Son of a Phoenix
Vという男について人々は口々に麗句を唱えた。
彼の金髪は黄金を糸車で紡いだように壇上で光輝き、長い睫毛が顔に落とす影は夏の朝の木漏れ日のよう。傷ひとつ無い白磁のような素顔にはいつでも微笑が讃えられ、彼が歩けば花の芳香さえあたりに漂うと伝えられた。彼は虫食いひとつ無い白バラのような美男子で、舞台に立つ彼の燦然たるたたずまい、彼のつむぐ台詞や歌う言葉にどれほどの観客が内なる光を見出したことだろう。
Vは愛され、Vは哀れな男だった。三十路を目前にしてバラの花弁の散る気配はなかったが、誰にも信じがたい事故が重なり、舞台裏のシャンデリアが彼の頭に落下した。シャンデリアの白熱灯が倒れた衣装棚に引火して、劇場でいちばん美しい男は切り傷と火傷で顔を失った。彼は一瓶の眠り薬を赤ワインで飲み干して、永久に劇場の舞台を去った。
そのように伝えられている。
一週間後劇場の前で赤ん坊が見つかった。毛も生えていなければまだ目も開いていない男の子が未明のエントランスで叫びを上げているのを仕立て屋の若い女が引き取った。ほんのすこしの月日が経つと、名前のない赤ん坊は細く豊かな金髪に淡い青色の瞳を持った幼子に成長した。
かの男の復活のごとくVは七日目に帰還した。そう人々は囁いた。死に際に自ら炎に飛び込んで我が身を燃やす不死鳥のように、シャンデリアに焼かれた幼子Vは劇場に再び舞い降りた。幼子は仕立て屋から取り上げられ、あとは皆の知っての通りになった。
命の始まりから黄泉がえったVは芝居のすべてを忘れていた。生まれたばかりのひな鳥が空の飛び方を知らないのと同じことだ。指導監督や演出家やかつて共演した役者たちは、彼が己の術を思い出すまではVという栄誉の名で呼ばなかった。名前のない少年が演劇の術を身につける度に、人々は少年の顔立ちや取りうる表情、身のこなしから、かつてのVの不死を発見した。少年期の美しさがひとつの頂点に達した日、少年ははじめて大舞台で演目の役を得たが、大勢の前に立ちスポットライトを浴びた子役にはまだ名前が無かった。
彼が名前を取り戻したのは少年が青年に移り変わる頃だった。身元不明の赤子に不信の目を向ける者はもう劇場に残っていなかった。Vが彼であることを、演出家も理髪師も衣装係も共演者も皆が疑わず、美しく成長した青年はそのとおりにVを襲名した。輝くばかりの金髪の青年は成人を迎えると年代物のダブルボタンスーツを受け取った。それはVにシャンデリアが落ちる前日に採寸された衣装だった。二十年と七日後の夜、かつて着るはずだった衣装をまとった青年がカーテンコールで一礼すると、観客も劇団員も劇場の人々は皆不死鳥の復活を確信した。
Vという男について人々は口々に麗句を唱え、Vはそのとおりになった。彼は大理石の彫像のように数学的に完全な比率の身体を持ち、金糸を紡いだ豊かな毛髪は春の陽光のごとく、瞳は雪解け水のせせらぎを宝石に閉じ込めたようにきらめいた。口角にはいつでも微笑が湛えられ、歌う言葉は森にさえずる鳥のよう。柔和な佇まいながら虚弱なところは認められず、彼は太古の神の化身のように無限の活力と神秘を内に宿していた。
そのようにVは伝えられた。
時は過ぎ、お芝居の演目が季節の代わりに移り変わる。Vはかつての享年にさしかかろうとしていた。彼は演劇の帝王でありながら、求められればどんな花も分け与える歓待の心を持ち、演劇に興味のない劇場の役員を喜ばせた。どんな配役も彼はやりとげ物語に喝采を呼び寄せた。古典の脚本もまるではじめから彼のために書かれていたように、望まれた役はすべて適任だった。
Vに対して新たなショウを人々がうっすらと望みはじめた頃、鴉頭の劇場の長は新しい役者を巣に持ち帰った。連れて来られた新参者は演技にこそ粗ががあれど、貪欲な飲み込みの早さで求められた技をすぐに習得した。若者の活力のなかには影や憂いが見て取れたが、それは老いや零落の影ではなく、照らす光をすべて飲み込む闇を連想させる底知れない引力を持っていた。口角を上げて微笑みながら逆手にナイフを隠し持ち、胸に差した花はすべて毒花、そのような鮮烈な印象を人々は新人に見出して口々に囁いた。
やがて上達した彼は劇団の誰にも似ない俳優になった。彼もまた天性の役者だった。劇場内のすべての刃物を集めたよりも彼の佇まいは鋭い風格を有し、劇場三階の座席から見ても舞台上の俳優の姿、声、まなざしは観客を引きつけ射抜いて忘れがたい。Vを陽光を閉じ込めた宝石と例えるなら、0の姿は闇夜で研いだ黒曜石の刃に言い表された。均整を備えて毅然とした肉体とそれを制御する神がかった集中力と、なによりも命を刈り取る猛禽を思わせる鋭い銀色の瞳によって、0は他の若い役者たちを残酷に蹴落とした。
不死鳥と死神に形容された二人の男がはじめて主演したリハーサルでVの舞台衣装が破損した。0が演じる嫡子がVの演じる皇子を呼び出し暗殺する場面だった。暗殺者の持つ小刀が模造刀から真剣にすり替えられていた。悲劇を煽るソナタがオーケストラピットで盛り上がる中、短剣がVの胸に振りかざされた。
「待て」という鋭い叫びを聞いて指揮者は手を止めた。額に脂汗を浮かべて台本にない台詞を上げ、0はVを刺し貫こうとした手を止めた。とっさの判断に間に合わず、真剣の切っ先がVの胸のジャボを引き裂いた。
「本番でなくて良かった」無垢な皇子に覆いかぶさった暗殺者を演じる男は切れ切れに呟いた。
「ああ、本番でなくて良かった」と殺される筈だった俳優は言った。「気をつけたまえよ、きみは物語を中断した」
出来事はまたたく間に噂に上がった。翌日にも模造刀は見つからず、演目の筋書きは急遽絞殺に変更された。
衣装の修繕のために舞台袖に呼ばれた仕立て屋にVはささやき声で打ち明けた。胸に鉄板でも仕込んでくれないか。
分かっている。いつか僕にもシャンデリアが落ちるのだろう。皆が噂するのを知っている。あの男が僕を終わらせる。
二十年前に死んだ美しい男と同じ名前の男は、劇場の誰も知らない弱気でかぼそい笑みを浮かべた。やりたくはないがね、望まれているのだろう、演劇の外側で起こるショウを。そろそろ本物の奇術をもう一度見たいはずだ。種も仕掛けも無さそうだから僕がどうなるか分からないが……
仕立て屋は頭を振った。Vは彼女の乾いた手を握った。
演目は予定通りの大成功を収め、奇才の悪役には出世作となり、劇場の一枚目俳優はその地位をますます不動のものとし、劇場の人々は彼らを称える言葉を重ねた。
この衣装が死装束にならぬように私は針を通す。
あの子はVである以前に、ほんのひとときの間だけでも私の一人息子だった。
〈2020年5月5日書き下ろし〉