ミッドナイト・ヘッドライト

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 スタジオを出て、疲労で深夜のファミレスになだれ込んで、しかしなんにも食ってないのに食欲が湧かず、飲み物だけで粘っていた。

 食欲はないようなのだが、秋山はやたらハツラツとしていた。

「あのさあ、曲名、どうなったの?」

「それ明日じゃダメ?」

「ダメ。今日って言っただろ」

 正直『Drive to Pluto』以上の案は思いつかない。あれは偶然のヒラメキだったのだ。

「強いて言うなら、『ミッドナイト・ヘッドライト』とか」

「え、まだクドい、そうじゃなくて、もっとカンタンにしてほしい。『スピードメーター』とかそれぐらいの」

「それでいいんじゃね」と田邊。

「あっ……」

「俺もう帰っていいかな……」

「あ、ちょっと使いたいから、ベース置いてってよ? それとね」

 手渡されたのはホワイトリゾーツのチケットだった。演目『偶然の音楽 Vol.4』はネコマイゴと出会ったあの日のライヴと同じイベントで、5組ほどが出演するそのなかにネコマイゴの名前もある。

「明日じゃん。しかもトリじゃん」

「そ。だから空けとけよ」

 明日は月曜日。田邊はバイト、俺は講義。日中の秋山が何をしているのかはちょっと聞けない。ボックスソファに腰掛ける今がわずかな休息のひとときだった。

 皆黙り込んでいるなかで、溶けた氷をストローでつつき回す秋山は、窓の向こうの夜の街を見据えて、今夜は晴れてるねとでも言うような口調で、「殺した人が捕まったね」とごくさっぱりとした調子で呟いた。

「なにが」

「殺人事件の犯人が14歳のコドモだったの」

 俺は報道を知らなかった。テレビも新聞も見なかったが、殺人事件のあらましは聞いていた。子供の首を切り落として遺棄。一件は残虐すぎて冗談にしか聞こえず、俺もそれを語った友達も話半分で受け取っていた。

「ヘンな顔しないでよ。言いたかっただけ。こういうのなんて言うの、感慨?」

 大学生の与太話なのだ。秋山聖のセリフではない。

「ガキに刃物を持たせちゃいけないの。すぐ切れ味を試そうとするから。切っても治るものなんてそうそうないのに」

 面食らって黙っていると「だからそんな顔しないでって」と苦笑を返された。

「でもキミは知ってるんだろ。キミだったら、きっと見えてるだろ? ダイジョーブだよ。キミは分かってるから。いろんなものを見てるんでしょ。そういうのを書こうとしてる」

「聖」と田邊が声を掛ける。

「わかってるよ」影が落ちる。

 グラスの底に残った氷をあおって俺に向き直る。

「期待してるからね」

 そうしてその夜は解放された。

「じゃ、明日よろしくね~」

 閑散とした各駅停車で帰った。流れる街灯を目で追おうとして、窓辺に見えたのは反射した俺の眼差しだった。

 流された時間のことを想うと、血マメが出来てつぶれて硬化した指先だけが日々の根拠となりうる気がした。

 自宅に辿り着いて気付いた。その日はその年の七夕だった。

 グッタリ疲れながらも1限には出て、マツヨ君をライヴに誘った。

「あ、あれかおまえあの歌わないバンド入ったの?」

「そう。気付いたら入ってた。昨日レコーディングして。あと歌詞書いてた」

「いや歌詞って。歌ないだろ、ないのになんで」

「歌詞カードつけない歌もあるだろ? 洋楽なんて歌があっても俺たちは意味なんて気にしてないし。じゃあその正反対もあっていいんじゃないかって、俺は思うよ、俺は、だけど。やりたくないならやらなきゃいいし、やらずに済むならそれでいい。理由なんておいおい聞くよ。今は誰も困ってないから。でも本当のところはどうでもいいかな」

