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昨晩からの悶々とした心地が晴れない。違和感と言うべきか、釈然としないままであった。何故あの時何も疑わず「透明人間」に手を貸したのか。
いや、確かに自分は疑っていた。説明付かない怪異を理性でなんとか説明付けようとしていた。だがあの現場で理性は追いつかなかった。怪異はあまりに良く出来ていた。第一に朗々と聴こえた声、恐らくスピーカーボイスではない。あの場にザムザと名乗った本人が居たことは確かだ。自動販売機の作動は、機械自体を遠隔操作。浮遊のトリックは分からないが浮遊手品なら世に幾らでもある。そして時は夜だった。暗がりの中に「ザムザ」本人が隠れる事も可能。そもそも「ザムザ」は手品師(か、その集団)、飛躍するならば超能力、更に飛躍させ……本人の言う「透明人間」。しかし手品師か超能力者の自己顕示であるなら、何故あの小さな公園で、僕を相手にしたのか疑問が残る。
ともあれ昨日の接触だけでは「ザムザ」の正体は不明、と、今日は密かにビデオカメラとボイスレコーダーを持参した。固形物への反応を見る為につまみと称してスルメ等。前日の約束通りに冷やしたビール。表向きに言うなら、酒盛り。
思えば僕はこのビールを持ち去る事だって出来た。何を律義に約束を守っているのだろう。ザムザの話に付き合わず無視を決め込むことも出来た。だのに僕は彼の話に律義に付き合い、名まで教え(ザムザなんて、その場で考えたような、明らかな偽名ではないか)約束を守りまた公園へ向かう。つくづくお人好しではないか。
ポケットのレコーダーの電源を入れ僕は家を出た。公園迄自宅から徒歩十分程。ビデオの電源を入れようと公園前の角で立ち止まる。するとまたも公園から男の声がする。しかし、それはザムザの声では無かった。
街灯の下に男と少女が見える。まだ学生らしい少女を、男が追い詰めている。男はどうやら露出狂、しかし露出狂以上に卑劣な行為を行おうとしているらしい。
「……ちゃんはわざわざ来てくれたんだ……覚悟は、出来てるよねえ?」
笑みを浮かべ、男は少女に触れようとする。まずいと直感し、ためらわず僕は飛び出した。
そして僕に注目する者は無かった。
僕が飛び出すと同時に、男が撥ね飛ばされたからだ。
男は鳩尾を抑え、よろめき立ち上がる。
「……クソガキィ、大人を蹴ろうだなんて、いい度胸してんなァ?」
しかし少女が反撃したようには思われない。男の言葉に返したのは、聴き覚えある男声だった。
「おいクソ野郎、このおれを相手にしていい度胸してんなあ? ここが誰の公園か分かってるのか?」
虚空から聴こえる声は低く囁いた。威圧する声に男は動揺を隠せないものの、とにかく平然を保とうとする。
「だ、誰の公園ったって、そりゃあ、オレの公園だよ! オレが悪霊様なんだからよ! こそこそしやがって、隠れてないで出てこい!」
「お前こそ、大事なものしまえ!」
と、声が返される。聴くが早いか、鈍いうめき声をあげ男はうずくまった。
ほぼ全裸の相手に対し一方的な攻撃。そろそろ過剰防衛の域に達している。二度の攻撃を受け男は完全に腰砕けになり、がたがたと震えている。
暴力は僕の本望ではない。鞄からビデオカメラを取り出し、歩み寄る。なるべく事を荒げないように語った。
「先程までの貴方の行動は全て、証拠として録画しました」
うずくまり気勢を無くした男は、情状酌量の余地は無いが、何か気の毒なように見えた。
「この映像を僕が警察に提供するか、今自首するか。僕は自首を勧めます」
顔面蒼白の男は腰を抜かしながらも「ぽ、ポタージュ様ぁ!」と悲鳴を上げ、逃走した。その足は確かに交番へ向かっていた。
「あいつ、前ボタン全開のまま逃げてったけど、大丈夫か?」
出し抜けに透明人間の声がした。
「……何とかなることでしょう。それよりも、貴方こそ立派な暴行ですが」
「まあ……ちょっと歯止めが効かなくなって……おれの振りして悪事に及んだんだろ、あいつ。そういえばきみ、いつから録画なんてしてたんだ?」
「初めからしていませんよ、すべてフェイクです」
思わぬ所でビデオカメラを使用してしまった。撮影は見送りだが、ボイスレコーダーはまだポケットの中で作動している。ザムザは僕の魂胆に気付いているだろうか。
ともあれ、少女は無事だった。
「ああ、そう言えば……お怪我はありませんか、お嬢さん?」
少女は、先程の格好のまま縮こまっていた。かなり明るい茶髪と青い眼が目立つ。恐怖は特に見られないが、きょとんとした様子で僕を見上げる。当然だ。目の前に声だけの男がいるのだから。
と言うか、声だけの相手に平然と会話をする僕の方が、少女には不審に見えるのではないか。
「突然済みません……大丈夫でしたか」
月並ではあるが僕も声を掛けた。少女はどちらの問いにも答えないまま微笑み返した。その微笑みに敵意は無いらしい。少女はポケットから小さなメモ帳を取り出した。少女が、か細い丸文字で書くことには、
『いると 思ってた』
口を効けないのだろうか。彼女は愛想良く微笑むばかりでイエスともノーとも分からない。
「いると思ってた……誰が?」
恐らく僕の隣にいるだろう、ザムザが声を上げる。少女は声の聴こえた方を指差す。
「――え、おれ?」
ひどく驚いた様子である。興奮気味にザムザは尋ねる。
「あの、もしかして、おれのこと見える人?」
しかしその問いに少女は首をかしげた。つまり見えないらしい。透明人間は落胆した。
少女は携帯を取り出し僕に画面を見せた。市の非公式掲示板らしい。最新のトピックが表示されている。
『××公園 悪霊だけど何か質問ある?』
「何これ!?」
不意にザムザが携帯を取り上げた。彼女の端末が宙を浮く、その光景を少女は大変に感心した風に眺めていた。ザムザも、別の意味で携帯に食い付いていた。
「何だよこれ、誰が悪霊だって? 誰がコーンポタージュだって? 何でこんなに広まっているんだ? おれは好きでポタージュばっか飲んでるんじゃねえ。一体誰がこんな事を!」
「さっきの男でしょう」
僕は携帯電話を奪い返し続きを読んだ。そして画面を
28:celesta
今夜会いに行ってもいいですか?
