Fortuna Theatre

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 『プラン9』が広く「史上最低の映画」と呼ばれているのを青野は知らなかった。UFOに乗った宇宙人がゾンビを作り出すレトロなSFホラーだが、セット・脚本・構図・役者の演技いずれも突っ込みをいれずには見られない仕上がりである。どういう理由でこれを青野に勧めたのかは分からない。

 兄妹もこの作品では積極的にお喋りに加わった。黙って眺める作品ではないどころか、シーンのつながりがずさんなので、初見では解説なしで見られない。例えば、夜の場面だろうと昼間の映像を平気でつないでいるので、時間の流れが分からない。劇中のUFO(Flying Saucer)は見るからに円盤型の造形だが、目撃者のセリフで「葉巻型だった(Huge Cigar)」と語られる。

「……今ので死んだの?」

 妻を亡くした老人が玄関を出て、ナレーションとともに画面外に消えると、車のブレーキ音と情けない悲鳴が聞こえ「彼が家に帰ることは二度となかった」とナレーションが入る。

「俳優死んでしまったんです。同じ服、顔隠してる方のは、俳優の代役です」

「死んだあとテープつなげたので使い回しです」

「これ他の映画のテープです」

「えー……?」

 あくびしながら約60分、「曲は好きだよ」と感想を漏らす。「ゾンビの見た目や円盤が飛んでる雰囲気も、だんだん愛らしくなって、嫌いじゃない気がしてくる」

「かれらどこの星の民なのでしょう」

「外宇宙と彼ら言います」

「でも太陽系とも言います」

「とても外に近い太陽系内ですか」と兄。

「外惑星ですか」と妹。「プルートー?」

「冥王星人なのか……」

「3人しかいないのですね」

 UFOに乗り込んだ地球人代表が「Stupid! Stupid!」と宇宙人に罵られる場面が山場だった。以降は宇宙人VS地球人の殴り合いが始まるのだが、論理が破綻していて、よく分からない。殴り合いの末にUFOの機材が壊れ、UFOに引火する爆発オチだった。全編を通じて論理が破綻しているので、ラストシーンばかりが問題とはいえない。

「これ面白かったんだろうか」

「ハーデース笑えましたね」

「アオノ、サイファイ好きです」

 深夜を迎え、妙なおかしさが青野の感覚を覆った。もう1本のフィルムも観てしまおうと思う気力が湧いてきた。夜中のやけっぱちだった。

 先の映画はモノクロだったが、『未来世紀ブラジル』は極彩色の近未来ブラックコメディだった。サラリーマンの主人公を取り巻く空間は常に慌ただしく息苦しい。近未来だというのに主な通信手段は文書によるやりとりで、それもFAXのようなデータ通信ではなく、原本の紙をダクトを通じて直接相手に送っている。コンピュータ機器の液晶はカラーではなく、小さな画面を拡大鏡で間接的に映している回りくどい代物だ。世界を占める小道具の回りくどさと、現代の世界と変わらない官僚社会の息苦しさが相乗して興味深かった。

 物語は、情報管理端末の隙間に昆虫が入り込み──文字通りのバグを起こして──指名手配犯の名前がミスタイプされる手違いから始まる。政府は誤写されたデータを疑わずに、無実の他人を逮捕する。誤認逮捕を許せないヒロインは抗議するも、逆に危険人物の疑いを受ける。下級役人である主人公は、そのヒロインの容貌がたまたま毎夜夢に描いていた美女と同じ顔だったために、運命の相手だと思い込み、彼女に近づこうと行動する。

 狭いオフィスと、室内外に張り巡らされた不格好なダクト、風に舞ってしまう大量の個人情報という、カリカチュアなシーンが続く。それらの回りくどさや非情さは、青野には一番親しい存在だった。映画の外の東京都も似たような汚れに浸されているからだ。

 物語の佳境、ヒロインを救出した主人公もまた危険人物として政府に捕らえられる。そこへ以前主人公の部屋のダクトを修理したモグリの修理工が助けに来る。この世界の配管工事はすべて政府への申請が必要だが、彼は政府の許可なしに、代わりに政府にできない工事をやり遂げる。モグリの修理工の存在は市民のヒーローに匹敵する。

 修理工とその仲間たちの協力によって主人公は脱出に成功する。しかし修理工は突然に大量の紙束にまれて消えてしまう。

 このシーンから様子がおかしい。他にも奇怪なシーンはあったが、それらは夢の中の突拍子もない空想だったり、物語の本筋と関係のないグロテスクな美容整形の場面だった。この修理工の喪失だけは、論理性がなく超現実的で、ここが映画の結末への契機なのだろう。

 逃亡した主人公は、美容整形を繰り返した結果、ヒロインと全く同じ顔に変身した自分の母親を目の当たりする。逃げ込んで棺桶のなかに落ちた主人公は、気付けばヒロインの運転する車に乗っている。主人公たちは政府の目を離れた美しい山奥へ逃亡する……

 ……無邪気な空想世界を、拷問人が見届ける。

 次に目が覚めたとき、青野は自宅で放心していた。アパートからすぐ近くの1・2年次のキャンパスに赴き、昨日軽音部の部室に忘れていった雑誌等の回収ついでに、誰かの私物のアコースティックギターを手に取って、映画のテーマソング『Brazil』をなぞって歌っていた。

