これは物語ではない

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5. his story

 苗字順で高橋塔子と前後の席に配置された。少し無理をして、目標偏差値よりも高い高校に滑り込んでみると、級友たちは中学時代では信じられないほど良識的な人間ばかりだった。少年少女の間のくだらない意地、例えば性別の違いや器量の大小は、偏差値が約束する合理性に払拭され、高校では自治が保たれていた。彼女が性差をものともせず俺に話しかけたことは、当時の俺には印象的な体験だった。
 学校という閉鎖環境に放り込まれて、少年少女は自ずとルールを規定して、生み出したルールに自縄自縛される。男はこうしなきゃいけない。女はこうでなきゃいけない。高校生には男女関係があり、恋を知らなければいけない。

 当時の彼女の聡明さも、高校生として聡明さの模範に留まり、今思えば高が知れていた。彼女だってルールに甘んじていた。ルールは既に恋について触れたが、恋に限らず、高校生らしくふるまうことすべてがルールとなっていた。ルールはロールでもあった。
 彼女はルールもロールも弁えていた。良い配役を宛てがわれていたとも言える。
 彼女は俺に語りかけ、出身地の話を交わした。

「ほらい、きよたかって、知ってる? 船の帆が来るって書いて」

 同じ中学校の出身だったから、その名前は知っていた。名前が珍しいから俺が一方的に覚えていただけで、クラスも違い、交友はなかった。
 彼もまたここに進学し、我々と同じクラスになった。

「汐孝」

 俺を連れて高橋塔子は彼に呼びかけた。帆来汐孝は線の細い内気な人物で、塔子とは逆に、俺とも逆に、人の作ったルールのすべてに無関心を貫いていた。

 久々に出会って帆来汐孝は塔子と呼ぶのをためらった。幼少の頃は名前で呼び合っていたのだった。遠慮して「高橋さん」と呼ぶのを、「塔子でいいよ」と彼女はいさめた。そのついでというか余波を受けて、俺も彼女を塔子と呼びはじめる。

 塔子は、明晰で快活な気質だった。小さな劇団で演技を学んでいたためか、人前で物怖じせず、すらりとしたしなやかな背筋で、堂々と自立していた。大概の人の輪に好かれ、友達関係で引っ張りだこになっていたが、誰にも呼ばれなければ汐孝のそばに戻った。俺はと言えば、そういう出会いによって、高校に入って最初の友達が帆来汐孝ということになった。高橋塔子を介して、俺は彼の男友達というロールに抜擢された。でも俺たちにも中学の卒業という縁があるから、友達になれる所以はあった。出身中学からは俺と彼しかこの高校に進学しなかったので、心細さにも後押され、友情に溶け込むのは早かった。

 半年経ったころには俺たちは三人組で扱われた。男勝りなぐらいに聡明な(しかし、生徒会などの重役への就任は周到に避けていた)高橋塔子と、内向的で思慮深い帆来汐孝と、俺は、大抵の昼休みを共に過ごした。二人とも、俺が出会ったことのないタイプの、理性的な人間だった。仲良くできたのは話題が合ったからではなく、気が合ったということだろう。

 二人の父親は同業の建築家で、切磋琢磨し合う同期で、同じ頃にそれぞれ結婚し、同い年の子供を授かった。男の子と女の子だった。「だから双子みたいなものなの」と塔子は語った。俺は深く納得しなかったけど、上辺だけ同意して頷いた。

「深い友達なんだ」俺はそう結論づけた。
「そう」塔子はそう思っていた。

 高橋塔子は清楚だ。顔立ちはずば抜けて華やかというわけではないが、普遍的な清涼感があって好まれた。あるとき親しくない男子生徒から好意を寄せられて、断らなくてはならない日が訪れた。俺はことの顛末を聞いた。

「帆来は違うのか」それが率直な感想だったし、俺もそう思い込んでいたが、彼女は頭を振った。
「付き合うには親しすぎるの」
「双子だから?」

 彼女は笑う。「そうなんじゃないの? たぶん知りすぎて、今更なんじゃないかなあ。早く出会い過ぎたから、そういう『好き』を使い果たしてるの。好きってことが安定してるけど、これからドキドキすることはないかな」

