り』のタイトルのパロディをしなかった。
経験として一度は釣りをやってみたかったのと、本当は夏にBBQをしたかったけど暑さやそもそも友人に声をかけていなかったから出来なかったので、今回友人Aを誘い、友人Oも来て3人で行った。(以前西表島を案内してくれたOさんではない)
場所は東京都八王子市の山中で、JR高尾駅からバスで行く。JR高尾駅は東京から中央線で乗換なしで1本の東京都内の駅である。東端の海辺から西端の山々、その間にはいくつもの場所がある。(島しょ部を含めたら東京はもっと広い)
あとで『東京、東京』のサムネイル画像(『アメリカの鱒釣り』表紙のパロディ)を見て思ったことだが、『アメリカの鱒釣り』の表紙のオレンジ色はJR中央線の色に通じていた。
周囲にはすごい数のトンボが飛んでいて(ウスバキトンボと、アキアカネかナツアカネかの赤トンボだったと思う)、少し盛りを過ぎたころのヒガンバナが群生していた。
参考:https://dragonflykumamoto.web.fc2.com/sikibetu.html
帰宅後にカの被害を心配されたが、川辺ではカの存在を忘れるぐらいまったくカ、アブ、ブヨなどを見かけなかった。トンボが辺りに飛び回っていたからだと思う。周回しているスズメバチに出会ってすこしヒヤリとするシーンはあったが、虫害は全くなかった。
行った先は親切な釣り場で、こちらが全くの初心者であることを伝えて教えを請うと、餌の掛け方から丁寧に教えてくれた。餌は生き餌とイクラを選べたが、生き餌の方が食いつきが良いらしいので生き餌のブドウ虫を使った。けっこう、針を通す時に、ごめんなさいっていう心地になる。
ところで、「ブドウ虫」とは本当はブドウスカシバの幼虫(ブドウの枝などを食害する)を差すが、これが養殖できないので、ハチノスツヅリガの幼虫(ミツバチの巣を食害する)を養殖してブドウ虫という名前で販売しているらしい。
出典:https://www.jataff.or.jp/konchu/mushi/mushi60.htm
いやまあ、本当、釣れなかったらどうしようと『永劫通りの鱒釣り』の章(故アロンゾ・ヘイゲンの生涯1匹も釣れなかった鱒釣り日誌)を思い出しながら鬱々をしていたが、ポイントを変えたら入れ食いになることもあって、最終的に5匹釣れた。最初から入れ食いのポイントで釣っていたOさんは10匹近く釣れたのではないかと思う。
釣り場では、生け簀で育てた養殖魚を川に放流しているので、餌だけ魚に持っていかれたときには「釣り」ではなく「魚餌やり体験」も同然だなと思った。あとはまあ、生きたまま針に貫かれて溺死されられるために養殖されているブドウ虫のことも思う。
Oさんが石でかまどを作って、いい感じにBBQっぽくなった。
釣れた魚はその場で捌いて串を通してもらえるので、魚も各自1匹ずつ焼いて食べた。マシュマロも竹串に刺して焼いた。マシュマロを串に通す感触が、ブドウ虫を針に通すときの感触に重なって、私としてはそこにグロテスクさに留まらない親しみを感じた。
以前、別のOという友人が西表島の染色工房に勤めていたときに島を訪ねて、そのときOと一緒にヤギの屠殺に立ち会ったことがある。
食べることに伴う殺傷に対して、忌避せず、ナイーブにも鈍感にもなりすぎずに、一度直に見て、そこで起きたことを覚えておく必要は誰にでもあるように思う。
私は針外しがヘタクソすぎてずいぶん魚を血まみれにしてしまった。最後の1匹にようやく自力で外すことができた。
釣りに集まったAもOも私もコーヒーが好きだ。Oさんが鍋、コーヒーミル、フィルター等を持ってきて、その場でコーヒーを淹れてくれた。
マシュマロが甘いので、ストレートのコーヒーの味がちょうどよかった。味が美味しい以上にそれはとても「良い」ことで、染みる感じがした。
また行きたいとは思うけど、殺生をアクティビティにするのにノレないという気持ちも分かる。ただ、水辺の光の移ろいと燃える炎と、水辺を流れる涼風は美しいので、殺生にノレない人は釣らなくても立ち会うだけまた来るのもいいかもしれない。
透明な緑色の水の流れに、空の青色が反射して波模様を描く。目をこらすと魚影が見える。水面に半日向き合えただけでも良い時間だった。東京の小川に向き合いながら、『クリーヴランド建造物取壊し会社』で切り売りされているアメリカの小川を想像する。この美しさを真に保ったまま川を切り取って量り売りできるのだともしいうのなら、大量消費社会への絶望に完全に陥らなくても、小さな抜け道を見つけられそうだ。
普段の生活で車をまるで使わないせいでペーパードライバーになってしまったんだけど、こういう遊びを頻繁にするのであれば、ペーパー講習を受けようかという気持ちにもなった。今後の旅先でも役立つだろう。
別に、皆と仲良くなる大きな輪を作らなくても良いと私は思う。私は皆を輪に引き込むのではなく、さまざまな中小規模の輪を作ったり、自分から別の輪の中に飛び込んだりして、掛け持ちすればいい。
というのも、皆と仲良くなるべし vs 孤独(自分で選ぶ solitude な道) の精神論ではなく、こういうアクティビティって少人数の方が取り回しがいいんだよね。一度に遊ぶ人数は2〜4人だと気が楽だ。
まあそれはそうとして、また「山川回」(私の友達の友達まで参加できるパーティー)を開いてもいいのかなと思いはじめている。それこそ野外BBQをしたら、文字通りに風通しが良くて、良いかもね。
河原では焼いて食べたので、帰宅後は白ワインで煮た。アクアパッツァのつもりだったが、ドライトマトを入れたせいで醤油煮込みのような色合いになった。
北浅川恩方ます釣場
https://www.ongatamasuturiba.com/
イメージカクテルっていうのを飲んでくる
さて、週末は猫のメンバー(小町さん、風野さん、私)でキャラクターイメージのカクテルを作ってくれるお店に行ってきます。擬人化の逆みたいな感じ?
友人の小町さん(今回は一緒に行く)が前にひとりで行っているので、お店の概要はそのときのレポをご覧ください。
私のレポは後日ブログに書きます。誰をオーダーしたのかの予想もお楽しみに(たぶんSNSに先出しでupしてるけどね)