『Solarfault, 空は晴れて』

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作品は災厄としての祝祭であり、諦めを要求する。(ブランショ『書物の不在』)

@solarfault 12年8月15日

 

 本を借りた。装丁がきれいだったから借りた。作者は知らないが、フランス人だった。白い表紙のハードカバーで、本文紙は深い群青色の厚紙、印字は銀のインクという特殊装丁で、さわりをぱらぱらと開いてみただけでまだ読み始めてはいない。ぼくの前に借りた者もいないらしい。

 部屋の扇風機が頼りない。部屋に充満する空気自体が既に熱気に満ちているようだ。どうしてか、風通しが悪い。ぼくの隣のパソコンが起動中だからというのもあるかもしれない。

 本を借りてからけっこうな日数が経っている。図書館からではなく友人から借りた。あれは夏のはじまりだっただろうか。しかしその人だってぼくの『異邦人』を借りっぱなしで返却の目処は立っていない。貸し借りこれで相殺と言いたいのではなく、ぼくも彼女も「いつか返して貰えればいい」と、期日にはしがらみないたちなだけだった。

 本棚に本を収める癖がないぼくは部屋のサイドテーブルに高さ30センチの文庫本の塔を建立している。それと、彼女から借りたハードカバーを机の上に置いている。彼女彼女と言っているが、ここではエクリさんと記そう。ぼくは一年前に本を貸し、エクリさんから借りた本を読んでいる。

 記憶を辿ろう。ぼくは『見えない都市』を読んでいる途中で、これは借り物ではなく古本屋で買った私物で、今は彼女の本と同じく机の上に重ねている。買ったはいいが読む気になれない、そういう本が部屋にタワーを建てている。背表紙のタイトルを眺めても、まだだ、と思い手に取らない。まだ、これを開く時ではない。そうしてずっと読まないのだろう。

 コップの中で氷がぶつかり、その都度涼しい音を立てる。炭酸水でシロップを割って、杯交える相手もなく貧乏くさくなめている。今、コップは淡青色をすかしているが、シロップの原液は絵の具よろしく真っ青で飲み物ではない色をしている。それにシロップは小瓶で売買される。一度に飲み干すなどという贅沢な真似はできない。そもそも原液のまま口にしてはいけない。洋菓子作りに使うバニラエッセンスを想像してみてほしい、あれをそのままなめてはいけない。そういうことだ。水なり酒なりで割ってやる。ぼくは炭酸水で割る。薄味が好きだからなるだけ淡い青になるように注ぐ。秦野はそれで酔えるのかと馬鹿にしたが、ぼくから言わせればあいつが飲んでいるのは原液だ。よく飲めるよと感心する。

 秦野は酒もやるし極甘のシロップもやる。けれども全然悪酔いしない体質で、だから酒も気持ち良く飲める。ぼくは飲めないから知らないけれど。まあ、酒の話は止めよう。

 真昼、太陽は高く、まっすぐに地上に突き射した。夏の太陽は首筋の弱い皮膚を焼いた。影が灼きつき、氷は溶けた。ぼくはとても炎天下で活動できず、だから日が暮れるまでPCを開いて書き物をして時間を潰していた。あたりが暗くなってから財布だけ持って散歩に繰り出した。夕方になり少しは気温も冷めたが、それでも歩くと額に汗が滲み、外気の熱に気押されて、バニラアイスを食べたくなった。

 左右からの蝉の声に追い立てられて歩いた。どうして東京の蝉は夜間も絶えず鳴いているのか、砂嵐みたいで不快だ。蝉にも音階があれば楽しいのにと思う。一番近くのコンビニに入る。アイスの棚を見ていたが、だんだん喉も渇いてきて冷たい炭酸を飲みたくなった。メロンソーダとミルクバニラ味のカップアイスを買った。

 帰宅して、夕食が何もないことに気づいた。冷蔵庫に正月の残りの餅があったから、暑苦しくもそれを食べた。

 

 色々あった。ブルーハワイにチョコチップチョコにカフェオレにと変動したアイスの好みは、最近バニラやミルクに落ち着いた。めぐりめぐって初心に帰り、バニラアイスの汎用性に気づいた。カップアイスではなくバットで買ってコーヒーフロートやクリームソーダを作った。仮にブルーハワイアイスでコーヒーフロートは作りたくないと思い、そういえばコンビニにブルーハワイはなかったと思い出す。水色のソーダ味はあった。ブルーハワイの青には足りない。