 塔子はそれを新規性と呼んだ。
 幼い頃を知っていると関係は幼いままだ。成長してから出会うことで、装い新たに年相当の人間関係を築けるのではないか。

「でも高校で再会して、変わったこともあっただろ」
「でも、変わんなかったことの方が目立つの。彼はね」
「俺は新しいかな」
「敬司は頭がいいから」

 そんな成り行きで、俺と高橋が付き合いはじめた。口約束を結んでも、そんな気はまるでしなかった。

 教室内での温度や、友達間の態度が変わったことはなく、三人組は三人組のまま昼食を共にし、予定が合えば一緒に登下校した。最寄り駅が一緒なので、帆来と同行する日が多かった。電車のなかで彼はたいがい読書をして時間をつぶし、俺は音楽を聴いて、隣に座っていたが会話は少なかった。そうやって過ごしながら、塔子から俺宛にメールが届き、帆来の隣で俺が塔子に返事を打っていると、不思議な気分になる。俺は帆来と真逆だから、新しいのかなと思った。

 塔子がどこそこに行きたいと言う。物珍しいから俺も同意する。すると結局二人で行かずに自ずと汐孝も誘おうという話になって、帆来もなんとなく同意するので、三人揃って遊びに行く。デートらしいデートの経験はなかった。恋人であることは肩書き以外に何の利害も生まなかった。肩書きでしかないのであればそれはステータスの機能を果たさなかった。だから一切は生まれなかった。

 美術館と水族館に行ったのを覚えている。水族館はさておき、美術館なんて、高校生にしてはハイソな休日だった。塔子の親が何かとチケットを調達するのだ。娘と、娘の友達に十分な教養を注ごうとしていた。特に帆来に対しては、息子に接するように親身な態度だった。
 塔子の家である3LDKのマンションの廊下には、両親の所蔵の洋書が洒落た感じで床に積まれて、ダイニングテーブルには明るい紫色の花が生けてあった。白いカーテンがベランダからの微風をふんわりと飾る。来訪した男子高校生たちに白いティーカップでアールグレイティーを差し出す家だった。

 

 シュールレアリスムの展覧会を観に行った。時計が溶けているダリの絵は俺でも知っていた。悪趣味で、気持ちの悪いものをわざと描いた、ふざけた絵だと思っていたが、説明書きを読むとかなり真面目な取り組みだったようだ。美しければ良しとされた普通の風景画なんかよりも、理論的に批判を構築した結果、この怪奇な表現にたどり着いたようだった。

 塔子はパイプの絵を気に入った。シャーロック・ホームズが口に咥えているようなリアルなパイプたばこを描いた絵だった。絵の上に書かれたフランス語の一文は『これはパイプではない』だという解説があった。

「これは絵だから、パイプっていう実用品じゃない。絵に描かれたものはもう、描かれたそのものじゃなく、絵でしょ。だから、誰かが風景画を買っても、その人がそこに描かれた風景を支配できるわけじゃないの」

 昔々、写真がない時代、絵画は絵ではなく別世界に開かれた窓として機能していた。たとえば宗教と神話の世界を描いた絵はただの絵ではなく、額縁の向こう側には本物の神の世界が広がっているとされた。宗教の支配から王政の時代になって、絵画は権力者の肖像画という記録媒体になった。絵が絵として味わわれることはなく、絵は本物の神話世界・為政者・土地を引用するための窓だった。
 その後写真術の登場で、「本物の代用品」として用いられてきた絵は役目を終えて、「純粋な絵」として固有に自立した。しかし絵を見ている人はいまだに「絵」を紙や布で出来た物質だとは思わず、描かれている人や風景に対して、きれいだなどと感想を言う。風景画を見るときに、抽出されているのは絵の表面ではなくその向こう側に実在している風景だ。
 風景画を部屋に飾ると、あたかもその風景を手中に入れたように満ち足りる。それは窓ではなく、窓の向こうに世界は広がらず、絵は空間ではなく平坦な紙か布か板の表面だというのに。

