ミッドナイト・ヘッドライト

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「もしもし」

「あ、えっと、どういうこと?」

「電話がねえんだ」

 相手は物販で会った男らしかった。

「リゾーツでビラを見て電話したんだけど、ベースの」

「あとで掛け直す」

「俺も公衆電話なんだ」

「あー」と、彼はうなる。「明日はどうだ」

「え?」

「明日12時に、阿佐ヶ谷のデニーズ」

「阿佐ヶ谷?」

「駅前の杉並木を南にずっと行けばいい。何かあったら持ってきて。俺ひとりで行くから」

 そこで電話を切られてしまった。

 

 そんな訳でジゾ君に相談した。

「お前バンドに履歴書持ってくの?」

「……いらないよなあ」

「ベース持ってってファミレスで弾くかあ?」

「いらないなあ」

 見せられるものなんてないのに声を掛けてしまった不安が、じりじりと増してきた。

「あの曲はなあ……」

 手持ちには何度も書き損じて大量のブレを抱えた『角部屋の窓』ただひとつ。

 テープに吹き込む暇も楽器もないので、コードと歌詞だけ清書した。ただし部屋の中から最新版の歌詞を探すのにかなりの時間を費やし、新聞屋のバイクが聞こえるころに推敲はようやく及第点に達した。アイディアも眠気も限界だったからそのまま一眠りした。

 これは後で聞いた話だが、何かを完成させるために必要な条件はたったひとつ、〆切を守ること、らしいよ。

 

 白飛びし、空気遠近法とスモッグで青みを帯びた、明るく誰もいない中途半端な昼間の時間も、夜中誰も通らない道に等間隔に街灯が並び、家々の明かりがおのおの灯り、騒がしかった通りがだんだん眠気に包まれてひっそり黙りこくる真夜中も、俺は好きだった。俺には真昼と真夜中の両方の気分があった。

 光と建築の透過を喜ぶ『角部屋の窓』はきわめて真昼の音楽だった。真昼の日向を歌ったとしても必ずしも応援歌やラブソングには繋がらない。日向のなかにも孤独はある。

 ネコマイゴは夕方、放課後のように聞こえた。ある日の夕方を見てそう思った。夕焼けが雲に乱反射して空はピンクにつつまれて、人肌も風景も同じピンクに染められながらポップで不穏な非日常感に当てられていて、ふと、こういう空間を歌ってるんだろうと合点した。でもそれは音源の方で、ライヴでは真夜中の音色が鳴っていた。

 

 杉並区阿佐ヶ谷の街路樹は杉並木ではなくケヤキだった。目に鮮やかな並木道をとぼとぼ行くと、デニーズは実在した。ドラムスの田邊たなべ徳仁とくひとがボックス席に座っていた。

「あー、あの、あんまりこのメンバー募集、本気で出してなかったんだよ、そしたら、1週間前かなあ、ひとり来て、でも30の会社員だからちょっと無理だなって止めてさあ、続けるためのバランスが、人間関係のバランスがあるから。そのー、先に言うけど、あんまり歳上なのは、よしときたい」

「俺は19ですよ」言って、俺は続けた。「時間取らせて申し訳ないけど、俺はあんたたちが期待していいほど上手くない。本当に興味本位で来たんだ、真面目にやってるのに申し訳ない……」

「あ、19?」

「ああ、はい」

「俺も19」

「あ?」

「あいつも19だよ」

「ギターの?」

「あー、じゃあ、いいんじゃないかな」

 と言って、俺に飯を勧めた。

「いいっていうのは?」

「そのうち、うちのボーカル呼ぶけど、弾いてみるのは、まず俺たちで合わせとこう。あいつはとやかくうるさいけど、俺はどうにかなる気もするんだよ、まあ、お前とあいつ次第なんだけどさ」

「正直言って俺も出来るか分からない」

「やってみなきゃ分かんねえよ」

 と言って、腹の内を明かしはじめた。

「俺も分かんないんだよね……ライヴかEP聴いてくれた?」

「ああ」

「でも違うだろ」

「俺はバンドの音の方が好きだな」

「でも制約があるだろ。再現性も限界あるし、ベース入った方が、バンドとして自由になれる」

「まあ、ね」

「募集したけどさ。あいつが欲しいっていうからやってみたけど、俺もどうなるか分からんよ」

 そうして次に会う約束を取り決めた。

 店の席を立ったとき、相手の背の高いのに驚いた。聞けば190cmあるという。初対面のいかつい印象、それよりもリゾーツでの抜きん出たライヴアクトで、歳上にしか見えなかった。

