どうもこうもねえよ。
(※このブログ記事は言文一致を試み、思いつくままに書くアドリブ=自動筆記=怪文書です。)
いや、だってまだマルタですもの。いまはチェックアウトを済ませ、宿の共用スペースで休憩中。今夜イスタンブールへ飛び、明日未明イスタンブールから成田へ。自宅へ着くのは明日日曜日の深夜の予定。
世界の手触りについて、なにか分かったかというと、その手触りしか分からない。大好きな歌の一節いつも手触りはこの手の中あるけど 冷たく押し黙ったまま
(『開拓地』People In The Box)を思い出す。肯定的に捉えるなら「分からないということが分かった」と言えばいいのかな。
きっと私に土産話をせがむ人々はなにか答えを求めて私の話を聞くんだろう。例えば、「想像以上によかったよ」とか、「○○人はダメだね」とか、「勉強になった」とか。私は、安易に結論を出さないようにしようと、旅立ちの前から考えていたし、実際旅をしてみて、そんな決意をはるかに超え、この旅に結論やテーマを探すことは不可能だった。
テーマというものをでっち上げるなら、タイムトラベルみたいだったなと思う。
光の届く速度は「一瞬」ではなく、有限の速度がある。光速は約30万km/s、地上に降り注ぐ太陽光はじつは8分前の光だ。つまり我々が見上げる太陽は8分前の姿である。宇宙空間での距離の単位を「光年」といい、1光年は光が届くまで1年かかる距離をさす。つまり1光年先の風景は1年前の風景だ。天文学では遠くの星を観測すればするほど、過去を遡っている。
ここまでは天文学の事実だが、ここからは詩(ポエジー)になる。
日本から地球を半周して、旧市街の多く残るヨーロッパを周遊した。日本は木造建築文化だから古い建物は残りにくいが、ヨーロッパの街は石やレンガが素材なので、「かつて」の姿がかなり残っている。
博物館や美術館で展示されているもの、伝わっている物語、それから今残っている建築物は、すべて過去の品である。青銅器時代の道具や墓標、1世紀の英雄、12世紀の聖堂、16世紀の絵画、19世紀の宮殿、20世紀の小説、20世紀の世界大戦。21世紀の現代アートだって、きょう作られた作品は展示されていないので、すべては過去のものである。美術史やら、宗教史やら、文学史やら、世界史の流れに乗って、いまに残る過去たちを見て、自分なりに納得しようとした。
そういう生活を2ヶ月強してみて、ああこれは、時の流れのなか、過去に沈潜しているようだ……と深く思った。日本からのフライト・日本へのフライトは、空高く宇宙の際を飛ぶ飛行機というより、時間の流れに沈む潜水艇の沈潜・浮上のように思える。(ヨーロッパに住む人が日本へ旅行に行くときは、その「オリエンタル」な旅路に、どんな感想を抱くんだろう)
というのが、私のこの旅への理解とか、テーマ、解釈だった。
でも、解釈のできない物事はたくさんある。
わたしは世界史を知り、世界を分かった気になっているけど、日々起きる個々の出来事はもっと唐突で、その手触りはごつごつとして「ナマ」で強烈であり、安易な解釈ではメスを入れられない。出会った人のなかには、まったく見返りもないのに非常に親切にしてくれた優しい人、私(と私が代表した日本人)に深く祈りを捧げてくれた人びとがいた。彼らとの出会いに、意味はない、理由もない。一方でどうしようもないバカにも出会った。私は悪くないので、彼らのことは極力忘れようと思う(災いあれ、とそのときは思った)。彼らがそうあることにも、意味とかはない。みんなたまたまこうであるし、こうなった。
誰かが何者かに成るためには、生まれた家の教え・収入・出会った人・起きた事件、そういう外部の要因に左右される。親が敬虔なカトリック教徒だったから、(1)自分も敬虔な信者になった、(2)カトリックに違和感を覚え、神なんて信じられなくなった、などなど。人がいきなり何者かに成ることはなく、人は環境に影響される。では、個人とはどこまでが個人なんだろう、いまの自分のうち、どれほどが自由意志によるもので、どれほどが選べなかった外因によるものなんだろう?
「外因」すべての和を体系づけたものが、きっと「世界史」なんだろうな。「世界史」とは、こんな事件・動向があったという政治・経済史だけでなく、当時の思想の変遷、芸術のありかたの変遷、遊びや余暇の使い方の変遷も含めて。
人間ひとりの形成には世界史からの影響がおおきく携わっている。でも、その世界史を形成しているのは人間ひとりひとりじゃないか。ここで、卵が先か鶏が先かという問いが生まれてしまう。個人が先か国家が先か。もちろん個人があってこそだ。個人を助けるために国家というシステムがある。でもその個人をそのひとたらしめた外因は国家である。
(※この文章はほぼ自動筆記のため混乱をきたしています。いまちょっと休憩しました)
で……
私は1992年生まれで日本育ちという外因によって形成され、私は個人であると同時にどうしても日本人(日本の都会の人間・無心論者と大乗仏教徒の間)である。旅先で出会った人たちも、彼ら個人であるけれども、同時に○○人・○○民族・○○教徒だったはずだ。
(ニューヨークのような文化の「るつぼ」はあれど、)基本的に○○は○○同士の世界に育ち過ごす。私にとって、彼らヨーロッパの○○はすべからく異文化であるし、彼らにとっても私は異物だっただろう。
そんな異物同士が出会ったんだな……と思い出す。別にだからって、我々がそれぞれ別の○○であることはもう動かしようがない。この偶然の出会いは(発生の機会を数えていえば)奇跡的であるけれども、そこに意味や「思し召し」なんかは無い。唐突な出来事のうち一つだ。出会って別れた。それだけ。
でも終わりじゃない、と思う、出会って別れたという時間は過ぎたけど、あの出来事を理解出来ず、納得出来ず、思い出す限り、思い出せるということはまだ終わっていない。
結論を、つけねえぞ私は、俺は、意味なんて見出さない。
周到にこれからも「意味を見出さない」という態度を続けていきますので、この記事を読まれた方はどうか「どうだった?」なんて、訊かないで、いや、訊いてもいいけどきっと答えられないよ。(うまくタイトルを回収して着地!)