この記事は Fediverse創作展示会 Advent Calendar 2025 18日目の投稿です。
はじめまして。またはいつもお世話になっております。山川夜高と申します。
Fediverseでは @mtn_river@misskey.design をメインアカウントにしています。
「Fediverse創作展示会」は、FediverseにSNSアカウントを持っている人が自分が創作したものを展示する企画です。
私は普段から小説と絵の制作をしていますが、今日は創作活動についてのエッセイを投稿します。
普段の私の活動を知らない方も読めるように自己紹介や状況を詳しく書いたら、たいへんな長文になってしまいました。飲み物やお菓子を準備して、だらりとお読みいただければと願います。
【注意】本記事は山川夜高の作品の紹介・宣伝、セルフパロディ、悪質なダジャレを含みます。
自己紹介(きれいな部分)
本題に入る前に、長くなりますが自己紹介をさせてください。本当に長いので、次の段落まで飛ばしてOKです。
改めてはじめまして、山川夜高(やまかわ・よだか)と申します。
私は小説(純文学・実験小説)を書き、小説登場人物の絵も描いています。
自分の小説作品は書籍の装丁・デザイン・組版もすべて自作しています。作品は同人誌即売会とオンラインストア(架空ストアでの委託販売)で販売しています。同人誌即売会は、文学フリマ東京を中心に大阪・京都・岩手にもときどき出張、東京開催のイベントのCOMITIAとTAMAコミにも出店しています。
小説は私のWebサイト(このサイトです)でも公開しています。このサイトのWebデザインとコーディングは自前です。
小説本は、装丁(作品の物質性)と物語が双方向にかかわりあい、その装丁でなければならない物語/その物語でなければならない装丁の本を制作しています。そのため多くの作品は実験的な作風や特殊装丁作品になっています。
特殊装丁小説の代表作は、黒い紙に黒い文字で書かれているため「読めない」物語『Cipher』です。
本作は「物語を読むことは読者が物語を暴くことで、登場人物や物語はそれを望まないかもしれない」という読書行為自体に対する問いと、あえて読みづらい装丁で書かれたひそひそ話のような秘密の物語、物語中に頻出する黒色のモチーフ(カラス・ピアノ・闇夜など)が呼応し、この装丁でなければ発表できない小説作品となっています。
『Cipher』は大学在学中に制作した作品でした。そこから改定・増刷を重ねて現在も販売しています。
冒頭(物語全体の半分)の試し読み・セルフライナーノーツ・頂いたご感想などはこちら
小説だけでなく絵の制作も行っています。流行の画風・分かりやすい画風・サムネイル映えする表現には抗いたいと思っているため、美男美女から外したキャラクターデザインや、キャラクターの顔が見えない構図に取り組んでいます。
絵はすべてiPadで描いていますが、学生時代に油絵を描いていたころの筆のタッチを意識しています。
作例は2025年中に制作した絵です。これらはすべて小説(自著)の登場人物です。
一番下に掲載した緑色背景の絵は、2025年3月に発表した新作小説『シンガロン[DEMO ver.]』の表紙です。大学進学で田舎から出てきた見習いベーシストの若者(表紙の人物)が部活の肝試しでうっかり「呪われる」ところから始まる、ロックバンド×微ホラー仕立てのストーリーです。
冒頭の試し読みや登場人物紹介はこちら
絵の作例に挙げたこれらの作品は、1990〜2000年代に活動していた架空のロックバンド「Drive to Pluto」の「逸話」を綴る小説シリーズ『Drive to Pluto』の関連作品です。
このシリーズは小説を主軸にしていますが、登場するバンドの作風・音楽性、バンドメンバーの使用している楽器やプレイングスタイル、好きなミュージシャン・尊敬しているミュージシャンなどの情報も作り込んでいます。ちょっと古い記事ですが、詳しく知りたい方はこのブログの過去の投稿 創作バンド紹介まとめ ・ 創作バンド楽器設定集 をご覧ください。

これはねずみちゃんです。作者本人の代理キャラクターというわけではないのですが、マスコットキャラクターのジャンガリアンドブネズミです。
LINEスタンプ や ぼったくり価格のクッション を販売しています。イベントでかわいい(自画自賛)名刺を配っているので、もし機会があればぜひ受け取りに来てください。
それぞれの制作を始めた時期は、小説は中学生〜高校生のころで、絵は物心つく前からでした。
