これは物語ではない

【ここまでのあらすじ】

 貰い物の映画チケットでレイトショーを観に出掛けた一行。各々プレゼントされた魚のタイピンや一張羅のワンピースでめかしこみ、端から見ればちょっとしたデートの二人組だったが、当の映画は若手俳優を起用したいだけの汎用極まるジャパニーズ・青春・ムービーにタルコフスキーを一本だけ観てかぶれたような暗喩的美術的フェティッシュ的カルトチック的映像美的風情の雰囲気に憧れ上辺のフインキだけをデコレーションしたようなジャパニーズ・青春・ムービーという散々な出来栄えだった。持ち前の繊細さゆえにマジで反吐が出た帆来くんはその晩ショックで寝込み三キロほど痩せたという。

 彼はなかなか目覚めない。おれは彼を起こさない。彼の社会性など知ったことではない。

 今朝映画の出来についてセレスタと語った。セレスタは「若手俳優を使いたいだけの暗喩的美術的フェティッシュ的カルトチック的映像美的風情の上辺のフインキだけをデコレーションしたようなジャパニーズ・青春・ムービー」に半笑いで頷いたが、一点だけ疑問を呈した。エンドロールのあの歌はその論理の商業主義にはマッチしないと。インストゥルメンタル曲はタイアップするにしては取っ掛かりにくくウケが悪いし、そのバンドは色々実力付きの曰く付きで本物のカルト的存在らしく、つまり若手俳優起用ついでに使うような爽やか青春Jポップでは断じてない。
 天啓的だねとおれは言ったが彼女には典型的と聞こえただろう。細部の意味など知ったことではない。

 ここまでの出来事になにか意味があったんだろうかと考える。朝七時半、少女が、乏しい社会性に導かれて学校に向かう。本当に登校しているのかなんて知らない。
 どちらでもいいさ。見送りながらそう思う。社会性を担うも飲まれるも、同じこととは言わずとも、どちらでもいい。おれが知っているのは、おれにはそのステージは残されていないという現状と展望だった。

 さて。
 窓を開け、風を通す。うっすらと晴れて悪くない陽気である。洗濯物がそよいでいる。好い気分ではないか。
 朝のテレビ番組など点けない。家の中は静かなもので、野外の生活音ばかり聴こえてくる。ソファに座り込んで麦茶を啜っている。麦酒を開けても構わない。

 どちらでもいい。
 ただひたすらに肯定的な意味で。

 意味? 意味は、言葉は言葉上の意味自身しか本来的に含まない。本来的に。何も、起こらない。始まりも、終わりも、あるにはあるが、ぼやけた空気みたいなもので、漫画のような輪郭をもたない。
 どうして見ているんだろう? どうしてきみは言葉から文字の意味以上の人の声や風景を見出しているんだろう。どうしておれがきみに一対一で語り掛けているさまを、きみはこの言葉たちから見出しているんだろう。

 いや、どちらでもいいんだよ。
 今やもう慈しみさえ感じている。

 さあ、肩の力を抜いて、彼が目覚める続きを読もうか。

act.5  141016の夜から朝へ
遺失物

 午前中は掃除に費やされた。彼がなくしものをしたからだった。元来片付いている彼の部屋を一つ一つ虱潰しに捜索していく。ここまで探して鞄か机上に無いのだから、ほかのどこにも無いだろうと、本人が一番自覚している。なくしたのはあの『汀線』の原作だった。薄い文庫本だから鞄に入れて移動中の車内で読んでいた。紛失して困る理由は二つある。

 一 通読しきっていないから
 二 セレスタに貸す約束をしていたから

 そこは生真面目な性格なのでどちらも反故には出来なかった。

 紛失したことを当人が最も疑問に思っている。室内はいつも片付いていて、どこに何を置いているのか常に定められている。読書をするなら自室の机、ベッド、今の机かソファ、仕舞うとしたら普段の鞄か自室の本棚。例外があるとすればキッチンカウンター、家族の寝室、書斎のいずれか。家中を捜索し最後に書斎に着手する。可能性は殆ど無い。自分の本やよく開く本は自室に仕舞うと決めている。書架に並ぶ背表紙を目で追って確かめるが、予想した通り成果はない。室内に無いとすれば本当の本当に紛失したのだろう。大学、電車内、映画館、どこかの駅にでも。問い合わせれば出てくるかも知れない。が、そうまでする気にはなれない。約束を反故には出来ないが、そこまでする程気乗りしない。大したことでもない筈なのに進退窮まってうやむやさばかりが漂っている。第三の疑念が浮上する。果たして自分は本当に本をなくしたのか? と。