 そんなことを書いた書物が塔子の父の蔵書にあったそうである。

「そっか」

 納得以上の感想がなかった。語られているものごとのなかに俺はいなかった。

 水族館の方が無邪気に楽しい思い出として記憶に残っている。これも三人で行った。カップルばかりで、三人揃ってうんざりしたが、俺達自身は何なのか、誰も俺達に教えてくれなかった。イルカショーが面白かったと、子供じみた感想を抱いたが、本当に面白かった。巨体が水しぶきを立てて身の丈よりもはるか高くをジャンプしているさまは、重力に打ち勝つような興奮を覚えた。体は泳ぐための流線型で、筋肉は游泳に特化して強靭だった。力を溜めた巨体が跳躍すると、水槽の上、青空の下に、うつくしい曲線によるスピンが尾を引き、背景の海は青くトンビが舞って、だんだんと、むしろ、かれは泳ぐためではなく空を飛ぶために生まれたのではないかと、夢想しながら、子供たちや家族たちのおおーという間の抜けた感嘆が客席を包むので、僕らも気にせず、イルカが跳ぶたびに声を上げて、感想が未整理のまま口をついて出た。

「カッコイイな」と敬司くんは興奮して語った。
「すごい」塔子さんも嘆息していた。「イルカショーなんて子供だましだと思ってた」

 爽やかな陽気だった。創立記念日を利用して僕達は海辺に遊びに行った。

 生き物たちが水槽のなかで呼吸をしていた。泳いで、身を翻した。小さい生き物と大きなイルカがいて、それぞれを代わる代わる注視していると、人間の大きさが曖昧に感じられてめまいがした。低い耳鳴りのような館内BGMの下で、暗い光と青く巨大な水槽の前で、頭上を泳ぐ生き物たちの白い腹を見上げている。海底を再現するありえない風景に、いまここにいることの海抜が分からなくなる。意識が潜水する。二人とはぐれたと、思ったが、先の順路に進んでいた。こういう風景に覚えがあった。女性が男性を連れて先に行ってしまう風景。その風景には必ずおなじ感情が伴っている。僕は二人が去るのを惜しむ気持ちでいるが、僕には止められないというもどかしさも記憶している。いつもそれがはじめてではないが、はじめてのきっかけは思い出せず、その日の水族館もはじめてではなかった。記憶を思い出そうとしながら大水槽をもう一度見上げると、頭上をアカエイが羽ばたくように横切り、外敵のない大いなる遊泳を見上げているうちに、泳ぎ疲れた後のように腹の底が鳴って、気管がむせ返って咳の発作が出た。口を抑えて咳き込むと手とシャツが濡れていて、飲み物を溢したような気分になった。手を濡らした液体が自分の口から出たものだとしばらくのあいだ気付けなかった。

 先を行く二人は深海のエリアでユノハナガニを眺め、丁度生物の講義で習ったばかりの熱水噴出口の風景を知った。水圧で圧縮されたカップラーメンの容器を見た。オオグソクムシの生体を見た。画素の荒い携帯電話のカメラは、薄暗いなかで蠢く生物の撮影には適していない。

 途中の小部屋には複数種のクラゲが展示されている。正面のひときわ大きな水槽の中身は青や紅にライトアップされ、乳白色の丸い群れが水槽のなかでゆっくりと攪拌されて、照明の変化によって低速の万華鏡のように姿を変える。時の流れがゆるやかになった。時間が水の抵抗を受けているようだ。

 二人はその少し離れたところにある水槽の名前を読み上げた。

「タコクラゲ」
「どっちだよ」
「クラゲなんだよ」

 直径5cmの半球に先分かれした脚がついている。半球は水玉模様の薄橙色で、それを一生懸命に拍動させて推進力を得て泳いでいた。

「かわいい」と訪れた女性たちが囃した。女はすぐにかわいいと言った。彼女も御多分に洩れない。確かに、健気な小動物だった。

「俺は気持ち悪いな」

 順路を行く。今度は長い髪の毛のような触手が水の中に糸を引いていた。先のタコクラゲのように積極的な拍動は見せず、水の流れに身を委ねきって流されて、時々思い出したように一掻きだけ拍動し、その一歩の分だけ浮上するが、また水の流れに任せて沈殿する。得体の知れない姿におそれを抱いた。顔の無い生物は恐ろしい。およそ意思どころか野生も感じられない生き物だが、これでいて有毒で、強い神経毒をもち、死亡例も報告されていた。夏のニュースで海水浴客がクラゲの被害にあった報告を例年放映しているのを、すぐには思い出せなかったが、記憶の底では理解に結びついていた。潜在的な恐怖だった。