「ドラムセットがときどき狭い」そう呟く姿にちょっと同情した。

 そんな訳で『角部屋の窓』は渡しそこねて持ち越しになった。

 

 かきむしる髪のないジゾ君は頭を抱えてうんうん唸っていた。彼が机を占拠していたから、俺は『角部屋の窓』を離れて読書や音楽に触れたり、少しは上達すべきだと思って耳コピに励んでみたり、昔弾いた曲を弾き直した。何を書いているのかと彼の作業場を覗き込むと、餌を取られまいとする猫のように便箋を抱え込んで威嚇された。

「ラブレターかあ」

 からかっても彼はだんまりで、自分の仕事につきっきりである。

 たぶん、遠くに行ってしまうカノジョのために、長い手紙を書いているのだ。新天地に一緒に行けない俺の代わりにこの手紙を連れて行ってという願い。誰が誰を好きだとかいうことにはあまり興味をそそられないが、友達が愛について格闘している姿はかなり感動的だ。だからからかうのはやめにした。

「コツは、ダメになったらもうすっぱり離れちまうことだ。くすぶったまま書きつづけても突然ヒラメくことなんてない」

 彼を夕暮れの散歩に連れ出した。高速の高架を見上げながら、飽きるまで延々と歩く。

 夜風に当たると少しだけ良い。良い風が吹いている。「良い風」、この言い回しを教えてくれたのは確かジゾ君だった。

「こういうことして『高校生星の少年少女文学大賞審査員奨励賞』を取ったのか?」

 彼は彼で、そんな懐かしいことを言いはじめる。

「取ったけどさ、奨励賞だから、表彰状以外なんにも貰えなくて、ケチだよなあ。あれたしか、大賞はメルヘンで、銀賞がおばあちゃんが死んじゃった奴とSFもので、あとは中高生の部活ものだとか、そんな作風ばっかだったな」

「ひたすら街の明かりのつき方を書いただけの内容がナイような投稿なんて、お前以外にいねえよなあ」

「しかもお話でもないんだよ、あれ本当にスケッチしただけだったんだぜ、駅とか、現実の、俺の好きな風景を好きなだけメモって、あとで気に入ったところくっつけただけ」

「そお、やったもん勝ちも才能だって、俺はそのとき驚いてさ、ホントはちょっと嫉妬もしてたなあ」

 面と向かうと語りにくいことが多い。面談はときに難しい。意見をぶつけ合っている感じがする。でもこうやって相手の顔色が面と向かって見えず、そのときどきの言葉や口調を聴いて答える手探り感は、とても寛大な目で見るとライヴだと思う。場に呑まれる感じだとか、試行錯誤が心地いい。口を滑らせる相手のことも好きだ。

「お前が上京して文学部行くって言ったとき不安だったんだ、音楽やめちまうのかなって」

「え、ああ、俺なんでも好きだよ」

「もし、くだらない質問だけどもしもだよ。ひとつしかできないとしたらどうする、文学と音楽で」

「本を読むのはずっと前からやってた、たぶん文学少年だった。音楽をホントーにはじめたのは高校に入ってから」

 つまり、軽音楽部で誰もやらなかったベースを弾き、ジゾ君の家のビートルズ、ピンク・フロイド、イエスを聴きはじめてから。

 音楽はどこまでいっても楽しくて驚きがあった。でもしつこく書き溜めた夜景のメモをミキシングして手頃な文学賞に送りつけるほどには、俺は書くことに取り組もうと試行錯誤していた。

「今はすごく音楽に傾いてる気がする」

 落ちる楽しさと落ちきって底に着いてしまう怖さがある。

「楽しいけれど落ちきりたくない、落ちつづけていたい、今は決められない」

 対向車のライトに照らされると、ジゾ君のショッキングピンクがあざやかに反射する。

「お前それ、ライトでピカーってなるんな」

「いいだろぉ」

 本当に良さそうだと思ったし、ジゾ君も自慢や自尊心や気恥ずかしさ抜きでショッキングピンクそのものの良さを受け止めて嬉しそうだった。そんな友達のありさまがますます良いものとして目に映った。

 

 キーボードを使いに部室に行った。外部のバンドに入るかもしれない、たぶんサポメンだけど、と報告し、『角部屋の窓』のコードをこねくりまわしたり、友達と馬鹿話に興じる。