 声を掛けず黙って捜索を眺めていたが、頃合いだろうと思い、コーヒーブレイクを提案した。甘めのカフェオレを淹れてやった。所在無いのでテレビを点けると何やらホラー映画が始まるようだった。
『水没した工場跡地に迷い込んだ少女・サラ。そこには姿の見えない異形の者が潜んでい
た──圧倒的CGで魅せる究極の美麗・ホラー・ファンタジー! 果たしてサラは迷宮から生還することが出来るのか!?』
「ほう」
「はあ」
 タイトル『ダーク・イン・ザ・ウォーター』、似たような題名の先駆作を思い出せる。
 人の目には見えないなにがしの怪物が水を掻き分けてヒロインに迫ってくる。その波音と水面の描写が圧巻だという。
 そりゃ凄いねとおれは席を立ち二人分の焼飯を手早く作る。
 映画が始まる。どうせコマーシャルを挟みまくる。
「見付からないか」キッチンから声を掛ける。
「そのうち出てくるのを待ちます」と彼。
「じゃあもう出てこないって意味?」
 映画は吹き替え放送である。翳りのあって大人しげな少女が主人公。『どうかしてるわ』
「つかぬことをお訊きしますが、消えることはあるのでしょうか」
「本が消えたの?」
 ためらいがちに呟くのが聞こえる。「もしかしたら」

 青黒く翳った映像。水の中の異形を示唆するあぶくと波紋のサウンドエフェクト。焼飯はすぐに出来上がる。適当に盛って食卓に並べる。不穏なBGM。訳知り顔のホームレスが忠告に現れる。『ああ……何人も消されちまった……みんな奴の手に掛かっている……誰にも止められない』
「物質が消えるということがあると思ってんの?」
 彼はそうだと示す。
「それはおれみたいにって?」
「つまり」言いにくそうに、視線を映像に向けながら、「超常的な理由によってそのことが起こった。その、跡形もなく物質が消えることや、あるいは物質が目に見えなくなったりすることが」
 突如画面の中で物音がし、映画を見ていた彼は一瞬身を縮める。血文字の発見。『逃レラレナイ』同行した仲間とはぐれてしまった。不穏な予感に振り返る主人公。水没した廃工場。足元の水面がさざ波に揺れ、何者かの接近を知らせる。
 廃工場という割に水面は澄んで奇麗すぎる。
「おれは知らないよ」と彼に伝える。「おれだって全部の状況は分かってない」知らされないんだよ。上映されるまで、クランクアップしてもなお、観客どころか出演者にさえ全貌は隠されていて、全ては監督者の頭のなかというところ。

 超常的な理由で、目に見えない何らかの力が──壁を引っ掻きトタンが裂ける。目に見えない鋭利な刃を携えた何者かが壁を伝って接近する。さざ波立つ水面。立ちすくみ動けない主人公。バシャバシャと激しく波立ち、すぐ傍で同行者(嫌味な態度の同級生の少年)の悲鳴が聞こえるが、刃物の切り裂く音で声は止む。壁の隙間から波紋が伝わる。赤い体液が浸透する。
「死体がさ、溜まってるんだろうな」
 蚊帳の外で声を掛けた。
「誰も来ないんだから片付けられる筈もない。虫が湧いて腐敗する。汚れる。それとももう泥のように沈殿しているのかな。だから上澄みは奇麗なのか」
「水面の撮影はどうしているんでしょうか」
「よく出来てるね」
 水没地帯を避けて主人公はさまよい歩く。濡れた身体を寒そうにしている。行く先で、都合よく白骨死体を目撃する。
 朽ちて抜けた天井から差す光。壁面に這う蔦。錆に彩られた光景。惨殺の気配。冗長な映像。
 生存者の発見。色白薄幸そうな同年代の少女。それとなく、見えざる異形の造形が明かされていく。両手が鎌のように鋭利な異形の神またはその番人らしい。神の土地に工場を建て、その土地を穢したためにそれは怒り、工場は滅んで新たな神殿と化したという解説。導かれ、工場の中枢へ向かう。

