Without Your Sound

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 その日の本番で、彼ら『Drive to Pluto』は実のところ前座だったのだが、詰めかけた人々がポカンとした顔や輝く目で彼らの音楽に丸め込まれたり魅せられる様を眺めて、「そういう顔好き」と僕に言った秋山氏にだけは納得した。歌もトークもメチャクチャながら秋山氏は楽しそうだった。田邊氏は寡黙なのが幸いして、プロフェッショナルぽくて舞台映えした。青野氏がマトモなお礼やマトモな宣伝を喋る係だった。良い塩梅だった。

 終演後楽屋へ向かった。秋山氏は電池切れを起こして、ソファの上で田邊氏に寄りかかってぐったり目をつぶっていた。青野氏は共演者と話し込んでいた。営業が上手い。じきに切り上げて、こっちに戻ってきた。

「本当は困ったんだろ」

 僕は頷いた。彼は苦笑して打ち明けた。

「俺もそうだよ。まだ困ってる」

 そうは言っても満ち足りた答えだった。

 自分より二つしか歳の離れていない彼らが、分からなさをものにしてステージの上に立っていることに、少なからず羨みを抱いていた。別に、日頃の、猫を撫でたり物を失くしたりする馬鹿馬鹿しい生活の様子は構わないんだけど、僕は彼らの音楽のありかたを憎悪していたのかもしれない。誰にも理解できない。本人たちも理解しきれていない。全ては煮え切らない。煮え切らないのに生まれるもの、生まれなければならなかったもの。

 優しく芽生え始めた怒りのような憐憫の気持ちで、熱に浮かされたまま口走った。

「写真撮っていいですか、みなさんの」

 青野氏は迷わない。

「いいよ」

 秋山氏を起こし、秋山氏はうたた寝なんかしてないと言い張り、三人並んでソファに座った。僕ははじめてのシャッターを押した。構図はまったく面白みもなく可もなく不可もない日の丸。

 

 事務所の裏にある異国風ラーメン屋が『ワール』というダジャレの店名だということを、その夜打ち上げという食事会に連れて行って貰って知った。安パイのひとつであるサイゼリヤンラーメンは、名前だけはイカれているが、トマトソースにチーズと温泉卵が乗っかったマトモな味の創作ラーメンだった。秋山氏が食っているのはメニューにはない「おこさまセット」の日本ラーメンしょうゆ味だそうである。あまりラーメンは好きではないと秋山が言う。「でも味玉たべたいの。味玉すき」

 シベリアンラーメンはワンタンの代わりにピロシキを乗せたボルシチスープだった。アジアンラーメンは無国籍なエスニック料理だったが、山盛りの薬味で麺が隠れていた。青野氏はオリオンビールを美味そうに呷った。今夜も客は僕らを除いていなかった。この渋谷の地で繁盛していけるのか危ぶまれるが、変わり者のリピーターによって食い繋いでいるのだろう。ピロシキを口に含んだ田邊氏がむせ返り、水を求めるのを見て、青野氏が一言「ロシアンルーレット……」と苦笑した。貴重なリピーターにも慈悲はないらしい。遠からぬ日に潰れるに違いない。

 店内の世界地図の主要都市に丸印がついているのは、店主が行ったことのある街なのか、ラーメンメニューを意味しているのか。店主がサービスで餃子サイズのピロシキを作ってくれたが、先のロシアンルーレットのアタリを目の当たりにしている僕らは恐る恐る箸でつついた。

「ところで作曲って誰がやってるんすか」

「え、誰だろう」

「おまえだろ」と田邊氏が秋山氏に。

「あ、それでいいの、じゃあ聖クンが作曲してる」

「聖が作って」

「俺達が整えてる」

「で、もう一回聖に戻して」

「青野クンが歌詞つくるの」

「ぜんぜん上がんないけどな」

「書くのが遅いんだよ」

「でー、それで見てみて、良くなってできあがり」

「聖が原案作って、俺達もアイディア出して、原案が固まってから作詞して、それで全部合わせてみるって順番。だいたいね」

「じゃあ皆さんの作曲なんすね」

「そう」

「Drive to Plutoで」

 帰りの電車で三鷹までの間、黙り込んだ田邊氏と、秋山氏の焦点のないお喋りに適宜相槌を打った。

「三鷹だから、吉祥寺からも、まー歩けて、どっちもなんだけどー、ちょっと歩くから」

「三鷹が地元なんすか」

「地元じゃないけどいっしょなの」

 別れ、改札を出て、家路を行く、夜遅い通りに僕の足音が響く。歩調がリズムを刻むと、その一定の間隔によって引きずり出され、夜道の静寂のなか、僕は思い出した。さっき聴いた聴き慣れない音楽を。メロディが頭のなかに居座っていた。でもそれがAメロなのかサビなのか、それともイントロかアウトロだったのか思い出せない。たった数十秒の断片が頭のなかで何度も何度も、歩調に合わせて再生された。

「生殺しじゃねーか」僕は呟いた。曲名も知らない。でもさっき演った曲のどれかである。思い出せない。思い出せないけど、肋骨の裏側から心臓をかすめていくように、震える音響の感触をひたすらに何度も思い出す。歌を、音色を。ノイズに阻まれた向こう側の風景を。思い出しているのは歌だけでなく、歌で覚えた感情だった。歌から滲み出す甘い風景。手を引いて走りだすような、寸前の予感。とっ散らかっている。かき回されている。僕は腹立つ。訳が分からないくせに、繰り返されるフレーズが切ないのだ。切なさに無防備にもえぐられなければならないことへの怒りのやるせなさで泣きそうだった。なんで、なんでたかがバイトで、オレまで狂わなくちゃならないんだ。

 思い出す。一回聴いただけの歌が思い出される。けれど一回聴いただけだから、何も確かなことが思い出せない。正解を聴けばこの無限の回想も終わりそうだ。けれど、手元に正解がない。だから、思い出すことが終わらない。眠れないかと思った。ちくしょう、マジで。マジで、たぶん。

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