『シンガロン』抜粋(2025.9)

小説『シンガロン』海辺新聞2025年9月号掲載箇所

フリーペーパー「海辺新聞」2025年9月号に掲載した小説『シンガロン』の制作中の抜粋を掲載します。

内容は、2025年3月に発表した『シンガロン[DEMO ver.]』のエンディング直後の出来事を描いています。

「シンガロン[DEMO ver.]』未読の方には説明不足の内容&ネタバレになることをご容赦ください。
作中には同世界観によるロックバンドを題材にした小説『ファング』の内容の言及を含みます。

本文は「海辺新聞」掲載版の誤字・脱字などを修正しています。


あらすじ

大学生のカシマはサークルの肝試しでトラブルを起こし、寺院へお祓いに連れて行かれる。寺の住職・土家とカシマは意気投合し、カシマは土家が主催するバンド・環–Tamaki– に加入する。既存のバンドメンバーの弟子丸・和田にも認められ、カシマはバンドでベースを弾き、土家とのツインボーカルも担当しはじめる。ライブハウス・SHADEでライブステージを成功させたカシマたちだったが、彼らの音楽活動は思わぬ方へ向かうことに……。


『シンガロン』抜粋

呼び出しがかかったのは、初陣後の打ち上げ会の酒の席の発言を皆が覚えていられるほどすぐのこと、まだ去年のうちの出来事だった。

ライブハウス〈吉祥寺SHADE〉の店長・在原は終演後、SHADEの近所の焼鳥屋に環-Tamaki-の4人を連れていって飲み食いさせた。「ここ、炊き込みご飯がおいしいんだよね」と店長が言ったのを覚えている。

皆がビールの2杯目を注文し、カシマはジョッキに入ったジンジャーエールを飲んだ。注文はあらかた届いたか皆の胃袋のなかに収まり、おのおの煙草に火を灯したタイミングで、在原は「これはみんなに言ってるんだけどね」と前置きしてこんなことを話しはじめた。

 

俺のふるい友達がインディーズの音楽レーベルをやってるんだ。うん、ロックの。で、今はとにかく若手の新しい音楽を探してるんだって。

だからうちで演ってくれたバンドは一応全部そいつに教えることにしてるんだけど……

 

「ボク……録音、ないですよ?」とカシマ。

「こいつが入る前は、2曲入りぐらいのEPは作ったんですけどねえ」と土家がスキンヘッドの頭を掻く。

「アレンジもボーカルも変わったけど、そういやあ録ってなかったよな」と和田。

「音源作んの?」と弟子丸が人差指と中指に煙草をはさんで吐息する。

「ああ、いいよいいよ、急がなくて。いまはメンバーチェンジしてボーカルがふたりになったって話も伝えとく。それで、どうかな? 伝えといてもいい?」

という在原からの問いは誰も本気にしてなかった。SHADEのイベントに出演する際、スリーピースの環のサンプル音源は在原の手元に渡っていた。だからそのまま二つ返事で了承したのをまだ皆が覚えていた。在原から進展を聞かされたのはそれからほんの数日後、まだ2000年12月中の出来事だった。在原から和田に電話がかかって、取り次いだ。

「とりあえず会いたいから来てくれだって。できれば全員」と和田から。

「忙しいんだがなあ」電話を取った土家が答える。年末年始の寺院は書き入れ時だ。

「向こうもそうみたい。年末年始はホテルカリフォルニアで21世紀スキソイドマンがニューイヤーズパーティー? でアメリカに飛んでるから連絡は年明けにくれ、だって」と在原からの伝言を一言一句伝える和田。「成人式後でもいいかなあ?」

「もしかして変な人?」ことの流れを聞いた弟子丸からのコメント。

「ギョーカイジンってそういうとこあるのかな?」カシマの素朴な感想。カシマの出身地の成人式は夏に行われるので、この年末年始は帰省せず過ごした。

お寺と花屋は毎年いそがしく迎える新年と成人式を終えて、これからバレンタインデーや卒業・入学シーズンの花屋の繁忙期に向かう前の小休止の1月中旬に、土家・弟子丸・和田・カシマは指定された渋谷の事務所に赴いた。汚穢なる大都会渋谷の喧騒と喧騒の間にせせこましく建っている、用事がなければ絶対に入ろうとは思わないような雑居ビル〈星野第三ビルヂング〉に今まさに用事があって面構えを見上げる4人。入居しているテナントはペルシャ絨毯屋、美容室2軒、税理士事務所、占いの館、マッサージ店、エトセトラ、そして得体のしれない音楽出版社。

「ほんとに入んのお?」と土家は眉をひそめる。さっきスクランブル交差点を通ったときにも「うわあ、コギャルだあ」と口走っていた。ギャルは吉祥寺にも八王子にもいたのだが。