 ぼんやりとそんなことを答えた。

「ネコマイゴさぁ、なんかおっかなかったから観るの怖いんだよね。いやおっかないっていうか取っ付きにくいっていうか」

「ヘンだよな」

「そうそうそう、まあヘンなんだよな」

「で、来るの?」

「チケットくれるん?」

「買わなきゃない」

「音研のセンパイ誘うのは?」

 それも何だか嫌になってしまって、適当な時刻になるまで大学図書館で時間を潰した。珍しく活字本ではなく写真集を手に取っていた。建築だったり、人物だったり。音もなく静止したページの端々に、息を潜めて採取してきた、物珍しくて手の込んだ現実がたくさん写っているという感想を受けた。俺ひとりの頭では授けることが出来ないほどに人々と街はそれぞれ異なり数えきれないバリエーションを抱えていた。改めて、無限に存在する他人というものに驚いて、息が詰まりそうになった。俺はそれだけの振れ幅を逃げずに見出して見つめ続けることが出来るだろうか。俺にそれだけの寛大さがあっただろうか。音楽の中に住まう彼ら、たとえば『スピードメーター』のあの男は、この世の中の膨大さにちゃんと応えられていたんだろうか。あいつはなんとか走り抜けた。でも俺は、なんというか、振り落とされている、不意にそんな確信が図書館の静けさのなかで真に迫った。「こっち」を不在にするうちに「こっち」の居場所は閉ざされてしまった。どこか隙間が空いたとたん空間は駐車場になり家が建ち、街の用途に淘汰される。隙間のままの隙間なんてそうそうない。

 なんというか、ジゾ君は立派なヤツだったのだ。迷って弱音を吐くことにさえ芯が通っていたように思う。

 俺の空間を守ってくれる人は、自分以外に誰もいないということだ。途方に暮れてページを眺めていたが、腹をくくってため息をつく。

 俺の中を覗いても闇しかないよ。

 俺に限ったことじゃないけど。こんな御託は上澄みに過ぎない。自分自身のことなんてどうやって覗くんだ。

 カメラの内部は暗室なんだし。

 この目は外を向いているんだし。

 じゃあいいじゃないか。自分のことなんて考えないで、俺は出歩き、素直に見つめていればいい。今夜はライヴだ。一旦気持ちを休めるために家に帰って昼寝した。そういえば、夢ぐらいしか、自分を覗く手段はなさそうだ。

 多少ウトウトしてから服を着替えて、軽食をとってホワイトリゾーツに向かった。関係者チケットなのか整理番号がやたらと良くて、けっこう前の方に陣取った。今夜は思いのほか盛況し、周囲には大学生ぐらいの男女がたむろしていた。隣の男女グループがうわさ話に興じていた。

 ――そう、別に顔は良くないよな――○○君が言ってたんだけど――ああ、似てる似てる――あの金髪の人リスバンしてるのって――ジショーでしょ――アタシ見たよ――○○○○ってパクリだよな――

 フロアは身も蓋もない。閉口しているとライトが消えて、スタートだ。

 スポットが灯って音楽が響けば、さっきまでの連中も踊りはじめる。都合が良いものだ。そう思いながら俺もゆったりと楽しんだ。

 でも、音楽を前にして、不思議と感覚はどんどん内省へすぼんでいく。俺ならこうする、俺はこうしたい、俺はどうだろう、そんな狭い我のなかに気をとられて、気付けば1曲終わっている。目の前で繰り広げられる音楽を、聴くことだけに専念したかった。だって、ライヴだ。音楽は、今この瞬間しかないのだ。