私は高校生のころから自分でWebサイトを作り、小説と絵を発表していました。
大学は美術大学の油絵専攻で西洋美術・現代美術の思想を学び、自分の小説と絵に大きな影響を受けました。美大に入ったというのに、大学に入ってから小説を書くのが本格的に楽しくなり、在学中は油絵を描くよりも小説制作に打ち込んでいました。
小説・絵以外に好きなことは野鳥観察・料理・ベランダ園芸など色々ありますが、読書や美術館鑑賞など作品制作に直結するインプットを除けば、音楽を聴くことは外せません。主にロック(ピンポイントなジャンルはプログレ、オルタナ、マスロック)、時々ジャズを聴きます。ライブもチケットが取れれば頻繁に行きます。
自己紹介(挫折)
多才を自慢するような自己紹介は以上です。ここから本題。
長々と書いた上述の自己紹介を要約は次の通り。
- 小説を書いている(そこそこやりこんでいる)
- 絵を描いている(そこそこやりこんでいる)
- 音楽題材の小説・絵を書いている
- 音楽好き
つまり私は小説が書けて絵を描ける、良くて多才・悪くて器用貧乏ですが、ここで「音楽ができる」とは一言も書いていません。
こんなに色々取り組んでいて、音楽を題材にした作品もあるのに、私は「音楽ができません」。取り組もうとして、挫折した過去がありました。
この話は私ができなかったこと・挫折の思い出話から始まります。
高校1年生、挫折の思い出
「ロックってカッコイイなぁ、オレもやってみてえなあ」と思った高校1年生の頃、同じ中学を卒業して他校に進学した同級生から「弾いてないエレキギターがあるから貸そうか」と有り難い提案を頂き、ストラトキャスター型の入門機と周辺機器一式を借りて、私は軽音楽同好会に入部した。
高校の部活は指導者のいない同好会だった。ギター弾けるようになりたいっすと先輩に尋ねると「1ヶ月ぐらいで弾けるようになるよ〜」と雑な回答を得る。
先輩の言葉を信じて、同じように漠然と「バンドやりたい」と寄せ集まったメンバーでバンドを組んでみたが、寄せ集めのメンバーの音楽の好みは完全に相いれなかった。そもそも私はまだ高校1年生で、なにが好きなのか・なにをやりたいのかという指針も自分の中になく、自分の希望を相手に伝えることができなかった。なのでメンバーが用意した流行りの曲をなんとなくでなぞることに。
ギターレンタルセット一式には教本もついていたので、教本の内容も1からやりつつ、パワーコード(弦を2本押さえて弾く)とかドレミファソラシドみたいな単音メロディとかC・G・Amやらのコード(数本の弦をまとめてかき鳴らす和音)とかFのセーハ(人差指ですべての弦を一度に押さえつつ余った指で他の弦も同時に押さえる拷問)とかをこなしていく。
……楽しくなかった。
特にバンドの選曲がまったく趣味ではなかったため、練習で全くワクワクしない。
そもそも練習時間が足りなくてコードやフレーズを完コピしたとは言えない出来だったし、エフェクターなども持っていなかったので、例えば原曲のひずんだ音の再現をどうやったいいのか全く分からない。なによりバンドメンバーと音楽の話が合わない。
それらの苦痛が重なり、私は1年で軽音楽同好会を辞めた。「美術大学って実技が必要で〜だから絵を描きたくて〜」と受験を言い訳にして音楽室の向かいの美術室でやっている美術部へ移籍。ときどき音楽室・美術室の前で元メンバーと鉢合わせて気まずい思いをした……かどうかは覚えていないけれど、そのように高校1年の山川はギターを挫折した。
(美術部は文学かぶれのオタクしかいなくてとても楽しかったです。当時、美術部の仲間内でなぜか坂口安吾が大流行し、話についていくために古本屋に行って純文学を読みふけりました)
敗因
- 自分はピアノなど幼少期からの音楽経験がないため、どれだけ頑張っても幼少期の経験の差からくる「才能の溝」は埋められないと悲観していた
- 適切な指導者・参考になる先輩・競い合う相手が周囲にいなかった
- 選曲が好みではなく、モチベーションが全くなかった。高校生当時は自分自身でも自分の好みが分かっていなかった
- メンバーと話してても楽しくなかった(当時の相手もそう思ってただろうな)
- サポートドラマーにめちゃくちゃマウントとられてムカついた(部内でドラマーが不足していたので、全バンドのサポートドラムをその人がやっていた)
- でも昼休みの構内放送で『ヒバリのこころ』をかけたときに「スピッツってこんなにギターかっこいいんだ!!」と興奮していたので私は許そう……
- 生家の防音性が最悪で、アンプを通していない生音のギターでも他の居室に聴こえ、家族に「三味線の音みたいだな(笑)」とプライドを傷つけられてムカついた(これは一生許さない)