指定の7階の扉にはスクリプト体で〈Finedge Records〉と名前が掲げられている。Fの字はフェンダー風の逆向きの意匠だ。擦りガラスの扉にはロックバンドの名前を描いたステッカーが節操なく貼られていた。

呼び出しベルを鳴らして「ごめんくださぁい、社長さんとお約束のある環ですが」と土家が言いかけている間に扉が大きく開いた。

「やあ! 遠路はるばるどうも」と迎え入れたのは〈昨日までビーチでバカンスしてました!〉と言わんばかりの見た目の男だった。目に眩しいピンク色のボタニカル柄のアロハシャツに明るいベージュ色のジャケパンを合わせて、南国の海岸から帰ってきたばかりで外し忘れているかのように、真っ黒い大きなレンズのサングラスを冬の東京でもかけたままの姿で。

「どうも、木場きばさん……?」

面食らう土家の肩を木場はぱしんと叩き、やや力づくで事務所内に招き入れた。

「そのシャツいいねえ! パイソン柄? ヘビ年だから? どこで買ったの?」

アロハおじさんに連れて行かれるスキンヘッド柄シャツ兄ちゃんの背中を眺めて、どっちもどっちのファッションセンスだなあと同じ感想を抱いていたカシマたちに向かって、振り返って木場は言った。

「皆も入って! あと僕のことは太陽たいようさんと呼びなさい」

 

応接間のソファはひじ掛け椅子2脚に3人掛けの長椅子が1脚。窓にブラインドがかかった部屋に差し込む外光はすこし薄暗い。長椅子の隅には大きなもこもこの毛玉がとぐろを巻いて占拠していた。

弟子丸が聞いたこともないような甲高いささやき声を上げた。ソファでくつろいでいた猫は尖った耳をピンと立てて、大勢入ってきた来客に目を丸くしてのっそり起き上がった。太い胴体は渦巻き模様で、ふさふさの豊かな尻尾をもち、口元に紳士然としたヒゲ模様のある猫だった。「カイゼル髭?」と和田が尋ねた。猫は見た目に想像されるよりもか細い声で「ナー」と鳴いて、何か言いたげに足下をうろついた。

「これはうちの受付嬢」木場は足下に来た猫を抱きかかえた。冬毛の長毛猫であることを差し置いても見慣れた猫のサイズよりも巨大で、小柄な柴犬ぐらいの大きさはある。「オンナノコなんですねえ、そんな立派なおヒゲがあるのに」弟子丸の声のトーンが戻らない。

面談のあいだじゅう、弟子丸は猫にほだされて使い物にならなかった。ソファに座った環4人に猫は体をこすりつけて一順し、弟子丸の膝の上に飛び乗って、そのままくつろぎはじめた。

「おナマエは何ていうんですかあ??」

松田まつだくんだよ」

「男の子?」と和田。

「女の子」

「なんで?」と土家とカシマ。回答は得られなかった。

SHADEの在原店長にはスリーピース編成時代の環の音源を渡していた。だが木場の手元にSHADEでの12月のイベントを撮影したビデオも送られていたのを環の面々は知らなかった。

「ベースがいいねえ! 僕頑張ってるベーシスト大好き。ベーシストは誰?」

と尋ねられてカシマが、はあいと控えめに手を上げる。

サングラス面の木場がオーバーリアクションに驚いてみせる。あらゆる仕草がアメリカ帰りっぽい。

「わあ、君? ライブと雰囲気違うねえ」

「テープの音源は弟子丸さんだからボクと雰囲気違うかも……」

「ネコちゃんナデナデしてる人が弟子丸さんです」と和田が補足。その弟子丸は膝の上を猫に占拠されながら無心で頭を撫でている。

そうして木場の言うCDリリースの条件や報酬を話されるままに聞いていたが、強烈な重力で己の世界観の方向に脱線しつづける木場のマシンガントークのせいで話が頭に入らない。

「最近すっごくセーシンが良い感じで、色々なことがうまく回っていてね、僕を中心に」

「向こうじゃ参ったよ、僕年末年始はアメリカにいたんだけどねえ、知り合いが代々やってる小さなホテルのニューイヤーパーティにどうしても来てくれっていうんだけど、奴らいつまでも引き留めて帰してくれなくて。来年までここで弾かせるつもりか、うちには猫がいるんだ! って何とか逃げてこれたよ」