 次こそは聴くことに集中しよう、何も考えるまいと、これも本末転倒な話だがそう考えているうちに、あっという間にトリを迎えた。

 誰かが言う。

 ――ほら、リスバンしてるでしょ――

 考えるなよ。ゴシップなんて。

 ステージに立つ彼らとほんの少し目が合った。でも特別にメッセージは交わし合わず、フロアの動きに乗じて俺は最前列バー前に移動した。

 MCはない。笑顔もない。ステージ上で最後のチューニングをし、目配せし、簡単なあいさつをし、カウントを刻めば一瞬だ。

 轟音がはじまる。

 夜の疾走。

 音楽の絶叫。

 考えるまでもなくやっと気付いた。考えないように努力するんじゃなくて、素直に連れ去られてしまえばいい。圧倒されてしまえばいい。音楽がうたうオルタナティブの世界へ。歌と熱狂のなかだけにそびえるもうひとつの現実へ。流れる時間へ、陶酔へ。渋谷ホワイトリゾーツのこの瞬間この眼前に、街の中を歩き回って探した〝ここではないどこか〟への風穴が口を開き始めていた。

 田邊は冷徹だった。一切ブレずに精確そのもので執拗に刻み続け、そこに秋山のバカテクのパワープレイが合流する。滅茶苦茶に踊り狂っうギターをドラムは守りまた支え続け、ギターはそれを知っていて全面的信頼を寄せながら、自らは異様な工夫による息もつかせぬ奏法でドリーミーでスピーディな爆音を企てていた。

 そして轟音の向こうにかすかに、聴こえたのは歌声だった。彼は叫んでいた。少年みたいな無垢の声が自らの発するノイジーな電気の音楽に飲み込まれてうずもれていた。大量のエフェクターを抱え歪んだ独学の奏法で音を生み出す孤高のギタリストの、苦しげで晴れやかな、唯一のクリーンサウンドが歌声だった。

『ロストキャット』の一節で秋山が顔を上げ、輝きしたたる汗のなか、目を見開いて遠くの一点を射抜くように無心でギターをかき鳴らしながら、かすかなる歌を絶叫していた。

 ゾッとする喜びに満ちていた。

 心音とビートの区別がつかなくなって、胃の底が冷え冷えとして、輝くなかで目と耳ばかりが爛々と音楽を喜んでいる。

 だから、彼らは凄かったのだ。秋山聖がこじ開ける風穴の向こうをもっと近くで見たかった。

 暗闇のなかで閃光を背負って、5曲を続けて演奏した。

「ねえ」

 水を一気飲みして、口を拭いながら、マイクを掴み秋山がその日はじめて声を聞かせる。

「今日はホントーにありがとう。今日は、ずっとやってきた、リゾーツで、やらせてもらえて、……うれしい」

 歓声を制して、秋山は続ける。

「次の、曲でサイゴなんだけど、あの、言うことがあって、うまく言えないから、あっと、トクジン、ドラムの、に、言ってもらう」

 ドラムセットのマイクを田邊が取る。秋山は目を伏せ、息を整える手慰みに小さくメロディを奏でる。よく聴くとそれは『角部屋の窓』だった。

「ネコマイゴです。どうもありがとう。
 2つ、大事な話があって。
 まずはじめ。
 ネコマイゴは、今日をもって、活動停止します」

 フロアがどよめく。俺はまっすぐ田邊を見つめていた。田邊もまっすぐに静かな眼差しでフロアを見据えていた。

「でも、止めるわけじゃないんだ。ネコマイゴは止めるけど、新しい、バンドを組みます。俺たちは生まれ変わろうと思います。俺たちは次のステージに立ちたい。もっと面白いこと、もっと高みを目指したいから、新しいスタートを切る。
 そう。……進化。進化しようと思ったんだ。
 進化するためにバンド名を変える。そういうことなんだ。形を変えるけれど、俺たちの活動は続いていく。
 新しい名前は、決まっている。だから、今日はそれを、知らせに来た」

 秋山がマイクをひっ掴む。フロアの目線が釘付けになる。期待を受け、間を伸ばし、タメに溜める。ざわめき声が潮のように引き、来る大波の予感を誰もが察した。溢れ出しそうな期待が臨界に達したその瞬間、凶悪にニヤリと笑って宣言した。

