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 ──ああ、もしもし。うん。三鷹っつったけどさ、荻窪まで出れねえ? 混んでるかなって。土曜だし。うん。ああ、分かった。11時。あっ、じゃああそこのスタンドの前。そこそこ。そこにいてよ。ハハハ……

 

 助手席に靴を脱いで体育座りの秋山聖はカーステレオに気に入りのドライブ用ミックスをかけ、窓を開けてルート125の疾風を車内に招いた。今しがた久喜ICを降りたところだった。金髪が風になびき目を細める。エアコンの臭いは嫌いだった。

 後部座席にはボストンバッグ一個にまとめたさして多くもない荷物とどこにでも売っているような東京土産の菓子箱、および田邊徳仁が腕を組んで窓の向こうを目で追っている。

 車は酔うと吹聴してまわる聖も青野理史のドライブは好きで、曰く、ブレーキがていねいだから乗れる。突拍子のないドライブを提案するのは聖4割・青野6割。明日帰省する。どこ? 茨城。ついてく。そんな感じでとんとん拍子だった。常日頃から懇ろな仲でもない。田邊は徐々にスタジオミュージシャンの見習い事を重ね、大学2年目の青野は学業を抱えている。一方の聖が何をしているのかは誰も気にしていなかった。

「帰省するってどんななの?」

 聖も田邊も都内西部に生まれ育ち、田舎を持たない。

「電車でも2時間かかんないから、旅愁とか、そういうのは無いんだよね」

 55km/hを正確に守るようアクセルを加減しながら青野は溢す。「気恥ずかしいというのかな」

「どんなところ?」

 今度はちょっと言葉に詰まる。「なんにも無いんだよ」

 なんにも無いっていうことはないだろと、聖は胸のうちで反論した。

 与太話とすてきな音楽が流れるうちに車は大きな川を渡った。「これなに?」

「渡良瀬川、いや、利根川か」上流で利根川と渡良瀬川が合流するんだけど、「渡良瀬川の方が、俺ん家。もうすぐだよ」

 聖が窓を全開にし青い川を見送る。まったく犬か猫のようだと青野は苦笑した。

 木造一軒家と、右手に水田と畑が広がる。建物より広い駐車場を構えた、土地を持て余すスーパーマーケット。左手に折れ、高架を走る宇都宮線と並走する。

「ここまで来ると街っぽくない?」

「なんかやだ。拝島っぽい」

「どうなの、徳」

「山が見えない」

「そういうこと」

 クイズの正答に運転手は笑む。「関東平野ってそうなんだよ。上京してはじめて坂道を見た」

「なんだって?」

「ウソだよ」

 特徴に欠けた平らかな風景を走る。大通りに出るとその平坦さは顕著に現れる。舗装道は透視図法の解説のように遥かの消失点まで伸びている。

 大通り沿いの商店にくすんだうだつが並ぶ一方、駅の方には一軒だけ新築のタワーマンションがそびえている。道を折れて住宅街に分け入り、何ブロックか走ったのち、月極駐車場の「お客様用」とある一角に車を停めた。不審がる田邊に先手を打って答える。「いいよ、こっからここ、うちのだから」

 ボストンバッグをかついで数軒先まで歩くと、黄色い壁面の小さな床屋がある。

『Hair Studio GLAD』、赤青白の渦巻き看板が回っている。

 押し戸を開けると、ドアベルが涼やかに鳴った。

 

 客ひとりいない『GLAD』店内。椅子二客にシャンプー台が一脚。とりとめのないヒットソングが有線で延々と流れている。回転椅子に腰掛けて女性誌をめくっていた青野の母が目を見開く。

「ちょっと、尋子ちゃん!」

 息子そっちのけで奥の間を呼ぶ。ドタドタと二階から髪の長い女が駆け下りてくる。

「理史! あんた帰ってくるならもっと早く言って、って、ひと連れてくるならなおさら言いなさいよ!」

 苦言を呈する彼女の口調が母に似てきた。「これが姉、こっちが母」登場人物紹介を以って小言を打ち切る。「こっちが田邊くんで、こっちは秋山くん」

 意思疎通の雲行きの怪しさを感じ、会釈しながらも田邊は目を逸らす。突然の来客をぽかんと眺めていた青野家だが、じきに青野尋子の目の色が変わった。

「……かわいい」

 聖が田邊の背後に隠れる。小柄な体格と犬猫的にきままな言動は世話好きの女性に気に入られがちで、今までも何度か甘んじてきた。しかし青野姉の眼差しに対しては「なんか怖い」の感情が勝る。

「なんだこの生き物! かわいいなあ? 理史これもらっていいの?」

「駄目駄目、そっちは天然記念物だから」

 聖の手を引き、代わりに田邊を前へ押し出す。「こっちは丈夫だから。全部コースでやっちゃって」

「は?」

「ほお……おにいさん、ちょっと髪伸びてきたでしょ、いいねえ」

「いや」

「『安眠コース』ご新規一名様、こちらにお掛けになってお待ちくださぁい」

 と女に押されて為す術もなく田邊は席に着いた。「おい、てめえ、青野!」

「終わる頃に戻るよ」青野はどこ吹く風、聖を連れて逃げ出してしまった。

 青野尋子は下ろしていた髪をさっとポニーテールに結い上げて、鏡越しの田邊に満面の笑みを向けた。その鼻筋の通り方が青野理史に似ている気がする。ジョークとサプライズへの順応性の高さも。