「今はちょうど輪っかもよく見える頃じゃない? でもこの角度だとフラフープよりも空から見てる大きな目みたい」

「そういえばリーダーって誰?」

そして沈黙が訪れて、いま質問されていたんだと環の一同は気付いて顔を見合わせた。「リーダー?」と聞き返す。

「バンド名決めた人」と木場。半月型に笑うその大きな口。

土家以外の面々がいっせいに土家を見て、土家は「ええ?」と声を漏らす。

「いいねえ、服のセンスも言葉もグッド。それでどう?」

どうとは。

「うちでリリースしない?」

そういえばそういう話だった。

条件としては破格だった。慈善事業でもない限り、無名で実績もない新人バンドにいきなり持ちかけるような規模の話ではない。

土家は口ごもる。「ちょっと考えさせていただいても……」と先延ばしにしようとしても、「考えが決まったから来てくれたんじゃないの?」と制された。木場は身じろぎ、姿勢を正して土家を捉える。

「チャンスっていうのは人生に何度訪れるか分からない。誰も声をかけて貰えないまま、旅を終える奴だっている。そんな奴は大勢いる。でもここにチャンスがある。悪いようにはしないチャンスだ。それをプレゼントしてあげるっていう話。おとし玉だと思って大人しく受け取ってもいいんじゃない?」

「それにしちゃあ話がデカすぎます。ボランティアのパトロンってわけじゃないでしょう」

相手の気分を害さないような言葉を選びながら土家は暗に問う。何が狙いなんだ?

木場は室内でも外さない真っ黒いサングラス越しに、木場に問いかける土家を見据える。レンズの向こうにあるはずの両の眼は誰にもまったく伺えない。

「そりゃあ、最初にデカめの貸しを作っとくと、信仰が芽生えるじゃん?」

黒いレンズに阻まれながら、釣り上げた口角しか見えない木場の顔の両の眼のあるべき場所を見つめ返し、なんとか土家は二つ返事を避けた。環をここに紹介した在原の言い分を思い出して「在原店長が『とりあえず会ってみて』って言うから来たんですが……」と言い訳をひねり出すと、「あ、そういう温度感なの?」と木場はあっさり引き下がった。

「じゃあ、君たちの考えがまとまったら教えてくれる? 僕宛でも在原クン宛でもいいんだけど」

そう言ってちらりと腕時計を確認。「長話しすぎた」と席を立つ。「松田くん、病院の時間だよ!」

弟子丸の膝の上に漬物石のようにまどろんでいた猫の松田くんは、のっそりと起き上がり、逃走を図る前に木場に捕縛された。

「どこか悪いんですか?」とカシマ。

「いや、ただの健康診断」松田くんを抱いて答えた木場はそそくさと通院の支度をしようとしたが、ふと木場を見上げたカシマの顔を真顔になってじっと見つめた。サングラスに隠れて表情の半分は見えないにもかかわらず、何かに気付いたことが表情に表れていた。けれど木場の興味が何かは分からないほどに、サングラスは真っ黒で木場の視線は伺えない。

ほんのわずかな時間だが、穴が空くほど見つめられて、カシマはとっさに口走った。

「ボクの顔に何かついてます?」

「うん」

この会合で一番控えめで、静かで確かな相づちだった。

一転、「じゃあ悪いけど僕行かなきゃだから決心ついたら教えてね! あと皆コロコロしてから帰りなさい、服が毛まみれだよ!」と軽躁な口調に戻った木場は、身じろぐ松田くんを「よっこいしょ」と抱き抱えて部屋を去っていった。

「ふわふわ……」黒い服を上下とも毛だらけにした弟子丸は放心している。

扉の向こう、木場とその飼い猫が遠ざかった気配を感じ、「やべー」と和田がコメントした。「見た? 社長さんのあの服。トケイソウ柄って、どこで売ってんだ?」

「やべー所はそこじゃねえだろ」声を潜めて土家がぼやいた。「大丈夫なの? あれ? ぜってーやべーよ。カタギじゃねーっていうか、あんなの絶対マトモじゃねーよ」

「でもニャンコがいんだぞ」猫に完全にほだされた弟子丸が反論する。「ネコ飼ってる奴に悪い奴いねーよ。しかも健康診断に連れてってる。悪者はペットを動物病院に連れてかない」

「膝にネコ乗せた悪い奴なんていっぱいいるだろ……アニメとかに……!」と土家はもどかしそうだ。「とにかく、あれにはなんか裏がある」

控えめなノックの音が扉を叩き、一同は口をつぐむ。

「すいません、コロコロ持ってきましたあ」と入ってきたのは、20代前半、カシマと同年代に見える、トレーナーにジーパン履きのカジュアルな格好をした細身の天パの男子だった。

「すいません本当に、うちの社長が本当にすいません。箒とか粘着テープとか好きに使ってください、本当すいません」

下手に出て社長の無礼を代わりに詫びた彼は事務員の毛利もうりと名乗り、掃除用具のほかに何枚かのCDのジュエルケースを持ってきた。ファイネッジレコーズで契約通りにプレスした若手バンドのCDの実例だ。