「……ドラーイヴ! トゥー! プル──ト!!」

 熱狂のなか、俺だけが、間抜けな叫び声を上げた。

「そして新メンバーが入る!」

 と田邊が鋭く叫ぶやいなや、ビームライトが最前列バー前を突き射した。眩い光が、ピックを手にした秋山の右手が、俺の眉間にまっすぐ伸びる。顔を覆う手を俺の意思が振り払い、目を瞬かせながら俺はまっすぐに見開いて光を射抜き返した。秋山聖がそこにいた。宣告の絶叫も歪む口元も、輝く一言一句ぜんぶ覚えている。

「ベース・青野あおの理史さとし!」

 歓声を背中に浴びて、半ばフロアを押し出されるように最前列を守るバーをくぐり抜け、秋山の子供みたいに細い手を掴んだ。引っ張りあげられて1段高いステージへ昇る。ステージ脇のギタースタンドに俺の4弦が待っていた。

「チューニングは済んでるよ」と秋山がささやく。「さぁ、たった1曲だ」

 眩んだ目をこすりフロアを振り返れば後方の表情までよく見える。俺はいつもそうやって見ている。見ていた。見て、触ろうとしていたのに、生きた人々や街の奇跡の一瞬には、本当は触れる余地がないことに気付いていた。それでもなおこの街を掠めようと、人々に触れようとして言葉を書きつけていたのだ。この奇怪な都市とそこに集う人々に会いたかった。会って、話して、本当は触れたかった。てんでばらばらなみんなの世界をこの手で繋ぎとめてみたかった。それがきっと俺の愛で、俺にできる愛を探しつづけていた。

 いま、見ている俺はみんなに見られている。偶然集まったみんなが今日のフロアを満たしている。ここに生まれる終わりとはじまりに、会いに来てくれて、見届けて、見守ってくれている。

 追いかけていた意味はこの左手と右手を使って収まる不思議な形の機械が鳴らした。

 世界が両手に収まるという矛盾が、いまこの手のなかに存在している。俺はこれの弾き方を知っている。鳴らせば鳴り、合わせれば合う。俺はドラムスとギターとの合わせ方を知っている。リズムとコードの進行を司るのは俺だ。ベース。サイコーだ、大役じゃないか。

 腑に落ちて泣きそうになったけど、涙をこぼすにはまだ早い。

「一応コメントでも貰おうか」と田邊が回す。俺は、実はと言えば、こんな境遇にもしも陥ったら、絶対に言ってみたいことがあった。とびきり明るく確信に満ちて、たった一言宣言する。

「――ない!」

 言葉を超えた世界には言葉以上の意志が充満していた。

「カンペキ」

 口パクで俺にそう伝えて、秋山はマイクに向き直った。

「これは、ネコマイゴのラストライヴ! そして、Drive to Plutoの、新曲初披露!」

 そして、このオルタナティブ上の全人類に告げたのだ。

「ネコマイゴでしたァ――! そして……Drive to Plutoで――す!!」

 

 カウント。

 それがはじまりだった。

 

* * *

 

「で、今、EPの復刻?」

「そ。いいでしょ。セルフカバー。次の5thと同時リリースしよ。『変わりゆく/変わらないDrive to Pluto・大人とコドモ・あの頃の衝動と成熟』とか言って、見出しに書かれようよ」

「あれ、まあ、あれ、『ロストキャット』なんて化石になってんじゃないか」

「しっかしいつもながら突飛だなあ」

「リエコちゃんには言ってあるから。そしたらね、リエコちゃんも、リテイク? リメイク? したいって。そんでもう実は描きおろしてもらっちゃったんだから、これはもうやるしかないね」

「アレだ。それならお前もさ、ライナーノーツとか、記念になんか書けよ」

「本当に、本当に、おまえら、その土壇場のサプライズ根性、やめよう?」

「でもやってくれるんでしょ?」

 

「青野クンもね、好きにやるといいよ」

 

 今もまだはじまりつづけている。

 

2019.11.11 全文公開
本作は多摩美文芸部OB会誌『あげぱん』に掲載されています。

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