などの原因はいろいろ考えられるが、それらを上回る決定的な理由があった。
- 小説や絵の制作に対して、音楽への関心は相対的にずっと低かった
だから私はギターを続けられなかったのだろう。
私は高校生の頃から自分のサイトを作って小説や絵を発表していた。すでに小説と絵に熱中していたのに、このうえ音楽の練習まで人生に入り込む余地は当時の自分にはなかった。
上達するかも分からないギターを練習するなら、すでに表現したいテーマや目標がある小説や絵の制作を優先したい。小説や絵と比べたら、ギターの重要度は常に二の次になっていた。
再挑戦・大人の独学
美大の油絵専攻に入学してからは、絵画制作よりも小説制作に没頭する変な学生をしていた。私は小説を書きながら美術に影響を受け、美術の考え方を小説や造本に取り入れようとしてした。
大学のサークルに文芸部がなかったので、私と友人とで文芸部を立ち上げて、学園祭で部誌の発行などの活動を行った。部活外でも、大学在学中に文学フリマ東京に初出店し、活動の幅を広げた。とにかく、大学時代も充実した小説制作を続け、ギターへの憧れが制作活動に割って入る余地はまったくなかった。
2015年にバンドものの小説『Drive to Pluto』シリーズの制作をはじめた。バンドの結成秘話を描く小説『ミッドナイト・ヘッドライト』を発表し、作中ギタリストの聖が使用しているフェンダー社(※1)のテレキャスター(※2)の一番安いの(※3)をあくまで資料用に購入した。
※1 フェンダー(Fender):エレキギターの老舗メーカー。
※2 テレキャスター(Telecaster):フェンダー製エレキギターの定番モデル。
※3 2012年頃までは日本の楽器メーカーが「フェンダー・ジャパン」というブランド名で下請けして製造販売をしていた。その後フェンダー社が直接日本国内でも販売を行うようになり、フェンダー・ジャパン時代から仕様はほぼ同じまま値段が釣り上げられた。なのでフェンダー・ジャパン時代の値段のテレキャスターを市場在庫がなくなる前に滑り込みで購入したという話。
そのテレキャスターは弾かれずに自室のインテリアになっていた。
時は流れて2021年10月、ベース経験者の友達と雑談しているときに「引越先にも一応ギターを持っていったが弾いてない」話をしたら「弾きなよ」と言われて、「確かに」と急に重い腰を上げ、インテリアになっていたテレキャスターを手に取り、ギターの練習を再開した。
小説や絵に比べて、音楽への関心は相対的に低かったとはいえ、音楽への憧れの気持ちはずっと抱いていた。
小説や絵は幼年期から習うでもなく自然に表現を初め、いわば本能的に習得した表現手法だったが、幼少期に音楽を習ったり家で楽器を弾く機会のなかった私にとって、音楽はずっと自分の外側にあるものであり、客席から舞台を眺めるだけの、憧れの対象としてありつづけた。でも、やっぱり高校生のときから、音楽への憧れはずっと抱いていた。
現在はYouTubeなどのメディアプラットフォームで多くのギタリストがギターの講座を無料で公開している。何人かの講師の動画を参考にしながら、基礎連を毎朝できるだけ重ねた。
大人になってから何か技術を習得するには、子供時代と比べてはるかに時間の制約がある。子供時代のようにがむしゃらに没頭する時間はないので、頭で理論を理解すること・体に動作を叩き込むことの両方を意識して、効率的な習得を目指した。
サボる日もあるけれど週の半分以上はギターを練習し、YouTubeで音楽理論も学んだ。メモアプリのObsidianのDailynote機能をつかって、何の基礎連を何分行ったか記録をとった。
私はスケールのポジションを覚え、均一なリズムでオルタネイトピッキングができ、スピッツならバッキング・弾き語りもできるようになり、譜面があればリードギターも弾けるようになり……
なったんだけどさあ……
4年の月日が経ち……
4年も……
ギター歴4年は初心者とは言わねえんだよ……高校時代も合わせれば5年……
でも「弾けねえ」んだよ……
この状況、自分ではいつまでたっても「ギターを弾けている」とは思えなかった。
「弾ける」って何
私は「ギターを弾けるようになりたい」。現状は、鳴らせば音が鳴り、最後まで弾ける曲もいくつかあるが、これが「ギターを弾ける」状態とは思えない。なんというか「初心者」の域を出ず「万年初心者」だなあといった感覚。
でも「弾ける」とはあまりに漠然としたものの言い方だ。ではどうやって「弾けるとは何か」を定義したらいいのだろうか?
