これは物語ではない

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友達 ― 2幕

 感覚が顔を覆った。
 目を塞ぐ圧迫感と、熱くも冷たくもない温度と、物体の柔さ。視界が悪いのは、突然の刺激に対し瞑った瞼が、そのまま動かせなくなったからだった。
 一体何事かと、緊張で暫く立ちすくんでいたが、

「だ~れだ」

 という、下らない声に、警戒が解ける。

「ポタージュ」
「様をつけろや」

 見えない手が僕の目を離れる。視野を塞がれても、暗くもならないし、彼の向こう側は目に映る。

「いつから聞いていたんですか」
「割とだね」
「どういう事を」
「賽銭泥棒のあたりから。君のすぐ後ろにいたんだよ」
「立ち聞きばかりですね」
「言うなよ……そういうサガだ。何やっても盗み聞きにしかならないんだ」

 どっと疲れを感じた。

「彼は貴方を捜していますよ」

 どこを見たものか分からないから社に向き合う。

「答えたらどうです」

 鋭いため息が聞こえる。

「駄目だね。今は冷静に話せない。パニクって話にならないどころか君を軽蔑するだろうね。
『ふざけんな』『はじめからグルだったのか』『やっぱりお前のせいだ』『陰で俺を笑ってたんだろう』?」
「まさか」
「君は落ち着いてられるだろうけどね。でも彼にとってはそう許せるものでもない。段取りが、必要なんだ。いきなり全てをバラされても混乱しちゃうだろ? 今のままじゃどう考えても反感しか買わない。
 どうしよう?」

 どうしよう。

「まず君の問題を解き進めた方が彼のためになるだろう」
 彼は言う。「僕の問題?」
「おれよりも、君の口から語られるべきことだ」
 勿論、いつか語らなければならないとは分かっているが、
「語らずに済むなら、それに越したことはないんです」
「君はね。しかし残念ながら、答えを聞けないと発狂する人間も少なからずいるんだよ」
「そう簡単には狂いませんよ」
「そうかな? みんな死に物狂いに見えるけど。知りたくて必死なんだから、何かしら教えてあげればいい」
「だって、僕には正確に表現出来ない。口先で全て説明出来るのならとっくにやっています。
 僕が喋るとみんな嘘のように聴こえるんです。今喋っている言葉も、本当に自分がちゃんと思考して選択して発言しているのか分からない。みんなその場の流れに任せて、思考停止したまま喋っているような気がする。本当のことを言おうとして言葉を探しても、見付からないし、なんとか語ることが出来ても思い返してみたら過不足だらけで、それなら初めから黙っていた方が、嘘を認めながら語ることよりずっと誠実なのではないかと思って……」
「……あーあ」と、肩を叩かれる。「真面目だなあ」
「いけませんか」
「もうちょっと肩の力抜けよ、ユーモアが足りないんじゃねえの? 疲れるだろ。軽い力で受け流していこうよ」

 どこを歩いたのか分からないが砂利を踏む音がして、自販機が小銭を受け入れて光った。

「コーヒー?」
「何でも」

 あっけにとられて考えずに答えてしまった。気が付くとカフェオレが二本僕の目の前に浮かんでいた。缶に促されて受け取った。

「おごり」

 一文無しとばかり思っていたが。

「おれだって小遣い稼ぎしてんだよ。ほら、乾杯」
「乾杯」

 ベンチの左右にそれぞれ腰を下ろした。「酒の方がよかったかな」と彼が呟く。
「はじめて会ったときみたいだ」
「もっと遅い時刻でしたよ」
「でも夜だ」
「ええ」

 カフェオレを飲む。ブラックコーヒーが飲めないから。
 足元が微風にゆれている。ふと不在感を覚える。一瞬の空虚。「我に帰る」のに似ていると思う。何故今ここにいるのか、理屈は分かっていても、自分が確固たる信念をもって存在している訳ではないということを、まじまじと感じ入る。存在していても存在していない感覚。また訪れる、こういう風にして自分が考え事をすることへの疑念。本当に僕は心からこう思っているのだろうか。僕は嘘をついているのではないか。
 ため息が聴こえた気がした。隣で、コーヒーを脇に置いて、

「どうだった、話してみて」

 どこを見つめているのだろう。

「えっと」どうだろう。「前よりは少し落ち着いて話せました」。「病院にも行った」……「望み通りの会話は出来なかったけど」
「まあ、前進したさ」

 黙っていると、やや間があって、

「どういう御縁で?」
「敬司君と?」
「ケイジ君。巡査なのに刑事」
「同じ高校の出身なんです。塔子さんも」
「同級生なんだ」
「そう」
「うん」
「古い友達」……「もう五年近くも前だ」
「上手くつながらないな」

 彼の発言に(彼は身振りを作れない)僕は答えられない。

「いや、まあ、おれのせいなんだけどさ。……君のこともこじれてしまったね」
「僕は、いいんです。でも彼には申し訳ない」
「まあ、あまりにタイミングが悪過ぎるんだ。ふとした事故で自然発火するのが一番なんだが……」

 彼は声を潜める。

「早く知りたいのはね、巡査じゃないよ。そこにいる奴らさ」
「奴ら?」
「見えなくていい。奴らにも見えていないんだ。そういう奴らがいてもいい。あいつらは自分が飢えていることに気付いていないんだよ」
「それは、どういうものですか」
「ものじゃないよ。全部ひとだ」
「ここにもいるんですか、でも僕には見えていないんですか」
「うん」
「そういう存在が、貴方には見える」
「見えてはいない。知っているだけだ。取り憑いているんだよ。
 ……笑う?」
「笑いませんよ」

 隣の缶が宙に浮き、ゴミ箱に落ちた。その方向を見る。

「きっと、よくあることなんです」

 僕も飲み干して捨てる。

「コンビニ寄りませんか」
「え?」
「酒とか」
「悪いね」
「いえ」

 向かおうとすると、「ちょい待て」と彼が言う。少しして、ガチャリと、社の扉が開いた。いや、錠をこじ開けられたのだ。中に落ちている小銭が掻き集められる。一円玉と五円玉ばかりだが、十円、五十円玉もあり、「273円」数えた彼は乱雑に戸を閉める。多分足で蹴って。

「……その小銭」
「伏線回収。いや、賽銭回収」
「でもそれって」
「おれの金だろ?」

 僕が何を言っても聞かないことは分かっている。ジャラリと小銭が鳴り、宙に消える。

「また一つ謎が解けてよかったね」

 本気なのか皮肉なのか分からないが彼はそう言って、「コンビニどっち?」「右手です」僕の背を押し、公園を後にする。

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