「どうして俺に映画を勧めたんだ?」
次の地下映画館の上映日、やはり無人の客席でフォボスに尋ねた。
「映画は独りで観るものです」先日と同じ答え。「あなたは独りで考えますね」
「それで、きみたちは俺を観て、学べたんだね」
「はい。旅は長いので」
カードゲームについての考えを青野は伝えた。ゲームは占いのカードを使って、物語の出来の良さを競い合っていたのではないか。占いのカードが持っている物語の空箱を組み合わせて、中に入れる物語の良し悪しを測っていたのではないかと。場面を揃えて物語を成立させた者が勝利者なのか。
「それは、揃えないでください」と、妹に似た笑みを浮かべる兄。「4つのスートの王が揃ったら、それはフォーカードなので大いに得点しますが、王が集う状況は、たかが知れます。そうですね? それは物語の広がりがない。
だからといって裾野の広さを競っているのでもありません。まとまりを欠いたでたらめでは戦いになりません。目指すのはちょうど良い場所です。つまり構成の自然さです。ただフォーチュナを読みます。
あなたはフォーチュナの促すとおりに物語を織れるのか、フォーチュナがあなたの最適な物語を引き渡すのか、いずれかなのです。運試しですので。運を賭けました」
「今日の映画、怖いかもしれない」ポップコーンを持った妹が訪れる。
「怖い映画です。でも怖くするための映画ではありません」
「どう思ったのか聞かせてください」
「大丈夫」と青野は言う。「考えてみるよ」
非現実的な映画を多く観せられた。あるシーンを続けていると思いきや、不意の場面転換でまったく異なる場所に飛ばされる。極端にデフォルメされた不条理をそこにいる人々は平然と受け入れる。現実を逸した恐ろしいものが出てくる。
夜に見る夢の不連続性を分かりやすく編集したものが映画なのかも青野は思った。
特に『ジェイコブス・ラダー』はその気が強かった。地下鉄駅で上り階段を閉ざされて駅に閉じ込められる。パーティー会場で大人数に囲まれる居心地の悪さ。拘束されて逃げられない。ときどき悪夢の世界から目覚めるけれど、そこもまた別の悪夢の中で、主人公は多層に包まれた悪夢にさいなまれる。途中、彼の悪夢の原因が、かつて従軍していたときに政府によって極秘に投与されていた精神剤ではないかという挿話が入るが、それは迫りくるさまざまな悪夢に対して主人公が理由や根拠を与えようと考えた設定だったのかもしれない。
これらの悪夢は、本当は戦地で死にゆく主人公が、生と死の狭間で見た走馬灯に近いものだった。戦場で傷を負い、死の淵にいる主人公が死に抗おうとしている様子だった。死は怪物の形を借りて、また交通事故や病として、生にすがる主人公を殺そうと迫る。そんな主人公を登場人物が諭す。死に怯えているうちは死は悪魔として襲いかかるが、冷静に死を受け入れれば悪魔は天使に変わると。
悪夢を繰り返したのち、最後に自分の死を受け入れたとき、彼の前に現れたのは夭逝した彼の息子だった。家族の思い出とともに、彼は子供とともに天に旅立つ。そのとき野戦病院で主人公は息を引き取る。穏やかな死に顔だった。
「ヤコブの梯子っていうタイトルは、雲間の光線のことか」
「光芒ですね」
「創世記28章12節の天と地上を繋ぐ梯子が由来です」
ぬるくなったコーヒーを一口飲む。
「病院は怖かったよ。目のない医者とか、上半身だけの男とか、それぐらいアイコン化している相手には、造形の良さを感じたから多少怖くなくなったけれど、腕の欠損した人とか頭を打ち続けている人とか、誰でも成りうる現実味のある設定のキャラクターは怖かった。
積極的に殺しに来るんじゃないところが新鮮だった。ホラーって言ったら幽霊が呪い殺しに来るか、斧を持った殺人鬼が殺しに来るようなものだと思ってたから。あくまでも自分自身の死の物語だから、誰かが殺しに来るという話ではないんだろうな。自分で決着をつける話なんだ」
自分で決着をつける、と口にはしたが、それができる人間はそういるものではないと思う。
映画を観る。感想を言う。コーヒーとポップコーン。それが地下映画館のすべて。
「きみたちは何を観るんだ?」
「われわれはあなたを観る」
「俺だけを観てたら偏ってしまうよ」
「でもきみは、われわれを疑わなかったじゃないですか」
青野は講義ノートのページをやぶり、自分の連絡先を書いた。バンドの名前と自分の名前。次のライブは決まっていないのでチケットを渡せないが、それ以外のことを可能な限り記して兄妹に渡した。「これで返せるかもしれない」彼らにあげられるのはそれくらいだ。いつか気が向いたときに交信が通じるようにしたい。
兄妹は顔を見合わせる。兄の方が、顔をほころばせながら、さびしげにため息をつく。
「そうでした、あなたは、勘に素直なのでしょう」
妹は兄を見てふふと笑った。「フォボス、今日が終わりではないです」
「こういうのって、別れは唐突だと思うから」青野は席を立つ。「また来ていいなら友達も連れてくるよ」
「5月のうちはここにいます」
去っていく青野にはVHSのお土産があった。
「で、なんでうちに来るんだか」
電話で了承は取っているが、改めて訪れてもやはり、田邊は眉間にしわを寄せている。ちょっと2・3時間おまえんちのビデオを貸してと頼まれて快諾する奴はそういない。青野が家にテレビを置いていないせいでこんな回りくどいことになった。
「なになに、なに観んの」と家にいた聖が寄ってくる。
「映画だよ」
「え、なにそれ、外国の?」
「ソ連だね」
「ソ連ってどこ」
「今はどこにあんだろな」
阿呆な聖をあしらいつつ、「できれば観てほしいんだよ。どう思ったのか知りたいから。っていうか俺はこの映画を映画館で寝ちゃったんだ。だからまあ、寝ないように起こしといてほしいんだけど」
「面倒見れるか」と言い放つ田邊に対し、先手を打って「ありがとう」と返事。再生ボタンを押して、電子音楽のBWV639がはじまる。なかなか本編がはじまらないのを不思議に思う聖に対し、「外国の映画は先にスタッフロールを流すんだよ」と教える。
「なんて書いてあるの」
「ソラリス」
冒頭の地球上のシーンが流れる。朝か午後かは分からないが、すこし傾いた日が金色に輝いて、野原と水辺に差している。鳥が鳴いている。蛙も鳴いている。風が枝葉の間を流れる。水面は冷たそうに丸みを帯びたさざ波を浮かべ、水草が呼吸している。
「きれいだね」と聖は言った。