これは物語ではない

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友達 ― 1幕

 静まり返った夜の公園の底にひとりで立っている。充満する空気で光はおぼろげに拡散し、またたくようにも見える。あいまいさの中を光の方へ進む。自販機に照らされて小さな社が窺える。
 暫く見つめる。対象に変化はない。ぬるい夜風が頬を撫で、やがて凪いだ。真っ暗だな。そんな観念が脳裏を過った。格子戸から覗ける社の中も、何もかも真っ暗だった。
 目をつむり、手を合わせ、祈りをした。
 何も願っていなかったが祈っていた。これが神ではないことは明白だった。夜中にひとりでいることを正当化する為の動作だった。目的なく夜中にひとりで外にいることは邪な事に数えられるらしい。祈ること自体は、あくびやため息と同じような意味合いしかない。

 光が差した。
 背後からの、懐中電灯の光線だった。
 制服を着た高田巡査が「何をしている」と詰問した。僕が顔を上げると、彼は光源を消した。

「最近、賽銭泥棒があって、巡回を任されているんだ」

 彼はため息をついて社を見た。

「こんなものにも金を払う奴がいるんだ。そしてそれを盗む奴もいる。互いが互いに、馬鹿ばっかりだ。俺もその馬鹿の渦にいるんだけど。俺達がどれだけ騒ごうが、これにはもう、関係ない。前に話したっけ? 俺はこれを調べてたんだ」
「まだ、見付かっていないんですね」
「そう。消えた。どこかへ行ってしまった」

 あっけなく彼は呟いた。その喪失は僕も知っている。取り残されるのはいつも僕達の方だ。

「もうどこへ行ったのかなんて分からない。息を潜めているだけで案外すぐ傍にいるかも知れない。ただもう絶対に捕まえられない。消えたんだよ。忽然と」

 ただし、今は、僕が消えた方にも加担していることが心苦しい。

「馬鹿馬鹿しいと思われても、あれは本物だった。
 何だか分からないけどあれは確かに存在していた。何かだったんだ。幽霊ってことで片付いてるがきっとそういうものじゃない。あれは触れるんだ。俺はあれに触れた。あれは、何だか分からないけど見えない何かであって、目の前にきっと実在していた。トリックにしてはあまりに生々しいんだ。そうやって実在していたのに、ある時を境に、忽然といなくなった」

 彼は頭を振る。

「全部、今更になってしまった。あれが何だったのか、俺は知りたかったんだ。なあお前、本当は知ってんじゃないのか?」

 確かに知っていた。しかし表現のしようがなかった。頭で分かっていることでも、口にすれば取り返しがつかない。だから相手の意見を尋ねた。責任放棄だ。

「もしも、知ったとして……つまり、敬司君の前にまたそれが現れたとしたら、何を尋ねますか」
「『お前は何者なのか』『なぜここにいるのか』……意志疎通は可能らしいんだ」
「それを知って、何をしますか」
「さあ、答えによる。質問は続けるだろう。逃がすかどうかは、そうなってみないと分からない。どっち道、知らなければならない」
「でも、もしも相手が何も語らなかったら」
「聞きだすさ。聞きださないと。でもこれは仕事とは関係ない。俺のためにやってるんだ」
「……聞きださないといけない」
「何か存在するためには、説明が無きゃいけないと思うんだ。俺は。性格とか職業とか家族構成とか好きなものとか、自分がどういう人間なのか、俺らには説明義務がある。社会ってそういう風にして組み立てられてきたものだし、相手を知ることは当然の欲求で、というか知らなきゃ何も出来ないんだ。
 あれは、存在していた癖に、何の説明も果たさなかった。俺達が何も分からないまま勝手に消えた。それだけならまだ、そういうこともあったよなって忘れられるかもしれない。だが、こんなモニュメントが建っちまった。何もかも分かんない癖にあいまいにしたまま無理矢理片づけてしまったんだ。おまけに……俺が野次馬ならまだしも、俺も、あれの実在を証明する一人で、目撃者なんだよ。信じないだろうけど」
「信じますよ」
「お前一人が信じても無駄なんだ。市の外、いや市内でも知らない区域の方が多い。とにかく、外側が信じないと証明にならないんだ。他人じゃなきゃ駄目なんだよ。皆がそう言わないと……
 ……いや……もう意地なのかも知れない。決着を、つけたくて、焦ってるんだ。何だか分からないものを俺は確かに見たのに、何だか分からなくてイラついてるんだ。
 分かるかな。真意が分からないっていうのは不安なんだよ。
 お前が嫌いなのはそこなんだ。分からないんだよ。だから気味悪い」

 僕は深く頷く。彼の顔が曇る。

「なのにお前は、そうだ、何言われても平然としてる、それが分からないんだ」
「僕も分からないんです」言葉を選ぶ。「でもちゃんと悲しい」
「悲しんでるように見えない。変だ。なんで言い返さねえんだよ」
「貴方の言うことに一理あるから」
「怒れよ」
「怒ってもどうにもならないと思うんです。……すみません。……でも何を言っても仕方が無いと思うから」

 言葉が尽き、沈黙して足元を見る。僕に出来ることは残っていない。

「自分のことをどうにかしようって思ったことはあったのか?」

 どうにもならないと思った。しかしこれは、口にしてはいけないことだった。どうにもならないことを説明してもどうにもならない。一方でどうにもならないと分かっていてもせざるを得ないこともある。

「先日病院に行きました」
「……どこの」
「新宿の心療内科」
「うん」
「経過観察と言われたんです。薬も何も貰いませんでした」
「でも、正常ってことではないんだろ」
「恐らくは……結局……分からないから現状維持、みたいなものではないかと、思ってしまいますが」
「分かんねえんだ」
「分からないんです」誰も。

 黙り込んでしまう。本当はもっと楽しい話がしたかった。彼女が帰って来たら、三人で食事に行こう、そう思った。その時こそちゃんと言えるかも知れないし、ちゃんと訊けるかも知れない。

「塔子さん、帰ってくるって」
「知ってるよ」……「メールがあった。あいつから。来なかったのか?」
 頭を振る。「後輩から聞いただけです。僕には何も」
「なんで、お前に無いんだか」
 分からない。
「あいつも分かんない奴だよ」僕はそっと頷く。

「何か、やれよ。努力はしてくれよ。頼むから。お前はもう普通じゃなくて、それでいいかも知れないけれど、でも塔子のこと考えろよ。何か言うこと考えとけ。今は何が問題で、それがどうしてで、これからどうなりたいのか。言わなきゃ分かんねえんだから。待つから。ちゃんと説明しろ」

 お幸せにと彼は言った。僕が頷いた時にはもう、彼は背を向け、去っていった。

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