私は音楽に対する知見がない。なので反対に、私が「できる」こと、例えば絵から考え始めることにした。
前述した経歴を見れば「私は絵が描ける」は客観的事実である。「私は絵が上手い」も、学歴からも事実とみなしていいだろう。でも、私より絵が上手い作家・良い絵を描く作家はごまんといる。
しかし私は他の作家の作品と自分の作品を比較し、自分の作品を自分でどのようにしていきたいか判断できる価値観を備えている。私は自分の絵に対して、自分の知識と経験をもとに、取り組むことと取り組まないことの判断を下せる。作品の参考にすること・しないこと、目標にすること・しないことを自力で判断できる。
同じく小説でも、作品で取り組んでいることと取り扱わないと決めたことがある。それらは私が小説執筆に対して自分なりの価値判断基準をもっていて、自分の作品が取り扱う範囲に対して責任を抱いているからだ。
また、あるときには「私は絵が全く描けない・小説が全く書けない」と思うこともあり、これもまた真だ。自分の描きたいものがうまく表せずに苦しんでいるときには、客観的に見て力量があろうがなかろうが、自分がダメだと思ったらダメなものはダメ。作家個人の葛藤に、外野が口を挟む余地はない。
私は、自分が「絵が描ける」「小説が書ける」ことに対して確信をもって判断ができる。それらの命題と「ギターが弾ける」や「音楽を弾ける」などの問いを比較してみると、私には音楽に対してそのように問いを立てる力が不足していると気付いた。
「ギターを弾けるようになる」という目標を立てる ためには 「ギターが弾ける」とはどういう状態なのか自分で分かっている=要件定義できる 必要がある。そして私には 要件定義するための知識と経験がない。不足を言い表せる言葉を知らないから、自分でどうしたらいいのか分からなくなっている。
というわけで、4年の歳月をかけて私はハッキリと停滞を自覚した。このままでは埒が明かない。私の人生は結局「ギターが弾けない」ままなのだろうか。これは「私は絵が描けない」とはレベルが違う、初歩的な意味での単なる「弾けない」のまま……。
私には「才能がない」のだろうか……。
完全に行き詰まった私は、ふと机の上にあった1冊の薄い本を手に取った。
それは禍々しい見た目の赤い表紙の本で、山川夜高が書いた『ファング』(2024年発行)という小説だった。
そこには目を疑うような、信じられないことが書かれており……。
最終手段「十字路」
冒頭イントロダクションの試し読みや登場人物紹介はこちら
ロバート・ジョンソンは1930年に十字路で悪魔に魂を売り渡してブルース・ギターのテクニックを手に入れた。彼は契約の代償に27歳での死を運命づけられた。『クロス・ロード・ブルース』という歌が悪魔との出会いを自白していると囁かれている。
そんなのは全部嘘で、本当はその10年前にトミー・ジョンソンという同じ苗字の別のブルース・シンガーが自分自身の歌に箔をつけるために悪魔と契約したと吹聴して回ったんだ。彼は交差点で悪魔から才能を受け取ったと嘯いた。「真夜中の交差点にギターを持ってひとりで立て。すると暗がりから黒い大男が現れて、魔法の力をもってお前のギターをチューニングするだろう。」
そんなのは全部嘘で、悪魔と最初に契約したミュージシャンはパガニーニだった。
そんなのは全部嘘だ。ロバート・ジョンソンだかトミー・ジョンソンだかは2年の間行方をくらまし、帰ってきたときにはギターがものすごく上達していた。それは悪魔に魂を売ったからだ。周りの人はみんな信じた。
そんなのは全部嘘で、2年も特訓すればギターの腕は上達するものだ。(後略)
引用元:『ファング』山川夜高 p.2
(イントロダクションの全文はブログ記事『ファング』通販のおしらせ・ほか色々をご覧ください)
なにが“2年も特訓すればギターの腕は上達するものだ。”だって?
嘘つけ、これ書いた作者は4年練習しても弾けねえぞ!
