フラジェル

 いつからか、眠りが浅い。

 恐怖だとか危機感だとか、そういう思念が、かつて同じ屋根の下でいつも臭い立っていて、気付けば当てられていた。眠りが浅い。夢に見るという方法で脳みそが嫌な感情を繰り返し繰り返し再生する。冷たい寝汗で飛び起きたとき、アパートはまだ夜明け前で、東京都はまだ闇の中で、新聞屋のバイクもまだ聞こえなくて、闇のなかで目を見開いて、いま目覚めたことを知る。

 一番頼れる人の名前を呼びたくなるけど、呼んで、起こして、大丈夫だと言ってほしい、でも近頃は混乱に陥る前に自分で全休符を置くことを覚えた。大丈夫、と、声に出して唱えると、自分の耳から声が聞こえて、口の中が震えて舌が運動した。大丈夫。身体は世界で一番安全な場所に避難してるから。身体はここにある。早く気持ちも引っ越さなくてはならない。

 布団を這い出てキーボードにイヤホンを刺して、覚醒状態へ思考を導く。指を動かして新しいメロディラインを呼び覚まそうとしている。オルタナティブに分け入ってしまえばちっぽけな自分の苦しみはもっと大きな試行錯誤の大波のなかに揉まれて洗われてしまえるから。未踏の世界を探してもがく苦しみの方が、小さな家族の歴史をリピート再生するよりも、何億倍もマシだった。

 

 イヤホンを繋げてミュートしても、物体を叩く打鍵音は聞こえる。活動を始めた気配に耳を傾けるも、瞼は閉じたままだった。だって今日もフルのバイトだ。生きていかなければ。

 アンプに繋いでいないとはいえ、早朝のギター演奏には禁止を諭してから、早起きの日の作曲にはキーボードが用いられた。自覚なく口ずさむハミングも聞こえるが、近隣の住宅に対しては許容範囲内の音量だった。同室の彼は耳栓を欠かさず、布団を被ってやり過ごす。

 なぜ不平不満の念が己から湧き上がって来ないのか、考えなかった。なぜなら朝になったら夕方まで生活費を稼がなければ生きてけないし、その間にかれがかれらのための歌を作ってくれる。そうしたらそれをみなで大切に育てるのだ。

 過去にはいくらでも歯ぎしりを重ねて良いと思った。なぜならかれを脅かしているものは現在ではなく過去の残響であり、日々遠く小さくなるばかりでやがては消えると知っていた。

 

 そりゃあまあ本当は起きてるんだろうと知ってたし、その上で咎めることをしない優しさに頼りきっていた。

 ちょっとは優しくなりたいと思って彼のいない時は洗濯物を干してゴミ捨てに出た。スタジオでの待ち合わせまで暇があった日、本屋でかんたんな料理本を買った。数日後の夜、白飯を炊いて塩鮭を2尾焼きほうれん草の和え物を見よう見まねで作って帰りを待った。夕勤の彼は休憩時間に軽食を取っていたが、ずいぶんさっぱりした量と質のお夜食は問題なく腹に収まった。

 きまぐれに作ったり一週間全く作らなかったり、営みにはムラがあった。体調が優れなかったり野良猫にかまけて寄り道していたり、作曲と練習に没頭して全く時間感覚を失っていたせい。はじめに買った教本が少し渋めのセレクションだったため、覚えたのは質素な和食だった。

 この件に関しては「おいしい?」と感想を求めないでいた。音楽については度々デモを聴かせて感想を求めた。色んな人の感想を聴きたいのは、生まれた歌が色んな人のもとに届くからだろうと、考えた。食事は、部屋のなかで事が収まる。感想を挟むまでもなく、作ると食べるで完結する。

 真夜中の歯ぎしりは止まない。夢のなかで懐かしい顔に再会して、想像上の包丁を向けられて気付いたことは、手料理のお手本を自分は知らないという、空白だった。空白のなか理由のないはずの不安が共鳴する。対象のない憎悪がハウリングし、鼓膜を破く。

 

 無言の時刻が訪れるといいかげんな歌を口ずさむ。


へるみーいふゆきゃんあいふぃーんだーあん
あんなーぷるーうぃくしゅー…………だーん
へるみーげまーひーふぃーばっじっがーあん
うぉんちゅーぷりーずぷりーず・へるーみー・へろーみーいー

 

