オトノヨキカナ

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 前日のうちに浸水させたもち米2升を全自動もちつき機に入れ、『むす』ボタンを押す。40分放置。

 モールスは聖について、もちつきではせいぜい松田くんの妨害を食い止めるだけのもちつき戦力外とみなしていた。が、昼食時のファインプレーに考えを改めた。いっそ聖ひとりで片付くのではないか?

「聖さんが料理できるのが意外でしたよ。料理好きなんすか?」

 純粋な感嘆もあったが、おだてて自分が楽しようという魂胆だった。一方お世辞も過大評価も知らない聖は、「んー」とそっけない反応。

「ま、ほらあの、トクがね。トクんとこに住んでるから、できたほうがいいなーっていうのでやってるだけ」

「得意料理ってあります?」

「ん~……だいこんの煮たやつ」

 思ったよりも純和風だ。「おせちも作るんですか?」とうっかり聞いたが、愚問だったとすぐに気付いた。正月をひとりで過ごす人がおせちを作るはずがない。

 電源が落ちたように、あるいは誰も見ていないときのマネキンのように、聖は間違いなく静止した。モールスのセーターの下に冷や汗が伝った。異様な静寂は幸いにも1秒で終わり、「ん」と聖が頷いたことで、時間はもとの軌道に復帰した。

 もちつき機のアラームが鳴った。むしあがったもち米を聖がつまみ食いした。

「それ食べちゃだめですよ」

「でももちもちだよ」と聖。「ちょっとふつうのご飯とちがう」

 説明書のとおりに蒸した米を釜の中央にまとめて『つく』ボタンを押すと、もち米が回転しながら巨大な団子状にまとまっていく。聖は興味深くじっと見つめていた。米粒がつぶれて、もちはだんだんなめらかになり、釜の中央で自転している様子を聖は「かわいい」と思った。丸まって呼吸する生き物のように、これも生きているみたいだ。

 全体がもち化したらもちつき機を止めて、水で濡らした手でもちを熱いうちに取り分ける。もちを切り分けるための袋にもちをつめて水平に均して固める。もちの袋に対してもちが足りないため、もち米第二陣を蒸し始める。

 ひと仕事終えて暇している人間たちに、猫の松田くんがナンと声をかけた。聖は松田くんを抱えてひざの上に乗せた。松田くんは聖を振り返り見て、ガラス玉の眼差しをじっと向けた。この眼は世界一美しいと思う。

「松田くん何歳か知ってる?」

 松田くんを見つめて聖が問いかけた。モールスは答えを知らなかった。

「こねこじゃないもんねえ」返事を待たずに、聖がひとり呟く。「もうそろそろおばあちゃんかな」

「あれ、『松田くん』ってメス? なんで『くん』なんですか」

「なんでだろね」

 松田くんは眉間をなでられるのが好きだ。猫用のおもちゃは見向きもしないくせに、楽器や備品を壊すことには特別執着している。でも最近は徳仁から盗んだドラムスティックのケースを気に入り、蹴ったり座布団にしたりと重宝しているため、楽器の被害は減少している。

「年取ったんだろうねえ」

 茶と黒のまだら模様に、ほんの数本だけ白いものが混ざりはじめ、「三毛猫になったね」と聖は笑った。

「三毛はね、むかし飼ってたの」

 聖がぽつりと告白する。モールスにでもなく松田くんにでもなく、場の全員に打ち明けていた。

「むかーしだからね。小学生んときだからね。三毛はねミーコっていって、いなくなっちゃったの、どっか行っちゃって」

「逃げちゃったん……ですね」

「ん。だから、松田くんは、上の階に住んでるからちゃんと逃げなくていいと思う。野良はね、とっても大変なんだよね」

 モールスは動物全般を特別に愛したことがない。3月にこの事務所のバイトをはじめて、松田くんとは半年以上の付き合いだが、気を許されて認められているような感じがしないのも、モールスの内心が態度に滲んで動物に伝わっているからだろう。動物だけでなく、動物好きの人間のこともモールスはさほど良く思っていなかった。彼らが愛を絶対善とし、動物に無私の愛を注ぐさまに、モールスは偽善を感じ取った。動物が好きという感情には「かわいい動物を愛する自分がかわいい」という自己愛も含んでいるのではないかと疑った。

