act.2 Day & Dream
Good Morning
夢を見た。やけに現実味を帯びていて、目覚めてはじめてこれが夢だったと気付いた。気付いたはいいものの、内容については一切を思い出せない。よい夢か悪い夢かも手応えが無い。携帯のディスプレイを見ると4時半。一瞬夕方と見間違えたが、そうではない、朝だ。ただしあまりにも早朝だった。昨晩眠りに就いたのは1時だったというのに、今日は日曜日だと言うのに、どうしてこんな時刻に起きてしまったのか。とにかく一度目覚めてしまったものは仕方なく、アラームを止めて布団を出た。僕は二度寝が出来ない。身体は睡眠を欲しているだろうけど、目は冴え冴えとして得るべき睡眠を認めなかった。カーテンを開けると外は夕暮れのように暗かった。日の出前だもんなと思う。外にも内にも何も気配はなく、寝静まるということばが似合っていた。
ふと、夢の断片を思い出した。ような気がした。
女性に抱きついて泣いていた。薄闇の中だった。
フロイトが喜びそうな話だが著書も解説書も別に読んだ事は無く全くの偏見だ。しかし夢の中の時刻と現在はちょうど同じだと気付く。日暮れか夜明けの青い暗がりの中だったから。
時刻とともに場所も思い出せないものかと考える。思い出せない。舞台は、外、中、どちらでもよかった。相手の顔も分からない。
所詮は夢だから無駄な詮索は止めることにする。こうしている間にも断片はどんどん消えていく。夢は啓示でも何でもない、と割り切り考察を遮断した。さてと今行うことを考える。面倒くさいのでもう着替えてしまう。そしてメールチェックをするが返信はなかった。彼女はまだ寝てるんだろうなあと思う(彼女は僕のカノジョではない)。
とにかく部屋着は脱いでしまったからなにか活動しなければと思いはじめる。しかし家族もまだ寝てるだろうに、何をすればいいんだろう。携帯で天気予報を見ると最高26℃で一日中快晴。少し暑くなる。ついでに掲示板を見るが進展は一切なく、ネタとグダグダのまま終了し、悪霊の話題は完全に失われていた。彼女は多分もうそこには現れない。
携帯を戻すと、机の上の読みかけの課題図書の、目と、目が合った。本の表紙に人の顔を起用するのはいかがなものか。ましてや真顔。その表情には指さして笑える所が一つもない。真面目でありふれた顔立ちだった。もし朝のC駅で出会っても何も違和感無い。事実外人はありふれている。
ある朝男が商社のスーツに身を包み僕を訪ねる。こんにちは、私はこういう者ですと名刺を差し出す。
受け取ると、そこにはカフカとある。
かくのごとき課題図書の〆切は今週末。読了後、証明のために要約文を提出しなければいけない。すでに88ページ(本全体の三分の二)まで読んでいるから造作ないのだけれど。
家に居てもやることなんて高が知れていて、日はまだ昇っていないのに僕はすでに退屈していた。今僕にたのしく出来ることを考える。四畳半の自室は朝をもてあますためにはひどく狭い。外はさっきよりも明るみはじめ、比較的明るい紺色だった。望まなかったにせよ、早起きしてしまったのだから、この時間を有意義には過ごせなくてもせめて浪費はしたくない。何とかならないかと窓の外を見ている。真下に団地の駐車場が見える。そしてふと思った。
そういえば。
最近、崖へ行っていない。
思えば小学生の時以来崖を訪れていない。中学も駅も坂の下だから坂を登ることもなくなった。そして崖へ行くためにかつて早起きしてまでしていたことも忘れていた。今の僕は完全に夜型。
日の出を見に行こう。
なんとなく脳裏が晴れわたる様を感じた。宇宙の晴れ上がりを想起する。右ポケットに鍵と携帯を入れ、左ポケットに課題図書をむりやりつめこんだ。家族を起こさないよう出来る限り静かに戸を閉めて、僕は早朝の街へ歩み出た。空気の冷やかさに僕は驚いた。ここはまだ夜の延長なんだと実感する。目指す坂まで十分の散歩。心持は夜よりずっと健康だ。
見上げると頭上には雲ひとつかかっていなかった。僕はかすかに興奮している。思考は晴れて透明になった。
まどろみの中もう夜明けが近いことに気付く。目を開ける気はしない。時間を確かめる気もしない。けれども瞼の向こうが青みはじめている。屋根無しの生活は自然と太陽に鋭敏になる。それは今日明日の気候が命取りの生活だから。さいわい今の季節は昼も夜も過ごし良い。……寝返りでもうちたい気分だ。背中が硬い。しかしおれが居るこのベンチには寝返りうつ程幅の余裕は無い。寝る為に設計されていないからだ。妥協して腕の位置をかえ目を塞ぐ格好をとる。自作の暗がりにほのかな安心を覚える。とにかくもうひと眠りしていたい。わずかな温もりに甘んじていたい。せめて六時までは「ホ――、ホケキョ。」……屋根無しの生活は寛大だ。そもそも侵入者の概念が無い。鳥のさえずりを聴いて目覚めるとは、風流と言えば風流だ。疲れ切った現代社会にいかがですか。鳥の声で目覚めるとはロマンチッ「ホ――、ケキョッ。」……うるさいな。朝っぱらから。こっちはまだ眠いんだ。ちょっと向こうに行ってくれな「ホ――――、ホケキョ。」「ツツピーツツピーツツピー」「ピィ――ヨ、ヂュンヂュン」お前別の鳥だろ。便乗しやがって、今何時だと思って「ホ――、ホケキョッ。」……今何時だと思っ「ケキョケキョケキョケキョケキョケキョケキョケキョ……」
「――う、うるせえぇ!!」
とうとう怒鳴り散らして目が覚める。ただどんなに怒り心頭に発してもお話の通じる相手ではない。しかしそれにしても近所迷惑(ただし、その点に関して自分を棚に上げることはできない)。
「ホ――、ホケキョ。」
少し遠くへ飛んでいったらしい。姿は見えない。さっきまで、恐らく、ベンチに寝ているおれには気付かず、ほとんど耳元で騒いでいったのだろう。鳥にさえ気付かれないのかと思うと何か不健全な一人笑いがこぼれてくる。言いようも無く生ぬるいやるせなさに苛まれる。仕方なさというのは本当に仕方ない。
ベンチから身体を起こし伸びをする。ついでに両手を空にかざし、いつも通りであることを確認する。その手で腕、膝、首筋から顔にかけて触り、脈拍とか体温、自分の姿を確かめ、深呼吸する。普通。普通ではないのにいたって普通だ。これではじめて安心する。まだ、自分は存在している。ここまで朝の動作を済ませてしまうともう眠る気にはなれない。
空は紺色に変わりはじめているものの街灯はまだ灯り薄暗い。肌寒いし夜と言って通じる時刻だ。鳥自体はだいたいこの位から鳴き始めるけれど、こんなにうるさいのは今日が初めてだった。
「ホ――、ホケキョ。」
まだ鳴いている。交番の方に移ったのかな。
「ホ――、ホケキョ。
ケキョケキョケキョケキョケキョケキョケキョケキョ……。」
よく息が続くものだと思う。それと、早朝はボリュームを一つ落とすといい。
「ホ――、ケキョ。」
これほどの大音響なのに姿はまるで見えない。声ばかり聴こえる。それが少し気になり、ただ単純に姿を見てみたいを思った。(できることなら、とっちめたい。)公園を出て声を追ってみることにした。こういうことが前にもあった気がする。小さく咳払いして声を整え、夜明けの街へ、歩いて行く。