「画面ばかり奇麗だね」
 退廃美という奴。
「グロテスクですが」
「嫌い?」
「気分の良いものではありません」
「消そうか」
「いえ、大して見ていないので」
「おれもだよ」リモコンに手を伸ばし、音量をひとつだけ下げる。「そうか、途中で止められるんだ」
「テレビが?」
「決定権をさ、肥大して、何通りかの有限の組み合わせだけど」
 死に瀕する主人公に反してCMが挿入される。血色の良い女性がシャンプーの紹介をする。自動車保険とサラ金と電話会社の広告を挟む。ザッピングしようにも番組数には限りがある。音量の調整と席を立つオン/オフと画面を見る/見ないスイッチが触れることの出来る選択肢としてそこにある。大して多くもない有限通りの組み合わせを自由と呼べるのかは、まあ、でもどうだろう。まだ厳密な問題には至っていないだけで、まだ触れていないだけだ。
 同行する生存者は物静かで端正な顔立ち。意味深長にこの土地の伝説を披露する。『神は怒っている。土地を穢され汚水を流されたことに。この地は千年の古から神聖なる中庭だった』
『水が奇麗だったのね。それを人間が工場に……』
『人間がそこで何を作ったかご存知? ここに来るまでに真っ白な花が水面に咲いているのを見たでしょう? あれはね、このあたりだけに自生しているクロウフットの仲間。それは神聖な花、神の花園。水の奇麗な処にしか咲かないわ……でもそれはね、強力なアルカロイドを含んでいるの。ねえ、人間は何をしたと思う?(哄笑)幻覚剤を生成していたの、この工場で! 神の花を摘んで土地を穢し、快楽のためのまがいものを作っていたのよ。どうかしら? ほら、辺りにも咲いてない? あんまり近くに寄り過ぎない方がいいわ……花だけであてられちゃうかも知れないもの……』
 主人公、めまいに倒れる。ほくそ笑む同行者。CMの挿入。この物語は終わってもいないのに来週の放送の紹介。
『ニューヨークの摩天楼で引き起こされる連続猟奇殺人、その殺意は感染し、第一発見者が連鎖して次の殺人を犯していく……正体不明の殺意の伝染に人類は打ち勝つことは出来るのか!? マッド・フローレン監督、エルフリード・ロゼット主演〈殺害ウィルス〉次週放映!!』
 正直言って飽きている。

「だいたいお話というものの起源ってどれぐらいのものなんだろうね」
「神話?」
「どのぐらい昔のものかな」
 彼が、端末で検索をかける。「メソポタミア神話、紀元前三〇〇〇年」
「エジプトは」
「同じく、およそ紀元前三〇〇〇年」
「じゃあきっともっと古いな。文字伝達の前に口承の物語りがあっただろう」
 お話の続きが始まる。
「これはセンチメンタルみたいなもんだけどさ」
 少女は異形の神の術中、あの生存者は神の巫女を名乗り、見えざる神の膝元にうっとりと身を寄せる。水中に無数の人骨が沈んでいる。
「人がお話を作り始めてから今に至るまで一体何人お話の中で死んでるんだろうな」
 惨殺、悲劇、偶然、自死、墓標の登場、遺体の発見、ゴースト、○万人の犠牲者、数字に封じ込まれた死者。
 巫女が辺りに散乱している髑髏を手に取り撫ぜる。
『なにかを失った怒りは、失ったものと同質以上を奪わないと癒やされないの。あなたとわたしが最後の贄……きっとまた神は長い眠りにつくわ。あなたが尊い犠牲になれば、この悲劇はおしまいよ』
「奪うって、横取りされて失われることを差すんじゃないか。盗まれることだよ」
 刃が迫る。辺りに絡みついて咲いた例の白い花。
「あの本は失ったの、奪われたの?」
 やや間があく。「貴方はどう思うんですか」
「お前はどうなんだよ」
「貴方は、はぐらかす」
「それでどう思う」
「僕は判断を下したくない」

