うちは、繁華街の中に立つ雑居ビルみたいな古マンションの最上階で、あたりは同じような建物やもっと高い建造物でひしめき合っていて、狭苦しい場所だった。車も電車も飛行機も通った。風景は汚かった。それでもSheは気に入っていた。よく窓辺の写真を撮った。煙草も吸った。家の中では音楽を聴き、飽きてくると部屋を出て、外階段から通りを見渡した。何が見える? 訊くと、たいしたことではないと言う。僕だってたいしたことはしていない。灰を地上に降らしながら並んで街を眺めたりもした。
廊下の突き当たりの階段は屋上に繋がっている。階段はフェンスで遮られている。Sheが見あげる。フェンスをよじ登ると錆びたドアがあり、冗談でノブを回したら扉が開いた。鍵を掛け忘れたらしい。「あいてる」Sheはカメラを肩にかけフェンスを越えた。「来たことないの?」「無いな」屋上に僕らははじめて立つ。僕は辺りを見渡し、Sheはシャッターを切る。
灰色のコンクリートの溝を苔が埋めている。物干し竿が倒れている。昔は洗濯に使っていたらしい。背後に給水タンクが立っている。90°に折れながらパイプが這う。閉ざされた窓。空が狭い。隣のビルの壁が迫る。
煙草の吸殻が落ちている。風化して白いフィルタだけが残り、点々と落ちている。足元の遺物を見つめたまま、Sheも煙草をくわえ火を点ける。昔々、吸殻の数だけ、誰かがここを訪れた。僕の部屋の天井の上で誰かが煙草を吸っていた。繰り返し。灰を積もらせる。開けた市街。晴れ間が覗くも風景は灰色。
あらゆる方位が誰かの空間で埋め尽くされていたけれど、このフロアは空白だった。意味を持たない無人のステージ。ここは中空。意味は空っぽ。
四方から壁が迫る。でも風は吹いている。
うたを歌う。ふたりだけに聴こえるくらいに。明るいうた。君が気に入っていたうたを思い出しながら歌う。
本当はおれたちのライブに来てほしいなって思いながら、でもそれは叶わないだろうと分かっていたから。
おれのうたじゃないけれど、君が好きなうたを歌う。
このまま床が抜けたらよかった。中空へ游いでいけたらよかった。
結局、これが一番の遠出だった。
『She Sells~』はランダムな15枚の紙片から成る作品です。
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