……さて、小説『ファング』はイントロダクションのとおり「クロスロード伝説」を題材にした小説だ。クロスロード伝説の筋書きは、交差点には悪魔が潜んでいて、望む者には音楽の才能を授けるが、代償として魂を取られるという内容である。ロバート・ジョンソンの名前や歌を知らなくても、この筋書きはどこかで聞いたことがあるという方もいるだろう。
ロバート・ジョンソンの音楽やブルースという音楽ジャンル自体にそのような迷信がつきまとったのは歴史的な事実だ。その後も今日に至るまで、クロスロード伝説を下敷きにした映画や漫画などたくさんの物語がつくられている。つまりクロスロード伝説は今でも市井に語り継がれている。
つまり、「語り継がれている」ということは「ある」。
ということはだよ、「俺もワンチャンある」。

これはねこちゃん
……私はGoogle Mapsで家の近所のよさげな十字路を探した。近隣の地図を眺めていると、行ったことはないけれど色んなお店があるなあという発見もある。そのなかのひとつの店名が私の目を引いた。
「ギター教室」
あ〜この道ね、うんうん。と私は詳細ページを開く。引っ越してきたときからときどき通る道で、なんかギター教室の看板あるなって思っていた。
ギター教室ねえ……。
月謝を見る。○ヶ月で○○社のあのギターが買える値段、○年で△△社でオーダーギターを作れるような値段ね、はいはいはい。良いギターを買うお金で代わりに良い腕を磨くと思えば、まあ、まあ、まあ……なるほど……。
あ、もしもし、あの、ホームページ見てお電話しましてぇ、体験レッスンをやってみたいんですけどぉ、はい、エレキで……。
こうして独学から丸4年を経て、2025年10月から、私は十字路(のそばのギター教室)にお月謝を支払うことになった。
自分にとっての「弾ける」とは何か
そのギター教室はマンツーマンのレッスンで、決まったカリキュラムや教本はなく、生徒がやりたいこと(ジャンルや曲)に対応していく授業形式だった。つまり、こちらから何を教わりたいのか要件定義をしないとレッスンを最大限に活用できない。
体験レッスンの予約を入れてから当日までのあいだ、私はふたたび「ギターが弾ける」とは何かを考えた。
現状は楽譜(五線譜とTAB譜)の読み方がわかり、楽譜を練習すればその通りになぞれる状態だ。でもこの状態は道具の使い方が分かっているだけで、道具を有効活用できていない。「なんかちょっと弾いてみてよ」と言われても良い感じのフレーズやバッキングが出てこないし、他者との合奏も高校生のとき以来していない。楽譜のない曲の耳コピもどこから挑めばいいのか分からず取り組んでいない。曲を弾けても誰かに聴かせることがないから、「べつに弾けてもなあ……」と練習へのモチベーションも低い。
改めて、できないことを列挙してみると筋道が見えてきた。現状できないことの裏返しを目標にすればよい。
「目標:ギターが弾ける」を、私は 自分の力で考えて、自力でギターを楽しめる状態であると考えた。分からないことに出会ったときにひとりで解決の筋道を考えられる自力が足りないから、それを習得したい。
こうして私はようやく目標を具体的な文として考えられるようになった。ここからはじめて目標を叶えるために必要な個別のスキルの考察へつなげられる。例えば「アドリブ」「作曲」などの具体的なテクニックだ。
そういうわけで「これから自分の力で音楽を楽しめるようになりたい。そのためにアドリブなどを習いたい」と、体験レッスンと入会後の初回レッスンのときに、先生に今後の希望を話したと記憶している。
じゃあ1〜2年かけてじっくり基礎を固めましょう、と合意して、正式に習い始めたのが10月中旬のことだった。
じゃあ弾いてみて←?
初回〜2回目のレッスン内容はブルースだった。1920〜30年のブルースは現代のポピュラー音楽全般にとてつもない影響を与えている、という音楽史は小説『ファング』の冒頭に書いた通りだ。音楽にじっくり取り組むなら最初はブルースになるのは必然か、と私は考えていた。
「ペンタトニックスケールは分かる?」と先生に尋ねられ、「昔ちょっと覚えようとしました」と私は答えた。ペンタトニックスケールとは、ドレミファソラシのような7音の音の並びから、2音を抜いてドレミソラのように5音だけを弾くことだ。音数が少ないのに加えて音楽理論的に色々理由があり、アドリブ演奏によく使われる。そのときはアドリブや作曲への取り組み方が分からず、一度覚えた指板の位置は使わないうちに忘れてしまった。昔やったことなので、教えられればまたすぐ弾けそうだった。
「ブルースは12小節を繰り返す音楽です。12小節で1つのまとまりになっている音楽はけっこう珍しくて、これがブルースの特徴です」
なるほど。
「例えばA(ラ)をキーにしたブルースのコード進行は〜」と A7, D7, G7 を押さえるポジションを指板図で教わる。うんうんとメモをとる。これを順番に弾いていけばブルースになるのか。
「じゃあAブルースでアドリブ弾いてみましょうか。バッキングとアドリブを交互にやるので、Aマイナーペンタトニックを使って弾いてみてください」
(↓こういうコード進行のうえに自由にアドリブを弾いてみましょうのコーナーがはじまる。みんなもいきなりやってみよう)
Blues Backing Track in A (90bpm)
え?
