ミッドナイト・ヘッドライト

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 光速に限りなく近づくと彼に流れる時間はゆがむ。時間は常に均一ではなく、引き伸ばされたり、縮みうる。この星を離陸した俺の時間と、あの星で待ってる君の時間の流れる速さは一致しない。その極端な齟齬をタイムスリップと呼ぶ。嘘みたいに長いタイムラグのことだ。

 音速を越えれば音楽はついて来れない。光速を越えれば文字を目で負えない。

 言葉のない世界。

 破滅願望はみじんも無いつもりだけど、今でも時折、すべてに勝る絶対的な無を夢想している。世界にこなごなに打ち負かされてみたい。無力さの崖っぷちを覗きこんで、俺がどう思うのか知りたかった。

 それも愛のうちなのか? 回答はまだ出していない。

 

 夜空を仰ぎ、肉眼では見えない、かの惑星に想いを馳せる。

『角部屋の窓』で街の景色を歌に結んだように、この夜空にも名前で結ばれてることは、とても良いことなのかもしれない。たとえ見えなくても、歌えなくても、そこにあるというだけで良かった。

 

 ショッキングピンクのウィンドブレーカーは暑苦しい季節になっていた。腕をまくるジゾ君に、脱いで手に持っていればいいんじゃないかと持ちかけると、おめ、バカヤロー、カノジョはレインボーだぞレインボー、俺がガンバんないでどうすると、いらない漢らしさを見せる。約束の三鷹駅改札前にかなり早く着き、ジゾ君とぴったりくっ付いているのも変な気がしたので、どこか適当な物陰に身を落ち着けようとしていたら、背後から大きな手が伸びてきて俺の肩を叩き、飛び上がって振り返ると目深にキャップをかぶった長身の男が見下ろしていた。

「お前なにやってんの」と問われ、はじめて田邊だと気が付いた。襟首を引っ張られるようにして本当の物陰に連れ込まれ、ショッキングピンクが見えなくなった。

「いや、ヤボ用だよ、ヤボ用……」

「余計なこと吹き込まれてないだろうな」

「え?」

 はじめ見当がつかなかったが、不意に思い出して事態がこわばる。吹きこまれていた。ミドリちゃんを思い出す……。

「そっちの、こととは関係ないって」

「何を言ってた」

 どうしたものか。「愛は人を変えるって?」

「おい。トボけんなよ」

「わかった、わかった、でも俺からは、何も聞いてない、聞き出そうとなんてしなかった、でもウェイトレスさんがいろいろ喋って」

「聞いたんだろ」

「さわりしか知らない」

 愛に関する話なんて口にするのもこそばゆい。よくも人々はコイバナを出来るものだ、愛の歌をうたえるものだ。

「秋山、さんに……好きな人がいるって、恋が今日叶うって?

 でも、別にそんなの、見に来たわけじゃない。だって俺には、すごく広い意味で、というか、誠実に言うけど、関係ないだろ? 冷やかしなんてしない。今日は本当にちがう事情で来たんだ」

 そこまで語ってようやく、田邊は一触即発の威圧を解いてくれた。

「……相手のことなにか言ってたか?」

「まったく」

「俺も過保護だな」

 腕をさすり、やるせなく視線を落とす。

「気にしちまうんだよ。俺は。おまえがのことだって本当はあいつよりも気にしてんだ。

 あの、本当は。あれは、弱っちいんだ。弱っちくてさ。これも話さないとな」

 頭をかきながらとつとつと田邊は語る。

「うちのバンドさ、聖が、暮らせるようにするための場所だったんだよ。あいつ根が繊細でさ。甘ったれてるわけでもないのに出来ないことの方が多くて、傷ついて、無理強いしたら破綻するんだ。でも思い詰めて体を壊してまで生きてくのなんて下らないだろ。だから、ギター弾いて、あいつが、あいつのできることをしていくために、俺もパーカス始めたようなもんで。
 あいつの曲は良いんだよ。あいつもしんどくて、俺もしんどかったけど、あいつの曲をやってたい。
 でもこの調子でつづけても、これ以上いいとこまで行けないだろって、あいつが言って、あいつが外に出たがって、あいつが言い出したならもう大丈夫だろって、決めたんだけど。やっと、落ち着いてきたんだけど、なあ」

 昔話なんかよりも、誰も彼もが誰かのために何かをなしていて、驚いた。

「すると、俺はやっぱ、異分子だよな」

「まあ、な、でも俺たちも閉塞的すぎた。
 ま、単にな。中2か中3ではじめたバンドだけど、続けてきたら楽しくもなるよ。今はすげえおもしれえし、俺も、もっと続けて、もっと違うものを見てえからさ」

 互いに緊張がすこし解けて、

「というか、それで今日は、秋山くん見守りに来たのか?」と尋ねる。

「あー……ミドリちゃんが、三鷹駅に3時って、それで、俺にも来てくれって言って」

「なんでミドリちゃんはそんなに詳しく待ち合わせ時刻まで知ってるんだ」

 そんな疑問を発した直後、改札の方からハイヒールをガツガツ鳴らして、ふわっとしたカラフルな格好をした女性が目の前を走り過ぎていった。

「え、ねえ、これ、どうすんの!?」

 聞き覚えのある叫びがする。改札前ではピンクのジャケットの秋山聖が呆然としている。

 田邊が駆け寄る。「どうしたんだ」

「え、あ、え、わかんない、でも、なんか、びっくりしてて、でも急に、もらった……」

 開けてしまった手紙にはとても長い便箋とともに、ポストカードに描いた猫の絵が。

 状況を飲み込みきれないうちに、

「なあ、なあ今! なあ!?」

 より状況を掴みきれないでいるジゾ君が口をパクパクさせていた。ジャケットは腰に巻いている。なるほどピンクの面積は秋山聖の方が広い。

「あっち行ったぞ」と田邊が指差す。駆け出すジゾ君。「あ、おい、手紙!」ここで待ってろとネコマイゴに言い、俺も後を追って駆け出した。しかし愛の危機に駆られて疾走するジゾ君にはとうてい及ばず、体が重くなり早々に手を膝について、遠くに走り去る坊主頭の背中を見送ることしかできなかった。そういえばあいつ足速かったな。見守るという大義名分はものの数分でこうして潰えた。