 昨今の世界についてこんな話を聞いた。

 1 科学の発展は人口増加と長寿化をもたらした。まず農耕の発明で、食事が安定した。工業化が安定を更に強固にした。医療の発達によって、死ぬはずだった命が延命された。結果、今の世界には、野生環境下なら淘汰された弱い個体が生き残ってしまっている。本来死ぬはずだった脆弱な生物が、丈夫な個体と全く同等の市民権と感性をもって社会生活を営んでいる。小さい個体、能力に欠ける個体、疲れやすい個体、生きる力のない個体は、野生の中でなら自然淘汰され、群れを乱すことはないが、現代世界においてはそういう人々も市民生活に参加している。生きているからには他人と同じ水準のことをやり続けなければならないが、彼らにはそれが出来ない。しかし、既に生まれて生きている他人を、淘汰・調整することなど、誰にもできない。許されない。現代にはそんな生きづらい人が多い気がする…………伝聞のお話はここで終わっている。

 2 インディアンの神話か伝承か代々伝わる知恵のひとつ。人を助けるというのはその人の人生に責任を負うことだ。

 隣人の生と死をおれは動かしたんだ。淘汰されるはずの命を生かしたからには、かれの生と死を一生背中に負わされる。人助けというのは地球の自然な摂理を歪めてしまうことだから。

 以上が彼の所感。

 これが正しくなかったなんてことはない。今よりも悲惨な「エンディング」は、明晰に思い描ける。

 弱い個体を助ける実利はない。

 かれを逃して匿った直後は、友愛の感情が傷つかなかったことに安堵していた。結局、助けなかったら、一生の後悔を背負っていたと、その頃は信じていたが、時間が経って少し狡猾な人間の姿に気付くと、疑問がよぎる。転校生の顔と名前を忘れるように、死も忘れてゆくのではないか?

 かれには生き残るべき世界があった。あのころ立川や八王子と渋谷の小さなライブハウスで、かれはむしろ淘汰を及ぼす嵐に化けて君臨していた。軌道に乗りかけていた。もう少しで次の展望が開けそうだった。そうしている間に極地の氷塊は音を立てて海に崩れ、倒れていた動物が目を開けて立ち上がり、女性が金切り声を上げ、ドアを何度も叩いた。

 段取りを踏んで離陸しようと決めていたのに過去が刃物を振り回して追い立ててきた。展望の見えかけていた音楽と認められそうな未来を守ろうとして、やむなく急浮上し、組織改正をし、ようやく平穏を取り戻したのに、真夜中の歯ぎしりは止まない。痛ましい記憶がハウる。

 歯ぎしりのない夜も眠りが浅く、たびたび目覚めては布団のなかでもぞもぞと落ち着かない様子でいる。

 逃げ出す前は混乱の回数を両手首で数えていた。今でこそカウントは聞こえないけど、余韻がくぐもっている。

 眠れないかれを庇護したことに優越感を抱いてはいないか? そんなことはないと素面の彼は即答する。かれのピッキングがとてもていねいであることを論拠に挙げる。1音1音に叫びを込めるかれの運指を心から尊敬している。苦しくも愛おしい手触りで胃の底を締め上げるかれのメロディを信じているし、互いに持てるものを寄与しあえば音楽がいっそう冷徹に熱く輝くのをドラマーは知っている。

 けれども、とその夜はつづく。もし奴が、あるいはおれが、音楽をしていなかったら、あるいは奴に音楽の力が足りなかったら、おれは助けただろうか、かれを? かれは助けるに値するだろうか? そんな設問を生み出す残虐さを殴りつけたい。

 そのようにしてふたり揃って眠れなくなる夜もある。

 起きている気配に気付いたまま、布団をかぶって黙りこんで夜をやり過ごす。

 

 翌朝BPM70前後の包丁が聴こえる。メトロノームのベル音のような知らせの鐘の音を電子レンジが発する。出汁と味噌の匂いが漂う。今日は遅く起きて良い日だったと思い出す。

「どうしたの」

 布団をたたんで炬燵の上に朝食を並べる。

「味噌汁を、あの、大根入れてみたかったの、あとあの、卵入れるの、やってみて、これ今日のやつ、ほぼ味噌汁だから。キャベツチンしてお醤油かけただけだし、鮭焼いただけだし、なんか、味噌汁がんばっただけ。あ、あ、いい? お茶、いる? いれる?」

 今のところ質素な和食しか作れない。生きることがもう少し軌道に乗ったら二冊目の本を選ぼう。

 味噌汁だけは具沢山で重たい。温かいものをすすりながら呟く。

「おもったんだけどさあ、家庭の味がわかんないの。あの。中学入ってから、まったく作んなくなったし、だからあの、作り方がわかんなくって。どういうのがいいかわかんないし」

「うん」

「でも、卵入っているの、たぶんいいなあって思って」

「うん」

「あ、ど、どう」

「うまい」

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