 複数のクラゲを同じ水槽に入れると、長い触手は絡まって結び目になってしまった。おのおのが別方向に流されるせいで、結び目はいっそう固く幾重にもねじれて、ちぎれた触手が水中を舞った。女の長い髪がもつれて痛む様子を連想させた。縺(もつ)れながらもどかしく自滅に向かう様子に苛立ちがつのった。けれど、透明な壁に隔てられているうえ、その身体の脆さと猛毒のために、手を伸ばして解いてやることは叶わない。橙色の分厚いゼリー状の身体は花にも魚にも動物にも似ていない、その生物固有の半透明色だった。かさの縁から十二方に伸ばした朱色の触手の根元は肉厚で、拍動のたびにダイナミックに波打った。かさの中心からは茸の柄のように太く白い芯が生え、それはフリルのようにたなびきながら枝分かれして、触手とともに糸を引いている。

「汐孝は?」

 彼女がふいに尋ねる。彼はその水槽の前につっ立っていた。

 ひんやりした水の温度が水槽の並ぶ一室を冷やした。それは温度としての冷たさのみならず、イメージの上での冷ややかさだった。水温の冷ややかさ。照明の冷ややかさ。研究機関の冷ややかさ。心象の体温を奪う冷ややかさだった。

 白い指先でアクリルガラスの表皮をなぞる。ゼリー状の生物の曲面が彼に応じる。それは彼の額と鼻筋の形を思わせる。

「汐孝」

 ベンチに座っていた塔子が呼びかけた。
 俺はそこにある二人の親しみの情にやられそうだった。そこにある情の強さは誰にも侵せないだろうと思った。

 その後、砂州に架けた橋を渡って島の方へ歩いていき、観光地にあたる参道を登って、島の頂上の展望台のチケットを買った。塔子と帆来は島の急坂にバテていた。励まして、展望台に登り、戸外の空間に出ると、風は涼しく、トンビとカモメが頭上すぐそばを舞った。薄灰色の砂浜が相模湾沿いに視界のはてまで延々と連なった。太平洋側から振り返り見た海岸線の入江と岬の輪郭は、確かに地図上の日本列島の一部をなしていた。海の方は薄もやがかかって、水平線は不明瞭だった。白い引っ掻き傷のような雲が天頂から水平線に向かって弧を描いていた。日差しに西日の銅色が混ざり始める時刻で、青空と金色は相反して、空と海とが濁りながら金属色に眩しく反射した。二人は隣り合って海を眺めた。二人は殆どお揃いの、スカートであるかズボンであるかしか差異のない白と紺の服をまとっていた。

 銅色の太陽が網膜を焼き、皮膚をゆるやかに火傷させた。傷口に塩を塗るかのような海風、細く長い彼女の髪が向かい風に暴れてはためいた。

 携帯電話を取り出して、スピーカーを指の腹で塞いで、シャッター音を隠して写真を撮った。そんなことをしなくても、辺りは写真を撮る人ばかりだったし、風が絶えず音を吹き流した。

 逆光の二人のシルエット写真。QVGA規格の隠し撮りは、携帯端末の画面解像度の毎年の技術刷新のふるいに掛けられ、いつしか無用の長物の低画素とみなされ、バックアップもなく端末のメモリの底に埋もれた。端末の買い換えと執着心の喪失はちょうど同時の出来事だった。

 だから、何世代も後の端末から、彼女の方から、俺に宛てて、メールが届くなど思わなかった。

 