 息を整えながらへろへろの体で駅に戻るとミドリちゃんもいる。

「ごめ~ん! こうなるかもって、付き添おうと思ってたのに、遅刻しちゃって~!」

 そしてミドリちゃんのネタバラシ。カノジョこと、リエコちゃんはミドリちゃんの友達で、リエコちゃんの文通恋愛の経過はぜんぶ彼女に筒抜けだった。親切心あふれるミドリちゃんはそんな友達の恋愛成就に一役買ってやろうとした。音楽大好き、ピンクのウィンドブレーカー、年下でちょっと変わっていて、けれどもとってもマジメで好感が持てるという情報から、ミドリちゃんは文通のカレシがもしかして秋山聖なんじゃないかと睨んだ。ふたりとも常軌を逸してシャイでナイーヴなのはよく知っている。秋山もカノジョも直前になって愛にためらい逃げ出しかねない。そこでわたしがお見合いの付添人としてふたりの門出を手伝おうじゃないか。そんなわけで田邊も連れて駅前で待ち構えようとしたのだが……。

「それは、俺の友達です」

 差出人住所が茨城県古河市であることを知っていればこんな早とちりは起こらなかった。

「お地蔵さまのジゾ君って言うから、てっきり聖から来てると思っちゃってえ」

「坊主頭だから、ジゾ君」

「あー、もう! ホント恥ずかしいなあ……ごめんねえ……」

「えっ、で、なんだったの」と秋山。

「ぜんぜん関係なかったんだ。俺の友達と取り違えられてた。偶然ピンクが目印だったんだ」

「あ? 聖、なんでじゃあ、今日こっち来たんだ」

「来ちゃいけないの? 実家のいろいろ持ってきたから、また泊めてよ」

「こんな偶然あるぅ?」

「あの、あー、あのふたりは、いいのか、平気なのか?」

「わかんねえ、ついて行けなかった。見失って……喉渇いた……」

「お茶でもしたら? リエコにはわたしから言っとくから。もー、わたしも疲れちゃった……。本当ごめんっ、じゃあね」

「えっ……帰んの?」

「んーカレシんちに涼みに行かせて貰おっかなって。じゃあね、ごめんね! 今度コーヒーおごってあげるから!」

 と、ミドリちゃんは本当に帰ってしまい、駅前通りの2階のちょっと洒落た喫茶店に、酸欠とともに世界の狭さで頭がクラクラになりながら、微妙な面持ちの俺たちで入った。

 クリームソーダのアイスクリームの溶けてシャリシャリしたところが本当に美味しい。久々の全力疾走でグッタリだった。

「トクジンさあ」アイスをつつく秋山が語る。「いまナイーヴな気持ちでしょ」

 田邊は答えない。

 秋山がニヤつく。黙っているのがシャクにさわるようで、言葉の端で色々つついている。

「〝カレシんちに涼みに〟だってねえ」

 全員クリームソーダを頼んでいた。田邊は飾りのチェリーを秋山のグラスに突き刺した。

「いいよ、いいよぅ。聖クンは何でもお見通しだから。トクベツに慰めてあげるよぅ」

 この短時間で愛は目まぐるしすぎた。一瞬の思わぬ食い違い。一瞬の喪失。俺たちをとりまく制御不可能なスピード。みんなこの愛とやらに乗っかっているのだ。何度振り落とされてもそのたびに根性出してまたしがみついている。支え合ったり支え間違えたりしながら。そんなにすばらしいものなのかな、愛は。俺にも読み解けるんだろうか。

 大変なこの世の中に、目を伏せて通りを見下ろすと、一瞬あざやかなピンクが見えた。それは建物の陰に入ってすぐに見えなくなってしまったけど、おそらくは、きっと、淡い虹色をまとった人を連れていた。

 きっとそういうことだとふと思った。雲間からかすかに星がたったひとつ、ぽつんと光って見えたように。

 秋山から、開けてしまった手紙を受け取った。さすがに中身は読まないけれど、猫を描いたポストカードはとっくに覗き見てしまった。とてもステキだ。猫ののびやかさと尊大さがにじんでいて愛らしい。

「むかし飼ってた猫に似てる」と秋山。「小学校のとき。ミケで、ちっちゃくてかわいかった。仲良しだったのにある日逃げちゃって、もう見てない。ずっと迷子」

 迷い猫の写真を見つめるように、秋山はポストカードを愛でていた。

 持って帰って、奴に渡すよ。そう言って封筒を受け取った。秋山は別れを惜しんで、ていねいに慈しみながらふたたび封をした。

「開けちゃってごめんね」

「いいよ。言っとく」

 そう。そんなところで、今日の目的は果たしたのだ。

「あ、ねえ、あの」秋山が言う。

「それで、えっと、お願い? が、あるんだけど……」

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