ミッドナイト・ヘッドライト

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 ジゾ君の滞在と俺のネコマイゴとの接触が同時期だったことから、その時の印象をきっかけに互いの出来事を思い出せる。こいついつまで家にいるんだと思いはじめた頃に二度目のネコマイゴの顔合わせがあった。

 現状のままの『角部屋の窓』を持参して阿佐ヶ谷に向かった。

 先日の田邊の向かいに小柄な金髪が座ってパフェを食っていた。俺に気付いて田邊が席を空け、先日は不在だったそのギタリスト秋山あきやまひじりの隣に移った。田邊が今後の活動をぼそぼそ話しているあいだ、秋山は一度も顔を上げずにパフェを食っていた。

「でどれぐらい弾けるのこのひと」

 早口でぼそっと田邊に囁くのが聞こえた。

「弾かせてみないと分からん」

「サワダタイジがいい」

「あ?」

「トイレ行きたいんだけど」

 田邊が道を空けて通したが、すたすたと行ってしまう様子を見て、

「あ、駄目だあいつ逃げる」

 と彼も追って消えてしまった。

 ウェイトレスが来てフレンチトーストを注文し、それを食べ終わるだけの時間待った。手持ち無沙汰に食後のコーヒーを頼もうとした頃に彼らはようやく戻ってきた。凸凹な体格のせいで子供をしょっぴく兄のようにも見えた。

 注文を取りに来たウェイトレスが、隠そうともせずにフフフッと笑った。

「あ、ミドリちゃん」秋山が顔を上げ、田邊は会釈する。

「今日は揃って、どうしたんですかー?」

 なんて聞ける、旧知の仲らしい。

「あの、メンバー増やそうかって言ってたやつ、この人」

 指された俺は会釈をし、ミドリちゃんというウェイトレスはニコニコしていた。

 それぞれメロンソーダとアイスコーヒーを注文し、乗せられて俺もアイスカフェオーレを飲んだ。

 音楽性の話も交わした。どういうものを聴いてきてどういうことをしたいのか。

 その流れで『角部屋の窓』を渡した。俺に評価を下せるものはこれしかない。これでダメならこの件は解消だ。

 一見して秋山は「コードが悪い」とバッサリ切った。そこには予断を許さない響きがあり、それはそうだなと俺は思った。でも、

「2日でマシにする、そしたら来い」

 という返答は予想しなかった。

「だから電話番号おしえろ」

「持ってない」

「ピッチ」

「ない」

「じゃあもううち来い」

「俺んちだ」と田邊。

 構わず紙ナプキンに連絡先を書いて俺に渡した。

「何時ごろ行けばいい」

「俺んちだけど」

「すきにしろよ」

「大学あるから、夕方4時ごろに行くよ」

「大学行ってんの」と秋山。「面白いの?」

「やることがあれば楽しいと思うよ」

「ないんだろ」

「そんなこともない」

 睨みつけられながら、そんな風にして別れて、ひとりになり、日が傾く頃の街を眺めていたら、妙な問いが頭に浮かんだ。

 ここはどこだ?

 俺はいま、どのへんにいる?

 おや? と思った。なんだ、この感じは。

 ここはどこだ。

 東京だろ と誰か言った。

 新宿に立ち寄って外を歩いた。路上ライブをやっている。

 本当に?

 騒がしい街。ビルの赤いランプがまたたきはじめて、車の往来は止まず、靴音が響き、おしゃべりは止まず、切り取られた狭い空、俺を追い抜く人、ヒト、ヒト、靴音を鳴らして黒い頭が行進し、ぶつかり合って、広告が叫んでいる。楽器を担いだ若い3人組とすれ違った。

 本当かよ。

 トウキョウ。

 本当か?