 巫女は発狂的に笑い出す。その場を逃げる主人公。花が足に絡みついて転倒する。怪物の鎌が迫るが間一髪で回避、刃を突き立てられた花が人間のように甲高い悲鳴を上げる。通路へと逃げる主人公。巫女が顔を上げるとその目鼻口から透明な水が溢れ出す。瞳孔が開いている。
「マーライオンか」
『今更どこへ逃げようっていうの? あなたを殺してわたしも死ぬんだから!』
 逃走劇のつづき。刃は鋭利過ぎて、時に壁をも引き裂いていく。金属の擦れ合う音。上がる息。切迫するBGM。『贄の準備は整った。穢された花の数だけ罪なる魂を天に捧げていくの。あなたで最後。清らかな娘の身が新たな花のよりしろとなる。あなたが土となりこの地に──』
「消そうか」
「どちらでも」映画自体にもその選択にも大して興味がなさそうだった。
「惰性で眺めるくらいなら席を立った方がいい」
 巫女の叫びを遮って電源を落とした。
「続きなんてきっとこうだ。主人公追い詰められる。廃材でごちゃごちゃした広場で、ボロい屋根の隙間から月明かりなんか差している。あなたで最後と執拗に言っていた巫女は、主人公の目の前で、そいつに鎌で両断される。血肉が鎌に付着して奴の身体が目に見えるようになる。月明かりに照らされて一瞬おぞましい姿が見える。絶体絶命で逃げ回って腰抜かしてると廃材の山が崩れてくる。序盤のホームレスの仕業で、廃材をくぐりながら二人で工場の外に逃げるんだけど、相手はまだ追ってくる。ギリギリで工場を抜けだして主人公とホームレスは胸をなでおろす。ホームレスは元工員の生き残りか何かで独自に怪異を調べてた。振り返るとただでさえ廃墟だった工場が魔法が解けたみたいにますますボロに朽ち果てていく。登場人物たちは皆花の作用でずっと幻覚を見てたって奴。工場の辺りは湿地帯で、水溜まりに月が映り込んでいる。一件落着ぶじ生還と見せかけて最後に不穏な動きがある。水溜まりの中に奴の影が映るとか、主人公の服に花が生えてるとか、主人公が何か不敵な、取り憑かれたような含み笑いを見せて、おしまい。スタッフロールは途中で切られて、次週の紹介と番組ホームページの紹介。次の番組はテレビドラマの再放送……」
「出てたんですか」
「何」
「今の映画に。あの役で」
「んなバカな」投げ出していた足を組み直す。「デタラメだよ」
「作家だったんですか」
「何が」
「よく短時間で思い浮かびますね」
「いったいそれがどうなんだろうね」

 テレビを消したために現れる静けさ。だからといってどうもしない。宛てがわれたBGMなどこの世には流れない。あるのは誰の意にも反した環境音のみ。
「誰も上手くいかないと思わないか」
 同意を求めてはいない。
「おれもあんたも為政者も本当の希望は叶えられないでいる。いつだって何かが足りず届かない。気付けばまるで違う所に妥協点を見出している。時々我に返る。こんな筈じゃなかったとまでは言わなくても、ためらい、疑念、騙されているような気がしている。こういう風に言えば病名を与えられた時以上にきみはどこか落ち着く気持ちになると思う。きみはもう失われているんだよ」
 彼は指先を眺め時間を持て余している。「その」と言葉を発するための前置きがあり、
「貴方の闘争状態に加担し切ることは出来ない」
「真に受けてくれればいいんだよ。真に受けたあとに信じたりバカにしたりすればいい」
「正直言って貴方はわずかに狂っている」
 目を合わせない。
「同等にきみもそうなんだろうね」
 黙りこんでお茶で唇を湿らせる。
 大丈夫。沈黙は決して冗長には陥らない。
「まあ」、「ライフラインだけは提供します」
「それでいいんだよ」伝わらなくても笑う。「それとありがとう」

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