なんか、話早くないっすか?
なんか弾けるっぽい
レッスンは週1回。初回〜2週目はAブルースでバッキングとアドリブを交互に弾き、座学は音楽理論(各キーごとの♯や♭のつく音、コードの名前と構成音)を確認した。
「ブルースは同じ進行を回し続けるからずっと弾き続けられるけど、終わりがこないので、テーマ(=決まったメロディ)のある曲に変えましょう」ということで、10月下旬の3回目のレッスンからはジャズスタンダードナンバーの『枯葉』を始めた。
アドリブなんていきなり弾けるのか、と、多くの読者が疑問に思うだろう。でもやらされたから私は弾いてみた。もちろん初回はいまいちだった。スケール上で使える音をとりあえず鳴らしてるだけになり、あんまり音楽的な良さは自分でも聴こえてこなかった。
けれども、4週にわたって使える音の種類を段階的に教えてもらい、拡張していくと、週が経つにつれて弾くものが音楽ぽくなっていく(抑揚とか感情が伝わる)のが分かった。それは「まだ改善点がたくさんあって完璧ではないけれど、弾いてて楽しい」と思える状態だ。
つまり、どうやら、(下手なりにでも)弾けたっぽい。
これには自分でも驚いた。でも、「これならもっと早く習えば良かった!」というような後悔の気持ちは湧かなかった。
むしろ、これまでの独学期間が無駄ではなく、知らない間に基礎力が備わっていたことに気付いて驚き、「一人で悩んでいたころも無駄ではなかったんだ」と、いままでの自分を労ってやることができた。
例えるなら、ゲームのルールを知らないまま筋トレを続けていたけれど、ゲームのルールと立ち回り方を教えてもらって試合に参加したら、ちゃんと試合に追いつくことができて、はじめて筋トレの成果に気付いた、といったところ。
なにより、4年の独学期間がなければ「アドリブを弾けるようになりたい」という要件定義を導き出すことができなかっただろう。
だからよくある話のように「もっと早く習えば良かった!」とは思わない。私にとって「機が熟す」にはこれぐらいの時間が必要だったのだろう。そして機が熟したタイミングで、ちゃんと新しいことにチャレンジできた。それでよいと思っている。
練習内容と録音の公開
アドリブ練習の記録はGarageBandでバッキングとアドリブを重ねて録音している。ちゃんと曲の体裁を成せた録音は、自分のDiscordサーバー「喫茶マウンテンリバー」の「音楽室」チャンネルに投稿している。(現在はスレッド:「枯葉」に投稿)
学んだ音楽理論についても同チャンネルで投稿しているので、具体的に何をしているのか知りたい人はDiscordを見てほしい。
また、同チャンネルには私の他にも、ピアノ・DTM・アコースティックギター・エレキベースなどを練習中の人がいる。誰でも投稿ができるので、気になる方は見ていってほしい。
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喫茶マウンテンリバー 招待リンク
※招待リンクは予告なく削除する可能性があります。
ウェルカムメッセージはありません。こっそり参加もこっそり退出もどうぞ気兼ねなく。
Discordサーバー「喫茶マウンテンリバー」は山川夜高が運営している進捗報告&雑談用サーバーです。
各自が取り組んでいる作品の進捗状況を報告・相互監視したり、雑談用途に使えます。
小説進捗監視システムの詳細は、 創作TALK2024 〜小説執筆監視システムの構築〜 をご覧ください。
人前でも弾いた
12月上旬に教室内での発表会があり、私も『枯葉』のセッションで参加した。10月中旬の入学からまだ2ヶ月も経っていないのに、もう人前で弾くことになるとは思わなかったが、正直に言えば「ブログでネタにできるな……」としか考えてなかった。(そうしてできあがったのがこの記事です)
発表会では、コード進行やスケールを一部間違えたり止まってしまった箇所があるが、危惧していたほど壊滅的な演奏にはならなかった。初対面の教室の生徒さんから、2ヶ月でいきなり発表会に参加してすごいとか、演奏が良かったなどの感想を貰えて嬉しかった。
↓これは発表会用にゆったりテンポで練習していたもの(Discordにupしている録音のひとつ)
(発表会の録音もありますが、セッション相手に公開許可を確認していないため、インターネットで一般公開はしません。Discord「喫茶マウンテンリバー」に投稿していますのでお問い合わせください。)
レッスンに行くたびに必ずセッションとして合奏ができるのが、素朴に嬉しい。
