王国は素通り。民は、眼下の通りをそれぞれの前へ前へと流れる。滞在者はいない。王も従者もいない王国で、窓を開け放って見つめていた。待ちかまえていた。風が頬をなでる。マンションの非常階段を上る。屋上の扉は錆びついていて、ドアノブを握ると赤錆が剥がれ血のにおいがした。そこは日に焼けた砂浜で、駅前通りも王国も砂浜も同じ太陽が貼りついていた。人が倒れていた。身体は砂に浸透し、洋服だけが人間の形をして横たわっていた。溶けた人の声が砂の奥深くから蟹が作った小さな穴を伝って漏れて聴こえてきた。浜辺には墓標として、水中には澪標として、ギターが突き刺さっている。指輪が落ちている。波は穏やかに寄せる。生まれてこのかた億兆回も。寄せては返す。100まで数えたところで止めた。埋もれたギターを引き抜いて歩いた。弦は完全に錆びている。待つべき人もいなかった。歩いた。この海岸には貝殻もない。砂が覆い尽くす視界。焼けて風化した思い出。灰になった人もいるだろう。時間は海へ。物体は砂へ。砂はやがて脆い脆いコンクリートの輪郭に融け合う。空気をかきわけ素通りする人々。同じレベル。水位を示す建造物の窓。辿り着いたマンションの非常階段を上る。錆びた手すり。白んだ午後の日。鍵を開けてただいまを言う、そんな自分に見覚えがあった。
そこで持ち帰ったギターがこの四弦なんだよという作り話はさておき、王国はじめての客人が君であることは本当だ。だからさっきそこのコンビニで買って来たサイダーでもてなそう。
本作は2013年に初版を発行した特殊装丁の小さな冊子『She Sells Sea Shells by the Seashore』をWeb用に再編したものです。
『She Sells~』はランダムな15枚の紙片から成る作品です。
画像をクリック(タップ)またはこのページを更新するたびに、ランダムに1枚の紙片が再生されます。
‹‹ 前のページに戻る
『She Sells~』はランダムな15枚の紙片から成る作品です。
画像をクリック(タップ)またはこのページを更新するたびに、ランダムに1枚の紙片が再生されます。
‹‹ 前のページに戻る