「さ、本日はどう致しましょうか?」

 

「よかったの、あとで怒るよ」

 一人を置き去りにして颯爽と散歩に出てしまったことに聖はごちる。

「怒んないよ、あれでいてうちの姉は上手いらしいし。ま、タダで散髪できるんだから」

 晩夏の町はじりじりと暑かった。道はまっすぐで平坦でコンクリートで固められ、どこにも熱の逃げ場が無かった。

 棒アイスのミルク味を二本買って、軒先の日陰で食べた。

「弱るんだよなあ。あれは無理やりにでも髪切らないと気が済まなくてさ。だから帰るのも億劫になっちゃって」

「床屋だったんだ」、はじめて知った。

「父母が理容師、姉も理容師だけど美容師もできる」

「理史は?」

「ベーシスト」

「わけわかんない」

「全くだ」

 風がそよげば気持ち良いが、次第にうなじに汗が滲む。

 聖は町を眺めた。時折妙に古ぼけた商店や、蔵を改装した小さな資料館があり、地方都市に独特の歴史や因果の片鱗を感じる。しかしそれらを加味してもふつうの住宅地だ。平坦な、どこにでもある、二階建ての町並みが続く。

 理史の生まれ育った町。彼のなかの風景。聖は考える、他人の思い出の内側を歩く不思議を。

 聖と田邊で組んだバンドだった。一年前に青野が加入した。初対面では凡庸な奴だと思っていたが、彼の詞を読んで気に入ってしまい、メンバーに引き入れるまではとんとん拍子だった。

 彼の視点が欲しかった。彼の見ている世界に触れたかった。あるいは彼に、自分の見てきた物事を代筆してほしかったのかも知れない。

 リストバンドが汗ばんできたから外した。途端にむず痒いような気がして、掻きむしりたくなるが、Tシャツの裾に幾度か擦り付けるに留めた。

「どこ行きたい?」そう問う青野も、ここにはなにもないと分かっていた。

「面白いところ」聖も答える。そんなものはないと分かっていながら青野の呈する答えを聞きたい。

「駅の方まで歩こうか」

 あまりにも遮るもののない広すぎる空の下、ふたりは歩いた。故郷。何もない町。

 

「そんな緊張しないでよ、あたし美容師の資格も持ってるの。王子の美容院でしばらくやってたんだけど……ってそんな話はいっか。今はね、ちょっと実家に戻って。体勢を立て直してるのかな」

 という身の上話の合間に「どこかお痒い所はございませんか?」と定型文が挿入されるので、会話はまるで変拍子だった。

 田邊徳仁は黙っていた。黙っていることが青野尋子には緊張したように見えたらしい。シャンプーされて、椅子に座って、タオル巻かれて。理解が追いつかず体がこわばっているのは事実だった。

「久々に若い男の子を切るな。あたしのいたお店は女の人向けだったし、こっちはオジさんオバさんばかりだから。どうしよっかな……まだ夏だし、スッキリしましょうか? 最後に切ったのは? 二ヶ月前? トップと襟足はそれぐらいに戻して、サイドをちょっと刈り込みますね?」

 もう好きにしろよと言いたかったが、一応は初対面の人物、「じゃあそれで」と小さく返す。

 あっさりと鋏が入れられる。

 いざ切られてしまえばあとは終わりを待つだけなので、思考はおとなしく内省に沈んでいった。

「ごめんなさいね。床屋であんまり喋らないタイプ?」

「まあ、そう、なんですかね」

「というかそんなに、お話が好きじゃない?」

「そんなでもないですよ」

 奴らが帰ってこない今は散髪に甘んじているしかない。

「会話は嫌いじゃないし、ただ喋らなくてもいいのなら喋らないだけで、喋りたくなったら喋るから、無口っていうんでもなくて」

 尋子はフフッと笑んだ。

「それ、仲間うちで流行ってるんですか?」

 いや、別に。

「前に連れてきた男の子もそんなこと言ってたなあ。理史の高校の友達」

 細かに鋏を動かし、整える。鏡越しの仕草を田邊は眺めていた。

「田邊くん? あなた、バンドのひとでしょ」

「え、いや」図りかねて、回答を濁した。

「違うの、別に責めてるわけじゃなくて。アイツ親には秘密にしてんの。というかあなたたちCDどこで売ってんのよ、こっちで買えるようにしてよ」

「それはもう俺たちの仕事じゃねえよ」1枚目のEPをインディーレーベルから発売して、新宿渋谷でなんとか頭角を現してきた頃だった。

「で、みんなは何弾いてるの?」

「青野はベース、あのちっちゃいの、秋山がギターで、俺がドラム」

「ああ、やってたなあ、ベース、高校のとき。理史って巧いの?」

 巧いんだろうか? 言葉を選ぶ。

「巧いって言うにはもう一声欲しい。けど俺だって人のこと言えないし。でも一人が秀でてることも良いけど、バンドだから、合わないといけなくて……俺が、あいつとやっていくには、不自由ないか、良くやっていける」