で止め、少女に見せた。
「この、セレスタというのが貴女ですね?」
少女は頷いた。
「そして悪霊を名乗ったのが、先程の男」
首を傾げつつも、少女セレスタは頷く。
「あの男は悪霊に成りすましただけの愉快犯だった。初めから出会い目的で書き込んだのかは分かりませんが、貴女の書き込みを見て行為に及ぼうとし、そこに“悪霊”本人による邪魔が入った。あらましはこうでしょう」
「おれは幽霊じゃない!」
ザムザが不服げに叫ぶ。
「もうポタージュ様で定着してますよ」
「だっせー!」
『× ポタージュ様?』
彼女は文字で問いかけた。
「ああ、ええと、おれは幽霊じゃなくて、透明人間。ついでに名前もザムザって言う」
『ざむざさん 透明人間』
不可視の存在を彼女はごく自然に受け入れたらしい。そもそも彼女は幽霊を目当てに来たのだから透明人間でも変わらないのだろう。今度は僕を指差し首を傾げた。
「帆来です」……『ほらいくん』
セレスタは頁をめくり新たな一文を書き加えた。
『どうするの』
「どうすんのって、何を?」
彼女は再び掲示板へアクセスする。本当はザムザに見せたいのだろうが、画面を僕に見せた。
「何か掲示板利用者に言いたい事はあるか、と言う事ですか」
「透明人間アピールしても、それで見物客が来てもなあ。最初に書き込んだ奴は偽物で、そもそもここに幽霊はいないから、公園には来るなって書いて貰えればいいかな」
OK、とセレスタはジェスチャーした。
気付けば日付が変わっていて、
「そういえば、時間遅いけど大丈夫? ご両親は心配してないか?」
間髪入れずにNOのジェスチャー。すぐに『海外』と付け足しがあった。ザムザは拍子抜けしたようだが、
「いや、でもまた帰る途中に変な輩に会ったりしたら」
『ザムザさん 強いから OK』
「そういう意味じゃなくて……」
セレスタは、中々に強情らしい。
『今 ひとりでいるの 怖いし』
『せっかく会ったから仲よくなりたい』
末尾に花の絵を添え、彼女は笑った。僕達は顔を見合わせ(たのかは分からないが)ベンチに腰を下ろした。
そう言えば本来の酒盛りを果たしていないことに気付く。本来の? 僕の目論見は「ザムザ」を暴く事ではなかったか。僕も知らぬ間に、疑っているつもりでも、透明人間を受け入れていた。何も言わず缶を差し出す。持たれる力を感じ、缶が浮き上がる。透明人間への手渡しは難しい。
「お前、まじで冷やしてきてくれたんだ? 冗談かと思っていたよ」
「冗談が分からない人間なんです」
「いや、別に嫌みじゃないよ……お前さ、本っ当に良いヤツだな」
つられてセレスタが笑った。彼女は立ち上がり、自動販売機で缶コーラを買って来た。つまみの品を広げる。缶コーラにスルメは合うのだろうか?
「それじゃ、“新しい友人”に向かって……乾杯!」
透明人間は缶を掲げた。喋らない少女はにこにこと微笑む。深夜の公園、ささやかで奇怪な宴会。そして僕自身も奇怪なる一員であることは全く否めない。
しかし昨日と違うのは、まあ、それでもいいかと思っている所である。
何とはなしに木々を見上げた。一本だけの不十分な街灯に、まだ葉の付かない枝が照らされている。その中に、ただ一本だけ、
「桜が」「え、どこに?」
セレスタが指差す。枝の先にやっとほころび始めたような花。
「花見、ですか」『少しはやめ』「風流じゃん?」
たまには、悪くないか。