思えば私が取り組んできた絵や小説は、自分ひとりで突き詰める活動で、基本的に共同で制作することはなかった。私は今まで根っからのお一人様のDIYで制作をしてきた。小説を書くこと(執筆)と本の体裁を作ること(装丁・デザイン・装画)は本来なら分業で行われるものだが、大学生のころ初めて同人誌を作るときに「他人に依頼するのが面倒くさい」という理由で装丁・組版を自分ではじめて今に至る。こうして私は小説〜装画〜装丁・デザインを全部自力でやるお一人様のなんでも屋になってしまった。
音楽に対して抱いてきた憧れの気持ちには、共同制作への憧れも多分に含んでいた。ライブでバンドの生演奏を見るたびに、それぞれ異なる他者であるプレイヤーたちが集まって一つの曲を作り上げていることに対して、心から尊敬の念を抱いていた。
プロのプレイヤーには全然及ばないけれど、音楽による共同制作の楽しみに私も指先ほんのちょっとを掠めることができたのではないか。実際、とても楽しい。
それと、どんな作品であれ、何かを作ったら人前に発表して反応を見た方が成長できる。小説であれ漫画や絵であれ、同人誌即売会や展示などの発表の場を計画して、〆切に間に合わせて作る・定期的に作り続けるサイクルを回すのはとても大切だと思う。習い事やサークル活動では、その発表のサイクルを短いスパンでたくさん回せるのでより良い。
改めて「才能について」
長々書いてきたが、これが私が最近取り組みはじめたギターについての話だ。
私は自分自身について、能力を絵と小説(視覚的な表現)にすべて注ぎ込んできたので、音楽の「才能」はないと思っていた。
でも、それは絵や小説と比較して音楽にかけられる関心が相対的に低かっただけで、音楽への関心が無いわけではなかった。今年の10月にやっと機が熟して、いままで二の次にしていた音楽の練習に積極的に取り組めるようになった。
けれども私が実感したのは「もっと早く始めればよかった」という後悔ではなかった。「人にとって機が熟すまでの時間はさまざま」であり、停滞にもきっと何かの価値がある。機が熟したときに、機を逃さず、思い切って世界に飛び込めればそれで十分なのだろう。
実際のところ、絵や小説と比較すると、自分にとっての音楽は趣味の域を出ないだろう。絵・小説と比較すれば、経験年数の差は埋められない。絵や小説のように作品でファンを獲得できるほどの実力をつけることは、音楽では不可能だと思っている。
でも、そもそも絵や小説はファンを増やすことを目的に取り組んでいるのではなく、作りたいものを作ろうとして取り組んできただけだ。音楽もそれと同じように、自分がやりたいことを楽しんで叶えられるような自力を得たいというのが今の目標だ。
とりあえず教室は1〜2年続けてみるつもりなので、これから私が何を考えていくのか楽しみだ。1〜2年後の自分が「大口叩きやがって」と文句をつけてくる未来もありえるが、それはそれでこのブログのネタになるから面白いだろう。
よくある質問:「取材ですか?」
補足として。
「小説への取材のために習い始めたのか?」と時々聞かれるが、これは明確に「作品の取材ではなく、自分のため」に弾いている。
取材は、作品をブラッシュアップするための活動で、小説の舞台である実在の街(『ファング』は高円寺、『シンガロン』は八王子)のロケハンをしたり、図書館や個人サイトで郷土資料を読んでいる。
ギターを弾くことはそうではない。完全に自分の楽しみのために弾いている。
だから、いまのところ私が小説作中の架空の音楽の再現を弾くことはないと思う。小説では、作中で実際に歌われる楽曲自体を、音楽を描写する文章でしか表現しないようにしている(一部の楽曲にはアルバムジャケットや歌詞などの情報もある)。楽曲にまつわる情報が作中で事細かに書かれていながら、楽曲そのものは欠落していて、読者には「聴こえない」という中空状態を重要視しているからだ。
小説登場人物のバンドマンについても、いずれも自己投影などではなく、私と異なる来歴や主義・思想をそれぞれ持った他人であることを大前提にキャラクターを設計し、そのうえで「ぼくが考えた最強のプレイヤー」としてそれぞれのミュージシャンを描いている。これは小説を読めば読者には伝わると思うけど、未読の方のために補足しておく。
本記事のテーマ
この記事は Fediverse創作展示会 Advent Calendar 2025 にあてた投稿です。
この「ギターを習い始めた話」はあまりに私的な内容で、人に言うタイミングのなかった話でした。エッセイとしてブログに書く良い機会をもたらしてくれた ノキさん にお礼申し上げます。
Twitterから流入した読者もいると思うので、Fediverseについて説明します。