 赤い光。

 疲れてるんだろと、俺のいちばんマトモな部分が問う。音楽的には、この問答は面白い。俺はどうしたいんだろう。

「なぁんてね」

「お前、そういうの、楽しい?」

「実家の原付もってくれば良かった」

「でも車の免許取るんだろ」

「まあ、取るよ。取らなきゃ」

「こっちじゃ車使わないだろ」

「ステータスでもないし」

「でも水戸遠いし」

「こっちに来て、どう思った」

「それなりに楽しんでる」

「足りないものは?」

 ちょっと悩んだ。「ネコかなあ」

 でもそれは割とすぐに叶った。

 

「なあ俺は本当にカノジョに会えるんだろうか」

 突然ジゾ君は内省する。

 俺はその答えを知りえないから黙っている。

 約束の日が近づいているのだ。

「俺、髪伸びたよな」

「じゅうぶん短いよ」

「ああ」

 と、彼は蔵書を足蹴にして、床に丸まって眠った。

 寝付きが早くて、ものの数分で寝息が聴こえた。

 

 俺は眠っている人を見守るけれど、俺のことは誰が見ているのだろうと、今でも思う。

 眼球だけが宙に浮いている気もするのだ。身体がなければペンを持てないし、楽器も弾けないが。

 

 実家に大きな白黒の猫がいた。ベースを弾いているときは絶対に寄りつかなかったけど、ときどきは俺の相手をしてくれた。

 大学の猫は人気者でなかなかお目にかかれなかった。

 そんな猫寂しくなってきたころに、三鷹のネコマイゴ家にベースを担いで向かった。

 駅前の交番で道を訊いて、大通りを行き閑静な住宅地へ分け入ると、公道のどまんなかで見覚えのある色のショッキングピンクがしゃがみ込んで茶トラの猫をかまっていた。ジゾ君とおんなじようなウィンドブレーカーをはおっていた。

 少し離れて立ち止まって、ひとりと1匹を眺めた。それがネコマイゴの秋山聖だと気付いた。ファミレスで俺を睨んだときとはまるで違うおだやかさで、囁きながら猫の喉をくすぐっていた。猫の方も慣れた様子で、彼らは長い付き合いらしかった。

 自転車がベルを鳴らして走って来たために猫は逃げ帰ってしまい、秋山は振り返って俺を発見した。猫が逃げたことを責める眼差しだった。

 俺は言い訳もあいさつもしないで、黙ってゆっくりまばたきを返した。

 やがて向こうから声を発した。

「むかえに行こうと思ってた」

 ありがとうと俺は返した。

 すたすたと歩き出す彼の間合いの外について行った。話しかけもせずしばらく行くと、一軒家風の造りの木造2階建てアパートに着いた。その2階の1DKが田邊の家だった。ボロいかわりに部屋は広く、ギタースタンドに水色のストラトとミディアムネックのアコースティックギターが並び、ちゃぶ台の上にキーボードが乗っかっていた。

 家の主はバイトに行っていたが、秋山はかまわず麦茶を飲み、俺の渡した『角部屋の窓』へのグチャグチャな書き込みメモを見せた。

「マシになった。前のは明るすぎ」

 そう言って弾いてみせた。

 スタンダードにC・F・Gで組んだコードはネコマイゴによってミンチにされ、一度も楽譜でおがんだことのない変態プログレバラードに仕上がっていた。

 手持ち無沙汰で茫然としていると、「貸してよ」と相手は俺のベースを引っ張り出して弾きはじめた。組み上がっていく『角部屋の窓』の作曲の過程を聴きながら、ときどき麦茶を飲んだりして、黙り込むうちに時間が流れた。秋山は集中に入ってしまったかと思ったが、

「ヒマならさあ」

 と不意に声を上げて、「これ、デモ、歌詞ないから、書いて」と、カセットテープを投げた。ラベルに『ビュ――ンってやつ』と殴り書きがある。下手な猫の絵も描かれている。

 机上のラジカセを使わせてもらう。仕事はテープを巻き戻すところからだった。

 ビュ――ンってやつはつまり疾走感を指していて、弾き語りやポップなEPに比べると、圧倒的にライヴの音像に近い陶酔と覚醒が漂っていた。

 歌のメロディは電子音で吹き込まれていた。ギター・ベース・ドラムスのバンド編成で組まれている。

 どういう意図の曲かと訊くと、「聴こえたとおりだろ」と返事はあまりにそっけない。

「それじゃあ書きにくい」

「なんで?」

 それぐらい自分で考えろよ、おそらくはそう睨みつけられたが、「それでも、手がかりが少なすぎるから、期待に添うか分からない」と保険をかけた。そう上手くいくはずもないが、真面目に取り組みはじめた。もう一度テープを巻き戻して注意深く聴くあいだ、相手の重い視線を浴びていた。