「こういうのを見せながらきちんと説明すればいいのに……一応、うち、本当に音楽レーベルやってて、こういう感じで出してます。CDは出ます。流通経路は持ってるし、レーベルのファンもいるみたいです。こんな感じに」とページに付箋を貼った音楽雑誌を見せる。

「その音源は焼いてお渡しします。社長の態度はあんなんだけどちゃんとしたのが発売されます。デザインの手配も込み、必要ならアー写もうちで撮りますよ」

「どうも。こちとら何も分からず『来て』と言われて来たもので……」と土家も頭を下げた。「正直、おたくの得意なジャンルなんかもよく分からないまま呼ばれまして」

毛利は心底申し訳なさそうに「自分も、ジャンルはよく分かんないです。強いて言うなら『前衛』っていうか『変なやつ』?」

付箋をつけた雑誌のページをめくると、新譜紹介コーナーの1コラムで取り上げられている〈Drive to Pluto〉というバンドにマーカー線が引かれていた。机の上に広げられたCDのなかにも同じ名前のものがある。

カシマは雑誌に目を通した。

「知ってます?」と毛利が尋ねる。

カシマは首を振る。プログレ、ポストロック、文学性、云々という言葉が並ぶ抽象的なレビュー文から、音像はまったくイメージできない。

「それはうちで一番変なバンドですよ」

確信または呆れを込めて毛利は言った。

 

作戦会議inファミレス。

うまい話をいぶかしむ土家に対して、弟子丸と和田は、大きなリスクがないならやってみてもいいんじゃないかと説きながらレコーディングのスケジュールを現実的に心配する構図になり、カシマはやや土家の側に寄りながらもどちらに味方すべきか分からなかった。

あれだけ気楽にカシマをバンドに誘ってきた土家が、バンドの音楽活動の広がりについては腰が重いのがカシマには不思議だった。弟子丸と和田の意見に対して、土家は「カシマくんにも学業があるからなあ」とのらりくらりとかわしている。

「ボクがいちばんヒマだよ? だってもうすぐ受験期間で春休みになるし」

「オレもやるなら早めがいいな。卒業シーズンから母の日まではずっと繁忙期。花束つくりっぱなし」と和田。

「事務所にニャンコがいるんだぜ?」と弟子丸。「ニャンコだよ、ふわふわだったよ? それにツッチーさ、あの社長とだいぶ似たような格好じゃん。バイブス合うんじゃねーの」

「あの人ぜってーヤバいって。あれはカタギじゃねーよ」と土家は声のトーンを落として繰り返す。

「あんなファッションのロックおじさんなんてギター屋には毎日来るぜ」弟子丸は悠然とコーヒーをすする。

「そうかねえ……」と土家は口ごもり、腕組み考え、コーヒーをもう1杯飲み、そして折れた。「俺の気にしすぎかもしれない」

斯くして契約は交わされた。

記念受験みたいなものだった。


登場人物紹介

環 –Tamaki–

絵:環-Tamaki-メンバーのラフな似顔絵 左上:カシマ、右上:土家、左下:弟子丸、右下:和田
4人組オルタナティブロックバンド。八王子で結成。

嘉嶋元気(かしま・げんき)
大学生。ボーカル・ベーシスト。なにかと間が悪い。

土家泰寛(つちや・たいかん)
僧侶。作詞・ボーカル・ギタリスト。寺生まれで霊感が……?

弟子丸魁(でしまる・いさむ)
中古ギター屋店員。ギタリスト。ちょろい。

和田幹央(わだ・みきお)
花屋。ドラマー。マイペース。

ライブハウス〈吉祥寺 SHADE〉

環が出演したライブハウス。
店長は元・パンクロックバンドのドラマーの在原(ありはら)

Finedge Records(ファイネッジレコーズ)

渋谷に事務所をかまえるインディーズレーベル。

木場太陽(きば・たいよう)
社長。室内でもサングラスをかけ、やかましくうさんくさい。

毛利(もうり)
雑用係兼カメラマン。慇懃無礼。

松田くん(まつだくん)
事務所の飼い猫。太い渦巻き模様の長毛と口元のカイゼル髭模様が特徴のメス。
推定メインクーンだが、メークイン(芋)とよく間違われる。
人なつこく大らかで、撫でてもらえるなら誰でもいい。
動物病院の待合では「木場 松田くん ちゃん」と呼ばれる。
絵:松田くん(小説『Drive to Pluto』登場猫)


『シンガロン[DEMO ver.]』

刊行済み小説『シンガロン[DEMO ver.]』はこちら。

通販3.27〜:新作小説『シンガロン[DEMO ver.]』

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