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6:10
携帯のアラームが鳴る。男は床に潜ったままカーテンを開ける。薄暗い部屋に明かりが差す。
男、アラームを止める。
そして二度寝。毛布を頭からかぶりやすらかな一時。
6:18
「起きろよ」とドアの向こうから声。男、目を瞑ったまま答えない。
「起きろって」
「……分かってますよ」
「分かってるなら起きろよ」
「……」
「おーい」
「……眠い」
あんまり頭が回らない。
6:21
ようやく目を開ける。布団を出て服を選ぶ。ただしその選択肢は異常に狭い。端から見ればだいたいいつも同じ格好だった。
そろそろクリーニングに出すか、とぼんやり考える。男はまだすこし寝呆けていた。
6:25
リビングにはすでに朝食が並んでいる。
・ご飯
・チーズオムレツ
・ハム
・生野菜サラダ
・味噌汁、とろろ昆布入り
・ヨーグルト
色々と完璧であることに帆来くんは閉口する。
「おはよー」
気の抜けた声がする。いつの間に住み着いた透明人間だった。帆来くんは眠いから答えない。洗面台へ向かう。
6:27
時間をかけて洗顔する。実は睡眠に次いで洗顔が、彼のささやかなやすらぎだった。
眠気を洗い流し、髪型も整える。
6:30
「食べないの?」
「朝食べられないんです」
ザムザはと言えば、まだ手を付けていない。朝食はもう少し遅く作るべきなのかもしれない。
6:32
「前から思っていたのですが」
「?」
「なんで男と同棲しなきゃいけないんですか」
「おうちがないからです」
「……」
「同棲って言うとキモチワルイから“ルームシェア”って言おう」
「家賃払って下さい」
「……じゃあ“居候”で」
「……」
「“家事手伝い”でも可」
「……」
「セレスタがいるから、まだいいよ。まだキモチワルくない」
「……そうですね」
6:33
会話を反芻し、もう自分がなんとも思っていないことにため息をつく。とんでもなく特異な状況にあることを頭では理解しているのに、日常は淡々と過ぎていく。自宅には透明人間が取り憑き、朝夕の食事を作っている。
自身の適応力の高さに驚いている。慣れって、恐ろしい。
6:40
チャイムが鳴る。ドアが開き(ザムザが開けた)いつもの服を着たセレスタが敬礼のポーズ。
「おはよーっ」
『good morning (・∀・)』
「おはようございます」
『良いお天気です』
彼女は食卓についた。朝食を食べに来たのだ。帆来くんのとなりに座った。たぶん向かいにザムザが居る。
手を合わせ、「いただきます」
6:59
テレビの占い。牡牛座10位、天秤座11位、双子座最下位。
『今日もっとも悪い運勢なのは……
ごめんなさ~い、双子座のあなた。
対人関係に疲れてしまい、ついつい相手を傷つけてしまうかも。
冷静な行動を心がけましょう。
ラッキーアイテムは海外文学。
ラッキーメニューはハヤシライスです♪』
「今日の夕飯、ハヤシライスってことで」
「……どうぞ」
7:09
ごちそうさまでした。
「量、多いですよ」
「うっそだー」
『ヨーグルトだけでいいかも』
「うーそだー!」
「なんで楽しそうなんですか」
「やだねえ小食は」
7:15
歯を磨く。洗面台の歯ブラシがいつの間にか増えている。化粧品も置いてある。着々と私物が増えていた。
もういいや、と帆来くんは思った。
7:26
身支度を済ませ二人は家を出る。
「貴方は、何か予定ありますか」
「ちょっと出かけようと思う」
「帰りは」
「ああ大丈夫。合い鍵持ってるから」
「……は?」
透明人間は(恐らくはポケットから)鍵を取り出した。
「セレスタと作ったんだよ、ねー?」
ねー、と言わんばかりに、セレスタも鍵をちらつかせる。
「……勝手に?」
「無いと不便だろうと思って」
「いや、勝手に」
『不便』
「……」
ザムザは手を振って見送ったが、二人にそれは見えなかった。見えないけれど、二人も手を振り返して家を出た。
7:27
非常階段で一階まで降りる。
セレスタは喋らないし帆来くんも喋らない。特に喋ることもないし、沈黙が気まずい訳でもない。
今日は昨日より水が浅い。
7:30
C駅までは徒歩20分の道程である。道は住宅地の中をくねくねと伸びて、その殆どが傾斜か階段になっている。T市が坂の街ゆえである。
あまりに坂が多いためT市には橋も多い。橋の下に川があるという訳ではなく、幹線道路や住宅地の上を渡している。
駅に着くまでに彼らは橋を三回渡る。
7:38
ある橋のちょうど中程で、彼は立ち止まって橋の下を見た。どうしたのかとセレスタも立ち止まり、男の顔を覗き込んだ。「何でもありません」と彼はまた歩きはじめた。
何でもない、なんて事がある筈ない。しかし彼が見たものを少女は知らなかった。
7:43
「昼食は買わなくていいんですか」
コンビニの前を通る時、帆来くんは問いかけた。セレスタはNOを示した。あなたは? と言うふうに彼女は視線を返した。
「僕は学食使ってます」
彼女は頷いた。
「給食とか学食はあるんですか」
彼女は首を振った。途中で何か買っているんだろうと思った。
7:47
駅構内で二人は別れる。C駅には二本の私鉄が走っていて、帆来くんは片方の上り方面、セレスタはもう片方の下り方面に乗る。
彼女は鞄の内ポケットから何かを取り出し、帆来くんに手渡した。一粒のミルクキャンディだった。
「……ありがとうございます」
少女はにこりと笑って親指を立てた。
二人は互いに小さく手を振って、それぞれの改札へ向かった。また夕方に会おう、と。
8:15
すし詰めになった車両の中、男は貰ったキャンディを口に含んだ。久しく食べていない味だった。彼は目を閉じ、車両の揺れに身を任せた。