 会話は嫌いじゃない筈だが、口下手なきらいは自覚していた。

「ベースって普通の、ギターが弾かない低音を代わりに弾いて……曲を守ってるのかな……リズムとメロディの一番根っこのところを作ってる。あれが無くなると困る。分かりにくいかもしれないけど、上辺じゃなくて、聴こえづらい大事な音を作ってる。いなくなったらスカスカになるんですよ」

「ふうん……」

 そうよねえ……。小さく腑に落ちたように尋子は呟いた。弟の性格と楽器を重ね合わせているらしい。

 田邊も思い立って問う。

「あいつはどんな奴だったんですか」

 尋子は少し言葉を選び、語る。

「掴み所がなくて冷淡だけど意外と優しい、のかな。きっと違うけど。田邊くん? ご兄弟はいるの?」

「兄がひとり」

「性格をぱっと言える?」

「言えない、気にかけてない、ですね」

 じゃあそういうことなの。口には出さなかったけど、にっこり微笑んで、鏡で後頭部の仕上がりを見せた。

 些細ながらすっきりしたことに田邊は安堵した。

 尋子はシェービングクリームを泡立て始める。至れり尽くせりだった。

 

 どこまでも平らかな町だ。かつての街道に沿って一軒家が立ち並び、隙間に寺社が点在している。神社とお寺が妙に多い。ふらっと立ち寄ったのは駅の傍、商店街から一本分け入った道にある小さな神社だった。

「七福神を一体一体別のところで祀ってるらしいよ」

 町内を数時間歩き回れば難なくすべて参拝できる。すべてを巡ると願いが叶うと言われている。「なんかそれマンガっぽい」かったるいから周りはしない。

 鳥居をくぐって形だけ手を合わせ、引き返すと、鳥居を挟んでひらけているのどかな町並みから悪目立ちして、目の前に一棟だけのタワーマンションが堂々とそびえ立っていた。

 青野が息を殺して笑い始めた。「バカだろ、あれは」

「ダッサイね」聖はといえば、彼の笑いのツボは分かるが笑うほどではないというところ。

「ああクソ、バカだ、しょうもねえなあ」

 クツクツ笑いながらふたたび通りを歩き、駅へ辿り着く。「腹減ってない?」

「減ってない」

「俺は空いたな」

「トクがかわいそうだろ」

「クリームソーダとか飲みたくならない?」

「あとでだったらね」

「変なところで律儀だな」

「トクはだいじ」

「敵わないなあ」思わず言葉が漏れる。

 聖は黙り込む。ひがむふりをする青野の態度は卑怯に思えた。

「トクはね、守ってくれるの。おまえは、連れてってくれる」

「それって、良いことなの?」

「青野クンさあ、分かってるくせにわざわざ人に聞きたがるところあるよね」

「改めて言葉で聞きたいんだよ。言って貰えると安心するんだろ?『愛してる』なんて言ってさ」

「愛してる愛してる」

「そっか。良かった。ありがとう」

 それで満足したふりなんてしてみせる。

「どうしよっかな。早いけど引き返す? あとで徳仁連れて飯食って、博物館でも行ってみようか」

 聖は駅舎の地図を眺める。青野が指差す。

「俺んちがここで、こっちが今来たところで、ここが大通りになってて、こっからこっちに美術館とか博物館とかある」

 スーパーマーケットで冷たい飲み物を買っていく。

 ビニール袋を引っ提げた帰り道、ふたたび近所の寺社に寄った。聖がきまぐれに立ち入ったため青野も同行したと言うのが正しい。

 木立の日陰は蝉の声でやかましい。左右からぐわんぐわんと揺さぶるように響いている。参道のど真ん中に立って、聖は音響のベストスポットを聴き探しているらしい。

 時々ジジジジジッと慌てて飛び立ったり、飛び交ったり、せわしなく、人混みのような密集だ。

 ノイジーな。虫たち。

 聖はだんまりだ。青野はそれを見守っている。鳴き声は波のように震えて、増減を繰り返しながら、日の昇っている限りいっこうに鳴り止むことなく響き続ける。

 猫といい、蝉といい、人間以外の相手が好きだった。

「蝉はカッコイイよ」

 満足げに聖は言う。新しいエフェクター買おうかな、なんて呟きながら。何使ったら蝉を再現できるだろう? そんな話題で盛り上がれる。

「このへんは猫いないの?」

「家のユキちゃん見てきなよ。白黒のデブ猫」

「そういうのもっと早く紹介してよ」

「でも、ユキちゃん留守がちで、いないかもしれないから」

 好きな生き物はたくさんいて、好きな人間は両手で数えられる程しかいないけれど、それで生きられるならそれでいい。ギターをかき鳴らしてそういうことを叫べばいいんだと、なんとなく、使命を自覚しはじめる頃だった。

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