「……見てるの?」

「だってさっき見てただろ」

「やりづらい」

「でも見てた」

 互いに非難しあっている。

 ここはどこだ……。

 途方に暮れながら取り掛かる。ただ、こう見つめられながら詞なんて書ける気がしないから、最初の手かがりとしてキーワードを書き出した。

『夜 青黒い』『疾走感』『ハイウェイ』『電灯が流れる』『ビームライト』『せつない』

 俺にとっては、すごくせつなかった。疾走の興奮の果てに、誰も知れない遠くまで行ってしまいそうだった。

 助手席に誰かを連れて駆け落ち。フられて遁走。逃亡。そんな気がした。

 何かの終わりと始まりを感じる。どちらがどちらかは分からない。イントロが滅亡をものがたり、アウトロで展望が開けることだってあるだろう。

 机の端でメモ書きを睨みながら秋山は押し黙っている。俺は孤高の天才ではないから、彼の話を聞きたかった。

「どうしたらこんな曲が書けるんだろう? 『角部屋』を直してもらったとおり、俺は音楽の才能は乏しいんだ。どういうふうにして音楽を作ってる?」

 問いにもしばらく答えなかった。答えたくないのであればそれもそれで回答だが、じきにぼそっと語りはじめた。

「どうもしてない」

 また言葉を選んで、

「できるからやってるだけ」

「……かっこいいな」

「いちばん」打ち明け話は途切れ途切れだ。「カッコ良くなるようにした。リード曲にしたい。っていうか、次のテーマソング。『ロストキャット』がいままで、テーマソングだったんだけど、もっと、カッコ良くしたい。いままでちょっとかわいかったじゃん? でもそうじゃなくて、こういうのもできるって聴かせてやりたい。もう甘ったれたガキの歌はおしまいで、これからはもっと、クールに、いこうと思って」

 作曲家の自負を聞いて、俺はまさにと賛同する。速くて、せつなくて、カッコ良くて気持ちいい。もっともっと酔ってしまえば泣きながら笑えそうだ。

「ところで、『角部屋』はいいのか」

「なにが」

「何か問題があったら書き換えるってこと」

「どうして、これ以上よくならない、あとはこっちでやる。
 これは、アコースティックでやる。ピアノ入れるか、わかんない、けど、こういうの、はじめてで、これはもういい」

 意味をはかりかねて黙った。そういえば、ネコマイゴの作詞は誰だったんだろうと、考えているうちに田邊が帰宅した。

「悪い、帰るよ、いま何時……明るくないか、外?」

 いそいそと帰り支度をはじめる。

「作詞」と、秋山がテープを寄こす。「失くすなよ」

「このテープ何本あるの?」

「これだけ」

「頼む。焼いて」

 歌詞が出来上がったら電話しろと秋山は言ったが、〆切を決めない限り永遠に完成はないだろう。また会う約束をして、俺の住所を伝えた。

 田邊が駅まで送った。

「どうなんだ、あいつは」

「どうだろう」

「とっつきづらいだろ」

「誰に対してもあんな感じ?」

「そ」、「だから今までツーピースでやってきた」

「付き合いはどれぐらい?」

「あー、小学校らい、だったか」

「そりゃ、部外者が介入する余地なんて、ないわけだ」

 田邊は少し黙り込んで、やがてまた口を開いた。

「何してたんだ?」

「え?」

「今日は」

「ああ……作詞」

「えーと、それは」

「いや、俺もよく分かんないけど、『ビュ――ンってやつ』」

「え、ああ、新曲じゃん、この前録ったばっかの」

「あれ? ネコマイゴって、いままで歌うたったっけ」

「あー……あいつ? あいつな、あんまり、やりたがらないよ、歌は」

「じゃあなんで作詞するんだ?」

「それは本人に聞いた方がいい」

 俺も黙り込む。もう駅が近い。

「率直に、聞いていいか? 俺ってどうなの? 俺がいていいの?」

 返事の重さは承知していた。

「それはまだ分からん」

 俺にとってどうであれその答えは誠実に聞こえた。

 弾いてみないと分からないし、『角部屋の窓』と新曲ができてみないと分からない。

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