 その頃ジゾ君が何をしてたかというと、服を買い足したり飯を買いに行ったり、俺の本とCDを漁りながら、ラブレターの続きを書いていた。

 俺はドライビングスクールの広告を読んでいた。

 俺もショッキングピンクを着たら良い気分になれるだろうかと、ジゾ君のショッキングピンクを借りてみた。結果はもう二度と見たくない。

「なんでお前が着ると不健康に見えるかなあ」

「ラリってるように見えるからじゃねえの」

「ふつうは明るい色の服を着ると、血色もよく見えるんだけどな、ピンクやオレンジが反射して健康的な肌色に見える」

「なんでお前そんなこと」

「カ・ノ・ジョ・が」

「そんなカノジョももしかして男かもな」

「ああ、そんな脅しはもう通じないよ」

「オッサンかも」

「い~や、ぜんぜん」

 ショッキングピンクをきれいにハンガーにかけて言う。「おおかたのショックは想定済みだよ。ひとりでウンウン悩むのはもう過ぎた」

「どんなにデブでも、ババアでも? 結婚してるかもよ?」

「そうすっとさあ、俺は失恋するわけじゃん。でも文通は欠かさないよ」なんて、すっきりした顔で言う。「だってあのひとすげえ良いこと言うんだぜ」

「向こうはお前のこと、髪の毛生えてると思ってるかも」

「そりゃ困るな」と彼はとっさに頭をかかえる。

 笑いながらスーパーのおそうざいをつまみ、ビールを飲む。

 俺の家は木造2階建てアパートの2階の角部屋で、でも建築を透過する角部屋の窓はここにはない。

 集合住宅に住んでみたいという、ささいなのか何なのかよく分からない夢が叶ってうれしい。隣室や階下に他人が住み、隣の家屋も向かいの家屋もあり、壁に隔たれて見えないけれど、至るところに部屋がある。その空間それぞれに生活があって、なかには俺の部屋みたいに、故郷の友達が遊びに来ているような、奇妙な出来事が起こっている。そんなことは非常に個人的なイベントで、ひとそれぞれに感情はちがう。でもそういった、個人的で、ささいで、独特な気持ちが、壁に囲われて見えない部屋のなかからそれぞれににおいのようにおのずと漏れ流れているような気がしている。皆が家に帰る夜にはそういう予感が漂っている。だから夜は好きだ。すべての明かりと闇に理由があり、その理由はぜんぜん誰にも預かり知れるものではない。

 どこにも音楽が流れない夜なんてないんだろう。どこかで誰かはライヴしているんだろう。聴こえない音楽がいつでも流れている。そう考えるとどんな夜もうつくしい。

 ひとりこもっている俺の空間の外にはあらゆる人々がめいめいに自分のために生きている。おのおのの孤独が地図上に重なり合って巨大な密度をかたちづくる。一枚岩のようでいて、形のない雲のようでもあり、どちらにせよ空間には他者の存在の気配が立ち込めている。群衆は別々の事情を抱えて幽霊のように掴みどころがないから、そんな呉越同舟が、恐ろしく、愚かしくて、またいとしくもある。

 そして昼は昼で、皆が出払ってしまった寂寥感、満たされているべき活気が抜けている、おだやかな空白の孤独がある。

 ふいに訪れる空白は日頃の喧騒に対比されるから心を打つのだけれども、用事に追われて忙しく昼の時間を過ごすときも、ふと路地を見やるとそこには孤独がひっそり息を潜めていたりする。都市の喧騒なんてぜんぜん意に介さない空地があり、野良猫の会議が開かれていたり、持ち場を離れて誰かが一服した痕跡がぽつんと残され苔むしている。1から12の数字で刻まれるふだんの生活とはきっと違う、もうひとつの時間がそこにはある。

 そして早朝か午前11時の、ちょうど皆が家で寝ているか出払った時刻。いたはずの人口がすっぽり抜けて、住宅街は閑散とする。そんな空白をひとり眺めている俺も、ここにいないような気がしはじめる。俺が風のようにふっといなくなってしまいそうな、けれどもこの世界じゃ起こり得ないはずのファンタジーの予感を覚る。

 いつだって孤独なんじゃないかと訊かれればたぶんその通りだ。時刻によってその孤独は異なる部類に分けられるけど。

 俺は俺なりにいとしい。恋する人が抱く愛の気持ちとはぜんぜん違うのかもしれないけれど。

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