From:TAKAHASHI To-ko

お久しぶりです。
お元気でしたか。
私は先日帰国しました。
しばらくは東京にいるつもりです。
謝りたいことがあります。
もしご都合がよろしければ、お会いできませんか。
よろしくお願いします。

 

「式には呼んでくれよ?」

 彼女は口元だけあいまいに笑う。

 

 学園祭の日、舞台の女優を照らす二台のスポットライトのうち、上手の係が不意に卒倒した。意識を取り戻さないその男子生徒は口の端からとくとくと真水を溢した。

「汐孝」

 舞台上の女優が第四の壁を破って叫んだ。
 舞台下手のスポットライトは、舞台を降りて駆け寄る女優を捉え続けた。
 倒れた男。抱きかかえ揺さぶる女。そんな様子を、女の恋人は、舞台上の遠い出来事であるかのように、その場に駆け寄りもせず照らしていた。

「汐孝……」

 大根役者たちの高校生のなかで、彼女だけが本物の俳優だった。観客の視線の行方を知る毅然とした姿勢で舞台に立ち、筋書きの行間に込められた余韻を正確に発声することができた。彼女の現す感情は本物だった。それが悲しいと分かる声だった。

 救急車のサイレンが上演中の物語を別(わか)った。

 医師は詳しい病状を知らせなかった。家族の方にしかお話しできません。なぜなら、病と健康も個人情報に含まれるご時世だった。
 男子生徒の母は実家に静養し、父は全国の都市を点々としていた。肉親に連絡が取れるまでは時間を要した。

 下手のスポットライトを操る生徒に、女優は、契約の終わりを切り出した。

「どうして」いままで手も繋いだことのない仲だ。いままでの交際関係に意味がなければ、破局にも実効性はない。
「だって、私が彼についてなきゃ」

 彼は、彼女がヒスを起こすような「女」だったことに落胆した。彼にとってはヒスでしかなかったが、彼女は腹の底を固めていた。高校生の頃は盲信に近かった彼女の覚悟は、大人になってからいよいよ冷徹な本物になる。しかし当時の決意を「恋人」に伝えることには失敗した。恋人の反発は想定していたが、用意していた反論は互いの感情をケアしてくれなかった。幼かったのだ。高校生の恋の規範やあるべき姿から逃れられなかったし、あるべき姿以外のありかたを学ぶ機会も見つけることができなかった。

「結婚すれば彼を守れる。法的に彼に付き添える」
「口だけの関係じゃないか」口約束の恋人は言った。
「そう、文字の上だけの利害関係なの、法の庇護を受けたいだけ。家庭なんていらない。私が、女でしょう。そしたら男の彼と契約ができる」
「思い込みもいい加減にしろよ。あいつがもし女に生まれてたら? 俺に、結婚してやってくれってすがったのかよ」

 彼は本当はこう言いたかった。「俺たち」じゃあ駄目なのかよ。どうして彼女は退路を断つような真似をするのか。友達として、もっと広い目で、広い仲で支えることもできるんじゃないか。しかし高校生の彼もヒスを兆していた。二人きりですべき会話ではなかった。
 蓄積された疑心が堰を切る。最奥にあったのは、疎外感。

「やめて」

 顔を近づける。親愛の情を所有欲が押しのける。男女としてどれだけ腕力の差があっても、心のなかでマウンティングしても、満たされることはなく、彼女の覚悟に勝てないと分かっていた。言葉を発する唇、台詞を演ずる唇を、言葉ではない方法で塞ぎたかった。

「守ろうとしていた。口約束だとしても、約束には変わんないだろ。俺はきみを特別視して、楽しませたいと思って、人並みに守ろうと」
「守るなんて言わないで!」

 少女の泣きそうな姿に少年は胸を打たれた。取り返しのつかない方向に二人で歩みを進めることも、創造の喜びの異なる現れ方のひとつだった。きみのことを傷つけたくはないが、きみと傷つけ合うこの時間は二人の営みだ。

