Without Your Sound

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 それで、事務所は端整なオフィスビルでもなんでもなく、雑居ビル兼マンションの一角を借りてるだけのようで、頭の悪い感想だが、秘密基地とか、アジト、そういう観念を思い出した。

 住所に書かれた部屋番号には確かに名刺と同じロゴマークでFinedge Recordsと掲げられていた。入り口のドアはガラス戸で、ロゴマークのほかに色々なステッカーがベタベタ貼られている。チャイムを押すと、中にいた人物が僕を見つけ、戸を開けた。

「はい」

 二十歳過ぎで僕よりいくらか歳上らしそうな男が出てきた。黒のロングTと黒いジーンズで、身体の線が細く、頭髪を片側に流しているのがモードというかキザというか。組織の偉い人物には見えない。

「あ……えーと……名刺を貰ってまして、五時に木場社長に呼ばれてるんですが」

「はあ」

 初耳という表情である。

「太陽さん、今日は見てないですねえ……まあ……日が暮れたら戻ってくると思うけど」

 と、首を捻りながらも僕を中へ通した。

 スリッパがあるから靴を脱ぐように言われ、上がりこむと間取りはマンション同然だった。玄関からすぐの居間に応接用の椅子とソファがあり、ソファにまだらの長毛猫が丸まっている。

「掛けててください。コーヒー? 紅茶? 松田くんはほっといて大丈夫。その辺猫っ毛ばかりなんで気をつけて」

「松田くん?」

「猫の名前」

 壁面の書架にレコードの紙ジャケが堂々と並んでいる。チェストの上にレコードプレイヤーとCDプレイヤーがあり、家具のようにご立派なスピーカーが両脇に控えている。

「今、僕しかいないんですよ……すいませんね、待ってて貰えます?」

 社員らしき彼が松田くんの隣に腰掛ける。目覚めた松田くんが別室に退散した。

「知らない人がいるからねえ」

 応接椅子に腰を下ろし、熱い濃いコーヒーを少し啜る。

「それで、どんなんやってるんですか? バンド?」

 沈黙を埋めるために彼が発したであろう世間話としての問いは意味不明だった。「いや。また新人入れるのかなって。俺らも二年前に入れてもらったから。あ、何かあったら聞かせてくださいよ。というか太陽さんの聞きます?」

 と、噛み合わない会話のまま、彼は壁のレコードを一枚選びプレイヤーに針を落とした。柔らかなアコースティックギターのイントロが流れ、上に乗るメロディはオッサンのデスボイスだった。バックに、リズムのズレた鈴の音がシャンシャンシャンシャン……と鳴り続ける。

「ポストロックの走りですよね、70年代! 80だったかな。まあ気持ち悪いことに変わりはない。世間的には暗黒舞踏とセッションしたときの盤の方が人気なんですけど、本人曰くこっちの方が良く出来てるって言うんで……」

「待って。ここどこっすか?」

「ファイネッジレコーズ」

「レコード会社?」

「まあ、そう、レーベル」

「音楽会社」

「というか音楽屋の自衛的な連盟っていうか、そもそも太陽さんがミュージシャン仲間をつのって営業・流通しやすくなるように立ち上げた組合だったのが始まりで。まあ小さいながらもほどほど当たって、新人を育てる余裕も出来て、今に至るってわけ。

 俺も分かったことがある。きみ太陽さんにテキトー言われて来たんでしょ。一杯食わされたんじゃないの? それとも押し付けられたのは俺なのかなあ」

 居心地の悪い前衛を聴くうちに時刻は六時を回り、窓の外はすっかり暗くなりはじめていた。

 突然窓が開く。誰も触っていない。地上七階だと言うのに……直後、大きな声の主が窓から登場した。

「さあ青野くん欲しかった助手をプレゼントだ!」

「うわああああ!」

 思わず叫んでしまったが、現れたのは額にティアドロップのグラサンをかけた木場太陽その人である。

「やあ毛利くんよく来たね。ファイネッジレコーズへようこそ! おや松田くんはどこに行ったのかな?」

「向こう引きこもりました」社員の男は慌てない。太陽氏がレコードを止めた。

「話が半端になってたね」

 太陽氏は猫毛を気にせず松田くんの席に腰を下ろして僕と向き合う。厚い前髪に遮られて、三日月型の口角のほかに表情を伺えるパーツがない。それだけ前髪が厚いのだからサングラスをかける必要はなさそうである。

「端的に言うとヒマならここで働かないかって話。薬局の時給以上は出せないかもしれないけど、規則は格段に緩くするし冷蔵庫の中身はチャージすれば食べ飲み放題だ。通いづらいなら無理に勧めないけど、まあ悪いようにはしないつもりだよ。ここにいる連中は絶対薬局よりも愉快だ!」