 聖の心情は理解しがたい。モールスには、聖が猫を愛する人というより、聖自身が猫と同族のちいさな獣のように見えた。

「いまは猫を飼ってるんですか」

「ん、いないよ。たぶん、飼わないと思う」

「アパートがペット禁止?」

「じゃなくて、たぶん、いまはやめたほうがいいと思う」

 そこで聖は会話を切り上げた。沈黙を埋めようと、「オレは生き物飼ったことがないから、猫のこともよくわかんないけど……」とモールスが言いかけると、「いいよ」と聖が呟いた。松田くんが膝の上で体勢を変えた。

「モールスって、今度はどうすんの」と聖が言った。

 聖の言葉はいつも足りない。モールスが意味の推測にためらっていると、聖は「よかったら今度あそぼうよ。お正月とか終わったら」と続けた。

「それだったら、今度オレの学校の卒業写真展があるんで、もしヒマだったら見に来てくれませんか」

「なに撮ったの?」

「聖さん」そっけなく答えるつもりがモールスは笑ってしまった。「ライヴのところとか、ふだんのとか……」

「えー……」モールスの期待に反して聖の反応は優れなかった。バラさなきゃよかったかな、と後悔しながら、「あと田邊さんと青野さんも撮りましたよ。おふたりはライヴ写真ばかりですけど」

「ねこいる?」

「松田くんも撮りました」

「んんー……じゃあ行く」

 追加のもち米がむしあがるアラームが聞こえた。聖は松田くんがもちを触らぬように注意しながら2回目の『つく』ボタンを押す。

「じゃあさ、モールスこれ撮ってよ」と、もちになりかけのうごめく白い塊を見せた。

「こんなの、なんだかよく分からないっすよ」

 そう言いながらもモールスはシャッターを切った。そのあとのもちの袋詰工程もモールスは撮影係に回った。要所はモールスも手伝ったが、聖ひとりでどうにかなった。

 鏡餅は打ち粉をまぶして丸めたもちを二段重ねにする。ハンバーグを2つ重ねたようなつつましい大きさの鏡餅が出来上がった。

「ねこにしていい?」と聖が聞いた。もちで作った小さな三角形をふたつ、もちの上に乗せて耳に見立てる。細長く伸ばしたもちを紙っぱに見立てて付け加えると、小学生の粘土工作の風情がただよった。

「食べよーよ、固くなっちゃったかな」

 もちの小さな塊を、聖は味もつけずに頬張った。しばらく噛んで「もちもちする」と感想を言った。「これいつ食べればいいの?」飲み込むタイミングが分からないようだった。

「100回噛めば大丈夫じゃないかな……」モールスが言いかけるうちに聖は飲み込んだ。絶対に100回も噛んでいない。大丈夫か?「どうっすか?」恐る恐る尋ねると「おもちの味がする」と言った。そりゃそうだろう。

「醤油とかつけないと味しないですよ」

「ん、でもこれで好き」

 この間抜けた人がどうやって、ステージ上であの光の洪水に化けるのだろう。

−・・・−

 毛利もうり信護しんごの興味はライヴハウスの演奏者プレイヤーを差す光に見出された。モールスはライヴ会場での物販を手伝う小間使いなどをしながら、事務所と出演するライヴハウスに頼み込んで、Drive to Plutoのステージ写真を撮影した。暗闇にさまざまな彩色のスポットライトによる異世界めいた発色や、楽器の金属パーツのメカニックな反射光に関心があった。が、なによりも、写真に音が記録されないことに強く惹かれた。

 世間の快感と逆行したDrive to Plutoの音楽は、いまだモールスの許容の埒外にあった。どれだけ彼らが人体を酷使して楽器を奏でても、叩いても、叫んでも、歌っても、その音楽はモールスにとって快楽として聴こえなかった。はじめて演奏を聴いたときに感じた強烈な混乱と胸騒ぎは、いまもまだ続いている。どれだけあのひとたちが頑張ろうとも、オレに音楽は聴こえない。

 カメラのシャッターを切ることは、流れる音楽に対する『■ STOP』ボタンだった。写真の四角形に切り取られた一瞬の枠内でロックバンドという集合体は静止し、聖さん/田邊さん/青野さん/ギター/ドラムセット/マイク/ケーブル/アンプ/スピーカー/スポットライト/etc.の単体に分解される。そうすればもう、それらの要素をつなぎまとめあげていた音楽という不可視の集合体の怪物は記録に残らない。

 モールスはライヴステージの写真と同じだけの数の日常写真も撮ることにした。手拍子をたたくことのできない不明なリズムのリフを奏でる“神がかった”ギタリストと、もちを飲み込むタイミングを知らない世間知らずの少年みたいな人物がまったくの同一人物である証拠をモールス自身が欲していた。