 授業をサボって部室に眠りに来た後輩が、青野の弾き語りの被害者になった。彼は音痴でも下手でもないのだが、初見の曲を慣れないアコギを弾いているせいで、つっかえつっかえ、滑らかではない。

「サンバとかボサノヴァって、どうしてこんなに悲しくなるんだろう」

 酔っぱらいの迷い言みたいに、その場に居合わせた後輩に同意を求めた。

 夜が明けてもあの映画は悲しかった。繰り返されるテーマが軍靴の音のように忍び寄るのだ。

「祝祭によって死が透けて見えるような気がするんだ。底抜けに明るいからこそ、明るさによって隠された死を悼んでいる気がする。民族性よりももっと根源的な、葬式のイメージがする。俺は、喫茶店のBGMに掛かってる、邦楽のボサノヴァ風アレンジが大嫌いなんだ……」

 『未来世紀ブラジル』は監督の意図した本来のエンディングと、ハッピーエンドを希望した映画スタジオが編集した短縮版のエンディングがある。地下映画館が用意したのはオリジナルのエンディングだった。精神は苦痛を逃れたが肉体はついて来られなかった、そんな結末である。底抜けに明るいサンバの悲しみがいっそう残酷さを高めるエンディングだった。

 地下映画館の出来事と観た映画のあらすじを後輩に対して語りはじめる。後輩は相槌を打つだけで聞き流している。徹夜明けの激情に駆られた先輩の語りは支離滅裂的だ。

 適当なところで話を遮って後輩は56枚のカードを出す。シャッフルし、青野にも束を切らせて、「1枚引いてください」と促す。

 出た目は硬貨の1だった。雲から突き出した手の平の上に、星を象った大きな硬貨を乗せた絵柄である。

 例のゲームにおいて、エース(1)・騎士(12)・女王(13)・王(14)はそれ一枚で役を作れる。トランプでいう絵札に相当しているのだろう。

「青野さん、占いは詳しいですか」

「いや、ぜんぜん」

「ほんとに知らないんですか? 誰かを占ったこととか、調べたこととか?」

「これが小アルカナってことしか知らない」

 硬貨の1を見つめる後輩は残念そうに見えた。

「タロットカードってもともと遊び用のカードだったらしいですよ」

「この56枚の数字札が簡略化されてトランプになったんだっけ」

「逆らしいです」と後輩。「トランプの方からタロットが派生してったらしいっす」

 と、後輩は謎を抱えて考え込む。

「なんでトランプじゃなくタロットカードの、それも絵札(大アルカナ)じゃなく数字札(小アルカナ)でやるのかがずっと疑問でした。トランプの方から派生していったゲームなら、トランプでやればいいじゃないすか。ってことはこのゲーム、トランプのポーカーみたいな数字合わせじゃなくて、花札みたいに、絵柄の意味をかけ合わせてストーリーを作ってるんですよ」

 例えば花札の「桜に幕」と「菊にさかずき」を合わせると「花見で一杯」が成立する。

「それで〝これ〟は誰が役を決めてるんですか? どういう根拠があって? いつも、誰が採点をしてましたっけ? 青野さんはルールを全部知ってますか?

 本当はこのゲームの得点は、その場でディーラーが決めてるんじゃないかと思ったんです。占いみたいにきっとその場で解釈をしてるんですよ。そしたらわざわざタロットカードでやる理由がわかります。トランプは絵柄と数字の単なる掛け算ですよね。ハートの3は『♥×3』、ダイヤの3は『♦×3』ってだけです。でもタロットだと、杯の3は皆で乾杯している絵ですけど、剣の3なんて剣で心臓がめった刺しにされてる絵ですよ」

「つまり、ゲームで競ってるのは数字の大小でもなく記号の種類でもなく、個々のカードのストーリー性なのかな」

「トランプからタロットが派生したあと、タロットは占いに使われて、そのタロットがまた遊びのカードに逆戻りしてるんです。絶対に占いの意味が関係してます。俺たちは意味を知らずに、ゲームをやって、賭けて、ディーラーにむしり取られてる。きっとディーラーのでっち上げに言い負かされてるんすよ。ディーラーはカードの意味ストーリーを知ってるから、自分のいいように出たカードのストーリーを編集してるんです」

 つまり採点者自身は、どのような手札が来ても必ず勝つストーリーを作り上げることができる。

 ──もしや後輩は勝ち星が続いている俺に疑いをかけているのではないだろうか。

「俺は自分で採点できないよ。基本の役は覚えたけど、詳しい計算は他の人にやってもらってる」

「え?」まくし立ててきた後輩はいきなりきょとんとして、「青野さんのペテンを見習いたかったんすけど」

「ペテンなんてしてねーよ」

 しかし後輩もよくタロットについて調べ上げたもので、青野は彼の熱意に少しの感動さえ抱いた。「よく調べたよ。面白いなあ」と素直に褒めたが、後輩には知的好奇心も公平さを目指す情熱もなかった。

「俺の勝率を上げるためっすよ」

 いわく、ボロ負けしたんでなんとかむしり取り返したい。

「青野さんはホワイトリストっすよ。お金は取られなかったんで。松代さんにはマグロ漁船に乗ってもらいたいっす」

 そうかそうか、勝手にがんばれ。

 復讐鬼ふくしゅうきのギャンブラーを部室に置いて、午後の講義はきちんと出席した。夜はバンド連に行く。翌日には『未来世紀ブラジル』の衝撃も少しは癒えたが、夢にUFOが登場した。

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