 即ち、人手が欲しかった。特に専門性は求めておらず、事務補佐、つまるところ雑用係を取り急いで求めていた。求人広告を出す程でもないが、人手があれば便利だし、数日で辞めたってこのまま居座ったってまあ別に構わない。人員を探すのは簡単だった。だってここは大都会渋谷、求人広告掲げて待つよりも、目に留まった路頭の暇人に声を掛けてった方が早い。

「きみにも決め手はあるんだよ。猫の写真がそこそこ良かった。あとは若いに越したことはない。僕の世代が中心メンバーなんで、どうしてもオッサンばっかになるからねえ」

 差し迫って今夜、人手が欲しい。とりあえず一晩の短期雇用で様子を見ようではないかと太陽氏。

「内容は掃除の補佐または監視だ。翌朝が渋谷区の燃えるゴミの日なんだが、見よこの、惨状」

 通された隣室はデスクワークスペースで、机上に数台のパソコンと書類の山が用意されているが、書類の山はどう見ても整頓を欠いた過剰な山積みだった。床に空き缶と空き瓶とペットボトルが散乱、コンビニ弁当のプラスチック容器がパソコンのキーボードの上に積み上げられ、空気が篭り、猫も近付かないだろう。

「そうだね〜、〆切が近かったもんね〜、なんせ昨日の36時間で20本書ききったもんね〜、疲れちゃったよね〜」

 若い社員が猫撫で声で別室の松田くんをあやすのが聞こえる。

「彼は愚行が趣味だけど素直で良い人だから仲良くするといい。ね、青野くん、青野くん!

 収集は明け方に来る。泊まろうが何しようが好きにすりゃいいけど、ちゃんと、や・っ・て・お・け・よ。

 でなきゃ、何らかの約束が立ち消えることだって考えられるんだからね」

 脅し文句を残し、「途中で帰らないように見張っといて」と僕に最初の司令を出して、太陽氏は再び窓を乗り越え姿を消す。

「隣の建物に住んでるから窓から出入りしてる」と件の青野氏が言う。

「オレの給料は?」

「さあ。それはさておき何か食いにいかない? 終わったあとじゃ閉まってるかもしれない。いや、君は帰ってもいいんだけど。希望がなければこっからすぐのラーメン屋で」

 いつ終わるのか分からない仕事が、そんなマイペースで終わるのかと、そして僕の拘束時間はいくらになるのかと、色々の不信感を拭えない。

 事務所のビルを出て、すっかり暗くなった通りを行く。人通りが軽減することはなく、昼間と同等に路上は声と雑踏でやかましい。夜は寒いとはいえ身体の芯まで冷えることはなくなって、季節はぬるい春に包まれ、何もかもがけだるいなか、初対面の男は親しげにひょうひょうとしている。

 

 横丁に分け入った場所にある小さなラーメン屋で僕は中華ラーメンを、青野氏はボヘミアンラーメンという謎のメニューをそれぞれ選んだ。安パイと思われた中華ラーメンは激辛の麻婆豆腐乗せラーメンで、ボヘミアンラーメンは塊のグリル肉が器を占めていた。真の安パイは食券機右下にボタンがあるため最も目立たない「日本ラーメン」だという。

 汗をかきながら激辛熱々麻婆豆腐を口に含む。店内に客は僕らの他にはいなかった。壁は万国旗で縁取られ大きな世界地図が貼られているが、図の中心は太平洋ではなくインド洋だった。厨房に立っていた店主の顔は日本人でなかったような気がしているが、いつの間にか姿を消している。

「アメリカンラーメンはやめといた方がいい。自分でラーメンをグダグダになるまで茹でてビッグマックセット突っ込むのと変わらないから」

 その他各国メニューの解説を行う青野氏は喋り続けながら慣れたペースで肉塊を腹の中に片付けていた。色々尋ねられたのだが、激辛麻婆豆腐と戦う僕はロクに返事ができなかった。

「というか、名前なんだっけ」

「あ、……毛利信護っす」

「モーリ、シンゴ」青野氏が繰り返した。「モーリね」味わうみたいだった。

 飯代は青野氏におごってもらった。油と香辛料に胃壁を荒らされ、唇はまだ熱く、目の冴えるような満腹感である。痩せ型の青野氏のどこにボヘミアン肉塊が収まったのか定かではないが、全く苦しそうな様子はなく、食休みもそこそこに店を発った。

 唇が夜風に冷やされる。掃除がどの程度のものになるやら想像が付かないながらも考えていると、青野氏は金を下ろす用事を思い出したと言い、僕に鍵を預けて先に行くように促した。

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