Fediverse とは特定のSNSの名前ではなく、小さなSNSの集まりのことです。Fediverseの仕組みを使うと「自分のアカウント」ではなく「自分やグループのためのSNS」を自作できます。そのように作られた個別のSNSは、ActivityPub という仕組みを使ってサーバーを越えて相互にフォローし合えます。SNS同士のfederation(連合)により繋がるuniverse(世界)をFediverseと呼んでいます。
私は Misskey.design という一次創作者向けサーバー(ユーザー合計36000人、アクティブ人数100〜200人)を利用していますが、「Fediverse創作展示会」主催のノキさんはご自身用のひとりサーバーを運営されています。アドベントカレンダーの参加者にもひとりサーバーを運営されている方がいます。
Fediverseに住み着いたユーザーはみな好奇心が強いのだろうと思います。自分で自分のためのサーバーを作ってしまう人は珍しくありませんし、私のように汎用サーバーを利用している人でも、みな今まで使ってきたSNSを離れて新しい居場所を作りにFediverseに来たのですから、チャレンジ精神なしでは出来ないと思います。
好奇心や独立心が強いFediverseの住人に向けて「何かを始めるのに遅すぎることはないし、遅いと悔やむ必要はない。やってみたいことがあれば、いつか機が熟すから、そのときにやってみるといいよ、きっと楽しいよ!」と伝えたかった、というのがこの記事の主題です。
もちろんTwitter時代やそれ以前、私が高校生のときに作ったサイトの時代から私の作品を見てくれている読者の皆様(感謝!)にも、いつかそれぞれに機が熟します。そのときに楽しみましょう!
あと、音楽経験者の方、いつか機会があればセッションで遊んでくれたら嬉しいです。
……ここで終わったら良い話なんですが、そうはいかず。
※弊害
というわけで、ギターが楽しくなっちゃったため、小説の執筆が目に見えて滞っている。非常にまずい。
4月下旬に教室で小さなライブハウスをブッキングした発表会がある。教室でリズム体のサポートを用意してもらい、バンドでステージに乗れるそうなので、かなり楽しみにしている。いまは選曲を相談しているところだ。(ジャズかマスロックかプログレになりそう)
4月下旬が発表会である。で、創作の本業のはずの同人誌即売会は、4/5のTAMAコミと、5/4の文学フリマ東京42の出店を予定している。
ライブの練習で一番忙しい時期にイベントが丸かぶりしている。
もうお分かりだろう。

新刊は降誕できませんでしたということで。わっはっは
CM(イベント参加のお知らせ)
次回イベント出店は、2026/1/18(日)開催 文学フリマ京都10 です。
会場は京都国立近代美術館や京セラ美術館のそばの「京都市勧業館 みやこめっせ」です。関西圏の方、もし宜しければぜひ遊びに来てください。
書籍作品はすべて品質に自信を持って発表しています。買わなくて構いませんので、ぜひ本の実物を見にお越しください。立ち読みだけでも、それが思い出に残れば嬉しいです。
出店詳細は後日このブログを更新しますので、続報をお待ちください。
前述の通り、新刊はありません。逆に言うとしばらく新刊が出ないから、追いつくなら今がチャンスですよ(ポジティブ思考)
オチ
最後にもう一つだけどうしようもないエピソードを。
中学の友達から借りたギター、まだ返してません。実家で埃を被っています。
ま、Photogenicの安ギターだし……いっか……
![絵:明日未(作中バンド「This Earth Is Destroyed」所属・小説『シンガロン[DEMO ver.]』登場人物) ライブハウスの青い照明の下でエレキギターを弾いている、髪の長い女性の絵](https://libsy.net/wp-content/uploads/2025/06/20250609_teid_1350_s-448x640.webp)

![絵:晴れた海辺で白い日傘を差している明日未(創作バンド This Earth Is Destoyed メンバー・小説『シンガロン[DEMO ver.]』登場人物)](https://libsy.net/wp-content/uploads/2025/08/20250813_asumi_s-480x640.webp)

![絵:小説『シンガロン[DEMO ver.]』表紙。緑色のベースを持ってオレンジアンプの上に座っているカシマ](https://libsy.net/wp-content/uploads/2025/03/H1_sing-alone-demo_sample_s-451x640.jpg)