 ブルーハワイを食べたいと思った。全くの思いつきで、皿に取ったバニラアイスにシロップをちょっと垂らしてみた。シロップのあの妙な甘みはブルーハワイに似ているかもとにらんだのだ。けれどもシロップのかかっていないアイスの方が美味しいというまことに不本意な結果に終わった。シロップを、薄く伸ばせば食べられなくもないが、原液はどうしても苦手だった。濃厚すぎる。どうしてもソーダ割りでなければ飲めないらしい。そこでまたしても思いつきで、コップに氷と炭酸水を入れ、アイスにかけたシロップを注ぎ、上に食べかけのアイスを浮かべた。これは、なかなかよかった。何よりもバニラアイスは美味かった。もっとしっかり作ればもっと美味くなると考えた。しかしシロップを飲むたびにアイスを入れるのは贅沢だ。フロートは特別暑い日だけのたのしみに決めた。

 結局「ブルーハワイ」とは何だったのか。ぼくはハワイには行ったことがないはずだ。

 

暑いのと、嫌な夢を見たので、夜中3回ぐらい目が覚めた。午前3時はさすがにセミも鳴いてなかった。

@solarfault 12年8月13日

触覚のある夢を見た。というより、夢の中で触っていた。なんだかわかんないけどむにむにして柔らかい白い物を触っていて、手でつまむ感触があった。実際の手は動かしてなかったけど。それでうとうとしながら本当に手を動かしてみたら、夢のむにむにの感覚は消えてしまった。

@solarfault 12年8月11日

 

 手の届く範囲にいつもコップはある。空であっても何か入っていても、机の上だとか、だいたいすぐに手が届く。今、麦茶を半分飲んだ。冷たいものが飲みたいので、製氷が追いつかなくなりそうだ。

 西日が射す。ぐだぐだと、パソコンを開き、目的もなく遊んでいる。

 そのうちにブラウザを開きながらエディタを開いた。何か、書こうと思った。800字位で詩みたいに心地良い文が書きたくなった。しかしテキストを書きたくなったが書き起こしたい題材がなかった。「小説を書こうとパソコンの前にねばっているが全然思い付かずに日が暮れる話」でも書こうか、しかしその逡巡は小説を書いたことのある人にしか分からないと思う。それではつまらないと思う。そのお話は本当だし、個人的すぎる。ぼくは嘘でも本当でもないお話が好きだ。

 何か、題材になるようなものはなかったか。

 前の週末、秦野に誘われて、河川敷でバーベキューしたことは書けるだろうか。本当は神原も来るつもりだった。少しして里田さんが合流した。秦野の私物のバーベキューセットで炭火でトウモロコシとか焼肉を焼き、里田さんは夕方の明るいうちからひたすら花火をしていた。秦野は、火をつけることを心得ていた。うちわで扇いで酸素を吹き込むと、炎は大きく赤くゆらいだ。いかにも炎らしいかたちの炎だった。真っ赤に燃えて、波打ち際のリズムのように、一定の不規則さでゆれていた。不規則を約束した自然科学の法則だ。そんな摂理をたやすく想像させる、あまりに炎じみた炎だったから、ぼくは炎よりも法則のことばかり考えて、まるで映像みたいだと思った。本物だからこそ嘘くさかった。できすぎていると思ったのだ。金網に乗せたトウモロコシはすぐに焦げ目がついたから、炎はやっぱり本物だったのだが。

 ぼくは炎の感想を秦野に告げた。あまりに炎らしい炎だから現実よりもCGみたいだ、数式で再現できそうだ、でも熱くて物が焼けるからやっぱり本物なのか、と。でも焼けたトウモロコシは美味いからやっぱり本物なのだろう、と。

 秦野は「食って体内に取り込むことは生命として確実じゃないか」そういう旨を答えたはずだ。ぼくはあの青を連想した。確実にぼくに浸透している……。

 ここで、コップの麦茶を飲み終えた。暑い。部屋に熱気が停滞していた。飲んでも飲んでも喉が渇いた。冷蔵庫から麦茶ではなく炭酸水とシロップを出した。シロップはほんの数滴でいい。いつもなら氷は三つ入れるが今回は二つに留めた。一口飲んだ。腹が冷える。青く広がる。浸透する。ほのかに、甘い。

 机に戻り、パソコンには向き合わずに読みかけの文庫本を開いた。図書館から借りた分やエクリさんの本や、読書ノルマは沢山ある。書けない時は読めばいいだろう。足を組んでページの栞をひらく。椅子に座っていたのがそのうち床に横になる。窓から風は入らず蝉はじりじりとうるさい。暑い。気持ちは溶けている。無為に過ごしているなあと思った。

 

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