エポソロジー
頭がおかしいと言われる。日曜日の朝八時半。
目の前に居るという彼が、一体どれを指しておかしいと言ったのか、一言だけでは判別出来ない。心当たりは多々あった。それを問題にするのは今更だと思ったが、頃合いだろうかとも考えた。それも判別が付かないからまずは手を付けかけの朝食を優先する。ハムエッグとサラダのプレート、三皿は目の前に居るという彼が作ったいつもの朝食で、僕は白飯をよそい冷蔵庫から納豆を出し、醤油と付属のからしを加えてかき混ぜていた所で、
「うん。まず、手を止めろ」
「あの、切りが悪いです。まだ固まっているでしょう。混ぜ終わってからでいいですか」
「混ぜ終わる? 終わるって、何?」
混ぜ終わりとは何だろう。大して考察せずに答える。
「気が済む位に均一になることではないでしょうか」
「気が済むの、それで?」
「憂さ晴らしの為に混ぜるのではありませんよ」
「じゃあ、なんなの、その、それ」
これ位の会話を交わせば相手の言わんとする事は推測出来る。
思うに、頭がおかしいは言い過ぎである。
「納豆はお嫌いですか」
「いや、好きとか嫌いとか言う以前に、なんでそういうものを食べるのか……
……あー……」
茶碗に納豆を流した瞬間に、彼の落胆の声。のったりと糸を引いて落ちる納豆。
トースターが鳴り、セレスタが焼けたパンを取り出し、新たなもう一枚を入れた。彼女はパン派。二枚食べる。
いただきます。
僕に散々けちを付けたザムザは「余った方を食べる」から今朝は白飯。そして納豆は好まないらしい。
「貴方にも好き嫌いあるのですか」
「え?」
「失礼ですが、雑草も食べてそうで」
セレスタがちらと見る。トーストにマーガリンを塗っていた。
「食ったよ」
と、彼は何も掛かっていない白飯を箸にはさんで虚空に消す。
「都会のはね、駄目だよ、よろしくなかった」
そう呟きながら彼はトマトに塩を振る。セレスタが浮かぶ塩に手を伸ばす。彼女の手に塩が渡る。彼女は頷き、トマトに振る。そして僕にも差し向け、僕は小さく礼を言って同じ動作を繰り返す。
「だからね。手間暇と農薬をかけて人の為に作られたものをちゃんと食べられるのは安心なんだよ」
そういう独り言めいた口調の隣でセレスタはサラダに手をつけている。
「でもまあ、人の為に作られたとしても」
彼の言葉は続く。
「それは、なんなの」
向かいの箸の先端が僕を指す。
「そんなに納豆お嫌いですか」
「好き嫌いの前に思考停止、てか、信じられん」
「におい」
「ちがう。……ねばついている」
「食感?」
「そもそも、ねばついている。糸を引いている」
「駄目ですか」
「駄目だろ、見た目駄目だろ。……なあ?」
セレスタはちょっと首を傾げただけで特には応じない。パン食の彼女には関係のない話だ。
醤油を目玉焼きの黄身に注ぐ。目玉焼きは半熟だった。僕は完熟を好む。黄身が流れ落ちるのが嫌だから。箸を刺す。案の定こぼれる。結局ハムや白身ですくい取りながら食べる。
「不満?」
「いいえ」
「今日は詰めが甘かったんだ」
彼はというと、ソースを垂らす。
「相容れませんね」
「一回試してみなよ」
「今日はもう出来ません」
「予めかけておいてやる」
セレスタは二項対立に参加しない。塩胡椒派だった。パンに乗せて食べていた。
「まあ、ありふれた議題だよ。目玉焼き論争は。
それよりその、それの方が気になる。ねばねば」
「そんなに嫌ですか」
「だってそれ、食べたい?」
「好んで毎日食べようとは思いません。ただ、時折欲しくなります。月に数回で十分です」
「じゃあ、なんで」
「貴方こそ、何故そんなに」
「だから、ねばついている」
セレスタが彼を小突き、何かを語った。
「ええ、いや、でもさ、腐ってんじゃん、要するに」
「発酵食品」
「いや、分かるよ。そうじゃなくて、例えば……ウナギとか山芋は生まれ持ってぬめってるけど、それは、作意的にわざわざ腐らせてねばつかせてんじゃん。その必要はあるの?」
セレスタの言。
「保存? ああ……でも……
セレスタは、好き?」
彼女は少し考え込んで、それからいつもより長く発言した。僕に聞き取れない彼女の言葉を彼の相槌から遠回りに聞き取る。この間に僕はサラダとハムエッグを食べ終える。
意外に早いのはセレスタで、口を開くことが少ないから僕と彼が語る間に黙々と食していたのである。
彼女は目に見えない彼を見つめ喋る。補完し合うような印象。笑顔。
彼もまた食べながら聞いていたが、一段落したらしい彼女に対し、
「やめとく」
苦笑めいた口調だった。セレスタは大袈裟に肩をすくめる。
「何を」
「ねばっこいもの食べたいんだって」
「モロヘイヤ」
「モロヘ?」
頷く彼女。おそらくは把握出来ていない彼。知らないらしい。考え込む。
「要するに帆来くんはねばついているという訳だ」
「それは違います。撤回して下さい」
「嫌いか、嫌いじゃないかで言えば嫌いじゃないだろう?」
否定しない。
「でもおれは好き嫌い以前にぬめっているものをどう扱ったらいいか分からない」
僕は茶碗の最後の一口を食した所で、彼がそれを見たかは分からない。
「相容れないね」
「全くです」
ごちそうさまでした。手を合わせ、食器を流しへ遣る。
「やりますよ」
「え。ああ……」
「嫌でしょう」、今日の食器を洗うのは。
「まあね。じゃ、お願い」
「セレスタさんも。流しに、置いて」
先に口をゆすぎたかった。コップに水を注いだ。
「ねえ。よくまあ暮らせたものだ」
背後で二人が喋っている。
相容れずとも語ることは出来る。