 天才なんていない、目に見えない魔法なんてない、音楽ミューズは幻覚にすぎない、と、識閾下ではそんな野心、または祈りを抱えていた。

 本当はメンバー全員の写真を均等に撮りたかったが、田邊にはなんとなく気圧されて話しかけづらく、普段は気安い青野もカメラを向けると露骨に嫌がった(その割に「モールスこれ撮りなよ」と、自分が被写体に残らないものは撮らせたがる。ご自分で撮ったらどうかと促したら、撮るのも撮られるのもあまり好きではないと言った)。だからモールスの被写体は、特別に希望も文句も言わない聖ばかりになった。

・ー・ー・

 聖は磯辺巻きを気に入った。もちを食べ終えたあとには、醤油をつけた海苔を何も巻かずに食べた。きれいに洗ったもちつき機の釜には松田くんが毛むくじゃらのもちの形相で丸まっている。

「みなさんってどうしてバンドをはじめたんですか」

「どうしてって、ん、やりたかったから?」

「聖さんと田邊さんがずっと仲良かったとして、青野さんと3人でやってる理由はなにかなって」

 あー、とうなり、聖は少し考え込んだ。「青野クン? 青野クンは誰でも良かったんだけど」

「えっ」

「あっ、ちがくて、いまは青野クンが良いんだけど、前は、トクとふたりでやってて、人が足りなかったんだよね。あの……トクがパーカスじゃない、で(聖が)ギターやって、で、コード、低い音決めるベースが必要なのね。そういうのをきちんと決めてないと、なんか音がスカスカになるんだよね。で、前は、音源は別録りしたり、こっちで6弦やりながらこっちで1・2弦タップして音作ってたんだけど、そうすると他のやれることがなくなっちゃうから、だからもうひとりやる人がいたほうがいいかなって話したの」

「ふたりでやってたから、曲のパートが足りなくなったってことですか」

「ん。でも逆にひとが多いと困るじゃん。今度はやりたいことがやりすぎになっちゃうっていうか、目立たなくなるっていうか、だからここでやりたいのに使えるのは3人までかなあ。4人とか5人とかでやってるひとはいるけど。ドラムとベースとギターあればまあやりたいことはできるかなって思ってる。
 で青野クンなんだけどね、ホワイトリゾーツあるじゃん、あれにメンバー募集って貼っといたの、それで会ったの」

「もともとお知り合いじゃなかったんですか」

「そーだね。だから青野クンじゃなくてもよかったかも」

 聖はいっとき沈黙をはさんだ。記憶を探して、目線が泳ぐ。

「あの、いま違うけど、青野クンにヒミツなんだけどね。青野クンはまああの、ヘタだったんだけど、なんかかなり好きだったの、怖くないし。わりと無茶しても、やってくれたし、あとすっごい便利っていうか、車だしてくれるし詞も書いてくれるし、ほかの難しいこともやってくれたから、青野クンはいてくれてすごく良かったと思う」

「いいバランスじゃないですか」所感を呟いたモールスに、聖ははにかみをこらえて言った。

「まちがってないよね?」

 単なる相槌としてモールスは頷いた。聖はそれを良しとした。「そうなの。ん、だから、長くやれるかなって思う。終わっちゃうのが悲しいでしょ」

「みんなでやるなんて、すごく難しいと思いますよ。オレは合奏できないし、写真だって、グループ展開催するだけでもモメるのに」

「ん、あ、でも、だから、いつも自分の思うとおりにはいかないの。でもそうやって変わっちゃったからもっと良くなることとか、変わんなきゃいけなかったこともあったかもしれない」

 聖はひざを抱え、モールスは言葉を待った。

「……ひとりのほうがいいのかもしれなくて、でもひとりだとライヴはできないから、弾き語ればいいんだけど別にそういうのじゃないし、トクと青野クンは伴奏じゃなくて欲しい﹅﹅﹅から、腕が6本もあればできるのかなって思ったりはする。
 でも、そしたらたぶん、飛んでいるようにはなれないと思う。
 いっつも、空飛ぶようにやれたらいいなあって思ってるから」

 聖は片手で、くうに不可視の紙飛行機を飛ばした。

「それには他の音に自分が追いつきそうだとか、置いてかれそうだとかっていうスリルがある。  ……わかんない。わかんないけど」

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