「俺はきみが好きなんだよ」

 たとえ、知らない男に言い寄られたときの逃げ口に使われる恋人関係でも、手も繋いだこともない仲でも、一切の実効性のないただの肩書きに彼は愛着を抱いていた。
 でも相手は女優なのだ。いつだって最適なロールに自分を整形することができるし、ロールを着こむのと同じように脱ぎ捨てることにもためらいがない。
 彼女が俺を何らかの特別な役割に仕立てたことが嬉しかった。高等教育の場で、生まれに関係なく人々は対話によって絆を築くことができるのだと、平等の夢を信じた少年は、きょうそれを裏切られた。明朗で快活な彼女も、結局は女で、幼馴染を選ぶんだ。
 きみは、彼にとっての聖母のロールを選ぶのか。俺も彼の友達なのに。

 腹の底にドライアイスの小さな塊が落ちたようだった。以降、言葉の端々からは白い冷気が漂った。

「それじゃ、俺にとってきみはただのお友達になったってことだ」
「敬司、ごめん、傷つけたかったんじゃない」
「いいよ。彼の回復が優先だ。そうだろ? その方がいい」

 

 大事には至らなかった。目覚めてから数日静養し、退院した。
 朝の教室に現れた彼の顔を見ると少し気持ちが晴れた。生きている。歩いている。

「よ、おはよう」

 心配させないよう軽い調子で声を掛けた。ノートを写す? 課題も手伝う。はにかむように微笑んで頷くような、おだやかな友達の姿は見つけることができなかった。彼は目も合わせられないでいた。申し訳なさでも感じているのだろうか。
 彼の前の席に腰掛けた。“いいって。友達だろ?”と、いつもの許し合う態度でいた。理性と言論に統治されたなら、人々は平等で、心の伝達は遅滞も抵抗もなく分かり合えるはずだ。

 伝えたはずの思いやりは打ち寄せる白波にかき消された。

 一度意識を失って彼は穴の底に落ちた。他人の言葉は口の端から泡が立ち上るようにしか見えなかった。言葉に意味が伴わず、目に見える人々は彼にとってひどく不自然に隔たれて遠かった。存在が遠い。彼の意思は、人に親しみを覚えず、太古の泡立つ海を骨のない身体で漂っていた頃に回帰していた。
 人が水槽のクラゲをグロテスクだと言うように、水槽の生物は人をグロテスクだと見る。
 人の親切がグロテスクだった。

 親切心をはねのける、喉元まで出かかった冷酷な言葉は、なんとか人らしい理性で抑えられた。しかし、彼は、顔を背けてしまった。怯んだ弱い表情が一瞬伺えた。決定的だった。それは友達に対する態度ではない。

 この高校でなかったら、自分の親切を反故にする友達を、胸倉を掴んで怒鳴っていただろう。血の上った少年が、変わってしまったかつての友達の肩に手を置き、微笑みかけるのに留まったのは、高等教育の賜物といえる。
 言わなくても分かる関係のような、美しい友情を夢見ていた。幻だったと分かった。

「何があったんだ?」

 問いに、かつての親友はいっさい応えない。
 友達の面をしたその皮膚の下に誰がいるんだろうと思った。その人の姿をしてその人ではない、ゾンビみたいだ。熱病かなにかで人間らしさが焼き切れてしまったように思えた。同じ姿をしていても変わってしまった。不可逆的に。

 友達は失われ、女はお嫁さんになり、俺は結婚式を彩る無名のお客さんか?

「汐孝」

 だから、二人は俺を除け者にして幸福に、不幸になるのだろう。勝手に、自分で書いた筋書きを演じていくのだろう。そこに俺はいない。いや、俺もいた、いたんだ、今まで、今日まで、引き立て役の気のいい友人として。

「おい」

 そうやって悲劇と美談が成立する。俺も悲劇の一員か? 恋愛と友情の天秤に軽んじられたKは現代文の教科書で例文に担ぎ上げられた。見栄えの良い三角関係の、引き立て役の一片を宛てがわれていたに過ぎなかった。そして残ったふたり、奇病で人が変わった友達は奇妙な体験談のログに埋もれて、献身的な介護を続けた妻は驚きの実話の再現ビデオの演目に編纂されるのか?

「汐孝」

 そんなんじゃねえだろ。

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(revision 2017.09.01)

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